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過去~現在~未来

何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

因果の理法

2008年02月02日 | Weblog
人々は千差万別の人生を歩みます。生まれながらにして幸せな人、あるいは生まれながらにして不幸な人。才能のある人、ない人。あるいは、いくら働いてもなかなか楽にならない人、反対に、どうということもないのだけれども、なんとなく幸せそうにしている人、お金をもうけている人。何をやってもだめな人、やることなすことがうまくいく人。だれからも嫌われてしまう人、逆にだれからも好かれてしまう人、様々であります。女性と男性も違います。顔や姿もみんなまちまちであります。境涯も全く違います。
では、なぜこのような様々な差があるのか。これは単なる偶然の結果ではありません。そこには必ず原因が存するのであります。仏法においては深く物事を洞察して、そこに因果の理法を説いているのであります。この因果の理法ということがよく解らないところに、本当の解決を見出だせずにいる原因があるのであります。
つまり、幸せになるには幸せになるための原因があり、不幸せになるには不幸せになる原因があるのです。このところがしっかりと解らないと、つまり原因が解らなければ真の解決というものはなされないのであります。
心地観経というお経のなかには、
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」
と、このように仰せであります。
もちろん、ここにある「過去の因」と言いましても、極めて近い過去もあります。例えで言えば、たった一分前の過去もあります。しかし、遠く過去世にさかのぼっての過去もあります。そういった様々な過去の因縁というものが、現在の結果というものを生み出しているのであります。
それでは不幸の原因は何か。それを尋ねてみますると、これは結論から言うならば、不幸と苦悩の根本の原因はすべて邪義邪宗の謗法の害毒にあるのです。このことは既に大聖人様が『立正安国論』のなかで明確にお示しあそばされているところであります。