きままに街歩き

旅先で撮影した写真の記録

石部宿場の里

2013年01月31日 | 東海道

石部宿場の里

滋賀県湖南市雨山公園内


 

  

江戸時代、東海道五十三次の51番目の宿場町と栄えた石部宿。場所は滋賀県湖南市、京都方面からだと草津宿から中山道と東海道に分岐した後、東海道で最初に辿り着く宿場町が石部宿になるとのこと。今回訪問した「石部宿場の里」は、石部宿から少し離れた場所ある雨山公園内にありました。

東海道の町歩きで石部の宿場町を訪れる人はいても、こうした立地条件の為か、ここまで足を延ばす人はあまりいないとの事、良いところなので、立地条件さえよければ…と思うと少しもったいない気がします。


 

石部宿場の里は、一言で言うと「宿場町のテーマ-パーク」であり、江戸時代にタイムスリップした気分を味わえます。

    

屋外には農家、茶屋、商家、蔵などの復元建物、建物内には資料展示がしてあります。

路地からの景観もなかなか良い感じだし、お茶屋や米問屋の看板など風情がありました。

復元建物としては関所、農家、商家、旅籠、茶屋、米蔵、八史教会所の7棟あります。

関所は料金所を兼ねています。表通りからよく見えて目立つ建物の農家は萱葺屋根で美しい。そのサイズや位置からメインの建物に思えます。八石教会所だけは離れたところにあったようで立ち寄れませんでした。

  

こうした復元施設内には土間やかまど、便所や風呂など生活に関わる細かいところまで再現されていました。また再現で補えないところは資料や解説で見ることができます。こうした豊富な展示をみることで江戸時代の宿場の様子や、その歴史と役割を学ぶことができます。


 

東海道歴史資料館

東海道歴史資料館は石部宿場の里に隣接しています。宿場の里を奥へと進み階段を上っていくと丘になっており、庭園には一里塚、石橋、門などが置かれていました。

  

東海道の宿場町としての歴史はもちろんのこと周辺の遺跡や歴史についても様々な角度から詳しく知ることができ、豊富な資料も目にすることが出来ました。「石部宿場の里」の順路の一番奥、丘の上に登ったところに資料館がありました。


 

「石部宿

石部宿は江戸日本橋より51番目の宿場で、近江国甲賀郡に属し、江戸時代幕府領であった。元和7年(1621)頃、膳所藩領となり幕末まで続いた。水口宿に残る「御伝馬之定」に石部の名が見えることから宿場設置当初から存在していたようです。

 「京立ち、石部泊り」は当時の石部宿の事情を上手く表現しています。これは、京都から石部の距離が9里余(約35㎞)でしたから、京を朝早く出発した人が最初の宿泊地にするには最適な距離でした。このため多くの旅人で賑わったようです。

 宿内は東から東清水町・中清水町・西清水町・小池町・鵜ノ目町・大亀町・谷町・仲町・出水町・平野町・上横町・下横町の12町から成りたっていた。また街道は途中直角に屈曲した「鍵の手」となっており、これは平野町から上横町と下横町にかけての範囲にあたるそうです。更に、この下横町には街道を挟み南北に一里塚が築かれたとのこと。

宿の主要施設は中ほどに集中し、谷町と大亀町の間に問屋場があり、谷町に三大寺本陣、仲町に小島本陣があった。また、江戸後期には宿東西の入り口に見付土居が築かれたとのこと。

(東海道歴史資料館館内展示より抜粋)


 

「東海道歴史資料館」 「石部宿の里」

滋賀県湖南市雨山2-1-1



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