甲府がJ2クラブとして史上初めて入れ替え戦を制し、悲願のJ1昇格を果たした。第1戦の2-1の先勝を受けて臨んだJ1柏との第2戦。序盤からエースFWバレー(23)が相手守備網を切り裂き、1人で全6得点をたたき出す暴れっぷり。6-2の圧勝でJ2・3位ながら確かな実力を証明した。99年~01年まで3年連続最下位を味わい、経営危機だったお荷物クラブが生まれ変わり、トップリーグに上り詰めた。柏は2年目の入れ替え戦で完敗し、初めてJ2に降格した。
苦労を知る者の、涙がこぼれた。昇格を告げる終了のホイッスルの瞬間、万感の思いが頂点に達する。FW石原がユニホームで顔をぬぐい、GK阿部も地面にうずくまった。長年流し続けた敗者の涙ではなく、勝者だけが流せる涙。ようやく、この日が訪れた。
主役はFWバレーだった。前半だけで2得点。圧巻は1点を返された直後の後半8分。ペナルティーエリア右に流れ、マークもお構いなしに右足を振り抜いた。ゴール右上方を突き刺すダメ押しの3点目で、柏の戦意を根こそぎ奪い取った。結局J史上最多の全6得点をマーク。「自分の過去最高は4得点。今日はいっぱいチャンスがあった」と興奮気味に話した。
かつては弱さの象徴だった。保有しているグラウンドもなく、河川敷を使用することもあった。雨が降れば「ピッチが荒れる」と使用を断られることも日常茶飯事。00年には今もJリーグ記録の19連敗を喫した。在籍10年目の仲田は「街で飲んでいると『こんなところで飲んでいるから負けちまうんだ』と怒鳴られた」と振り返る。
だが苦難の時代を支えた人がいた。J2参入後も町役場勤務の「公務員Jリーガー」としてプレーしたDF石原大助さんもいた。DF仲田も02年開幕戦の接触プレーで「物が二重に見える」と視覚に障害を負いながら懸命にプレーを続けた。フロントもお金がない分、知恵を使った。担架に年間100万円でスポンサー名を入れる画期的なアイデアも生み出した。入れ替え戦出場が決まると事務所には「こういう時こそチケットを高くして強化費に」と激励の電話も届いた。
この日先発した5選手は他クラブを戦力外となった選手。MF藤田はブラジル留学、MF倉貫はバイエルン受験を経験した。曲折を経て、甲府に集い、創設40周年の節目の年にJ1にたどり着いた。月給5万円でプレーしていた過去もある山梨県出身のFW石原は「みんなに感謝の一言」と言葉に思いを込めた。胸を張ればいい。甲府は誰もが認める勝者となった。
以上新聞より おめでとう!
苦労を知る者の、涙がこぼれた。昇格を告げる終了のホイッスルの瞬間、万感の思いが頂点に達する。FW石原がユニホームで顔をぬぐい、GK阿部も地面にうずくまった。長年流し続けた敗者の涙ではなく、勝者だけが流せる涙。ようやく、この日が訪れた。
主役はFWバレーだった。前半だけで2得点。圧巻は1点を返された直後の後半8分。ペナルティーエリア右に流れ、マークもお構いなしに右足を振り抜いた。ゴール右上方を突き刺すダメ押しの3点目で、柏の戦意を根こそぎ奪い取った。結局J史上最多の全6得点をマーク。「自分の過去最高は4得点。今日はいっぱいチャンスがあった」と興奮気味に話した。
かつては弱さの象徴だった。保有しているグラウンドもなく、河川敷を使用することもあった。雨が降れば「ピッチが荒れる」と使用を断られることも日常茶飯事。00年には今もJリーグ記録の19連敗を喫した。在籍10年目の仲田は「街で飲んでいると『こんなところで飲んでいるから負けちまうんだ』と怒鳴られた」と振り返る。
だが苦難の時代を支えた人がいた。J2参入後も町役場勤務の「公務員Jリーガー」としてプレーしたDF石原大助さんもいた。DF仲田も02年開幕戦の接触プレーで「物が二重に見える」と視覚に障害を負いながら懸命にプレーを続けた。フロントもお金がない分、知恵を使った。担架に年間100万円でスポンサー名を入れる画期的なアイデアも生み出した。入れ替え戦出場が決まると事務所には「こういう時こそチケットを高くして強化費に」と激励の電話も届いた。
この日先発した5選手は他クラブを戦力外となった選手。MF藤田はブラジル留学、MF倉貫はバイエルン受験を経験した。曲折を経て、甲府に集い、創設40周年の節目の年にJ1にたどり着いた。月給5万円でプレーしていた過去もある山梨県出身のFW石原は「みんなに感謝の一言」と言葉に思いを込めた。胸を張ればいい。甲府は誰もが認める勝者となった。
以上新聞より おめでとう!