From mitsuzawa northeast

横浜FCと横須賀・神奈川のローカルフットボールシーンを気ままに応援する日記。時々故郷・静岡県東部のフットボールなども。

三島山中城址散策(2024.1.5)

2024-02-10 | 静岡県東部伊豆ネタ
ちょっと話が遡りますが、先月5日は三島の実家に預けていた
我が子を迎えに行くため一人でショートドライブ。(妻氏は仕事)
大体帰省する時は家族単位で移動するので一人で実家方面へ
クルマを走らせるのは初めてだったり。




西湘バイパスのPAにて。太陽がまぶしかったです。


1人でドライブということで寄ってみたかったのが、この三島・山中城址。
最後に行ったのが小学生時代だから、かれこれ30数年ぶりの訪問です。
(年齢がバレる発言w)
到着した時は曇り空に。


山中城址で最初にお出迎えするのはこの長い空堀
あの有名な御堀ではないんですよね・・・。
小学生時代はここの印象が特に強かった場所だったり・・・。


そしてこの山道、ここからが本番といえるでしょう。




こちらが戦国時代の北条氏の築城術で有名になった障子堀
現在は芝生で整備されて美しい姿をしていますが、実際は関東ローム層が
むき出しのトラップだらけの場所だったのではと夢想・・・。


この山中城址、1月3日に放送されたテレビ番組にも取り上げていただけました。
サッカーに詳しい元アイドルさんにワッフルみたいと評されてましたね。障子堀・・・。
でも現実は圧倒的な兵力の豊臣勢の前にわずか半日で落城した城なので
本当はきっと目を覆いたくなるほどの惨憺たる光景だったのだろうなあ・・・と夢想してみるのでした。

そんな現代の山中城址はちゃっかり番宣もするくらい、故郷の観光のシンボルとしてしたたかにアピールしてますが





この障子堀の外周の順路からは富士山が見えるのですが、この時間は残念ながら雲に隠れていました。


山中城址の全体像はこんな感じ。




そして小学生時代の印象に残っていたのが、この西の丸。
山中城址で一番広い空間となる場所です。


西の丸から二の丸、本丸へ続く、山中城址で唯一ある復元された木橋を渡ります。


天守櫓跡

天守といっても見張り台のような櫓が立っていたのでしょう。




こちらは兵糧庫跡。山中城址で唯一の復元建造物がありました。
これは30数年前から変わって無くて少し感動(笑)




この近くにあったオオカシは平成30年の台風で倒れてしまったとのこと。残念・・・。




ということで山中城址を一周し旧国道1号側に出てきました。
小走りで回ったため正味30~40分ほどで回れました。


芝切地蔵のエピソードを記した看板。読んでみるとなかなか面白い話だったり。




旧国道1号沿いにあった山中地区の公民館で見かけたアスルクラロ沼津のポスター。
色褪せてましたが、沼津もここまで浸透してきているのだなあと。




(おまけ)



三島に降りてきて、三島南二日町グラウンドへ出てきました。
ここは昨年、東海2部SS伊豆の試合を観てきて以来の訪問。
SS伊豆の観戦記まだ出来ていなくてスミマセン・・・。いつ出来るのだろうか(おい)









そして最後はマイソウルフードの鈴福の辛口手打ちラーメン(750円)を。
これがこの値段で食べられる幸せを噛み締めて。


山中城址では見れなかった富士山も三島に降りたら見れて良かったです。


帰りは我が子をピックアップして来た道で帰路へ。
江の島近辺の渋滞回避のため江ノ電の例の踏切をこのアングルで観れたのは良かったかなと。
(小●生にしては撮影センスいいぞ娘氏(親ばか))

ここまで見てくれた皆様ありがとうございました。
おしまい。

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