ヒロシのぶらっとぶらぶら

気のむくままの不定期ブログです。

<事件でみる倉敷の幕末維新>(市真備支所) ①

2015-06-11 22:27:37 | ひとりごと・・・



 ↑ 山陽新聞。



 で、真備支所へ・・・


   以前、<倉敷の歴史>を分けてもらいに訪れたところです。

    今回も、ごちそうになりました。











 約30分の専門員さんによる解説を聞くと、

   展示物を見るだけより、10倍も楽しくお勉強ができます。

   大島先生、立石先生、山本先生、ありがとうございました!





倉敷は、要衝の地だったので、<幕府の直轄地>でした。

 人や物資の供給基地にもなっていた幕府側の倉敷は、

 <幕末>には、薩長に睨まれ<備中騒動>が起こった・・・

   のかと思っていましたが・・・



<下津井屋事件>なるおぞましい事件のことも知りました。



<花燃ゆ>では、 現在1863年(文久3)。

  もうじき公武合体派のクーデターにより<七卿落ち>、
   翌年(元治元年)新撰組の<池田屋事件>、
    すぐに<禁門の変>の場面ですが・・・
    (1864年(元治元年)の夏)



 <下津井屋事件>は、その年の年末じゃったそうな・・・


 その首謀者が倉敷に帰って起こしたといわれる<備中騒動>は、その2年後。


  第二次長州戦争の直前だったそうです。

  彼は、長州藩に<いらんことをするな!>と、しかられ殺されたそうな。
   手を下したのは、毛利方のアノ清水家じゃったそうな・・・!
    (備中高松城水攻めの清水さん)



1867年
  <大政奉還>、<坂本龍馬暗殺>。


     


<激動の時代>デス!




楽しい時間を過ごさせていただきました!



 つづく・・・






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