↑ 山陽新聞。
で、真備支所へ・・・
以前、<倉敷の歴史>を分けてもらいに訪れたところです。
今回も、ごちそうになりました。
約30分の専門員さんによる解説を聞くと、
展示物を見るだけより、10倍も楽しくお勉強ができます。
大島先生、立石先生、山本先生、ありがとうございました!
倉敷は、要衝の地だったので、<幕府の直轄地>でした。
人や物資の供給基地にもなっていた幕府側の倉敷は、
<幕末>には、薩長に睨まれ<備中騒動>が起こった・・・
のかと思っていましたが・・・
<下津井屋事件>なるおぞましい事件のことも知りました。
<花燃ゆ>では、 現在1863年(文久3)。
もうじき公武合体派のクーデターにより<七卿落ち>、
翌年(元治元年)新撰組の<池田屋事件>、
すぐに<禁門の変>の場面ですが・・・
(1864年(元治元年)の夏)
<下津井屋事件>は、その年の年末じゃったそうな・・・
その首謀者が倉敷に帰って起こしたといわれる<備中騒動>は、その2年後。
第二次長州戦争の直前だったそうです。
彼は、長州藩に<いらんことをするな!>と、しかられ殺されたそうな。
手を下したのは、毛利方のアノ清水家じゃったそうな・・・!
(備中高松城水攻めの清水さん)
1867年
<大政奉還>、<坂本龍馬暗殺>。
<激動の時代>デス!
楽しい時間を過ごさせていただきました!
つづく・・・
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