私がなぜ日記をつけはじめるかというという理由についてですけど、それはつまり、そういう本当のお友達がいないからです。
もっとはっきり言いましょう。十三歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちのように感じている、また実際にひとりぼっちとなんだと言っても、信じてくれる人はいないでしょうから。わたしには、愛する両親と、十六歳のお姉さんがいます。友達と呼べるひとを三十人ぐらいは知っています。
(中略)
そう、なにひとつ欠けているものなんかなさそうです。ただひとつ、その”ほんとうの”お友達を除いては。でもそれは、ほかのお友達みんなについても言えることで、だれもがただふざけあったり、冗談を言ったりするだけ。それ以上の仲じゃありません。身のまわりのごくありふれたことのほかは、だれにもぜったいに話す気になりませんし、どうやらみんな、おたがいそれ以上に近づくことは無理みたいです。そこが問題なんです。あるいはわたしにひとを信頼する気持ちが欠けているのかもしれませんけど、そうだとしても、それは厳然たる事実ですし、それをどうにかすることもできそうにありません。そこで、この日記をつけることにしたのです。
(アンネ・フランク・深町眞理子訳 『アンネの日記』文藝春秋より抜粋)
実際に日々思ったり、感じたりしていることは数多くあるけど、
みんなに話すことなどできない。
話す相手や、場の状況だったり…
BlogやSNSも 非公開にすればというけれど、やっぱり『紙は辛抱づよい』。
日記は書かなくたって良いかもしれないけど、書いたほうが良い。
書けなかったり、書かなかったりする日はあるけれど、
それはそういう日だったということの証。
もっとはっきり言いましょう。十三歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちのように感じている、また実際にひとりぼっちとなんだと言っても、信じてくれる人はいないでしょうから。わたしには、愛する両親と、十六歳のお姉さんがいます。友達と呼べるひとを三十人ぐらいは知っています。
(中略)
そう、なにひとつ欠けているものなんかなさそうです。ただひとつ、その”ほんとうの”お友達を除いては。でもそれは、ほかのお友達みんなについても言えることで、だれもがただふざけあったり、冗談を言ったりするだけ。それ以上の仲じゃありません。身のまわりのごくありふれたことのほかは、だれにもぜったいに話す気になりませんし、どうやらみんな、おたがいそれ以上に近づくことは無理みたいです。そこが問題なんです。あるいはわたしにひとを信頼する気持ちが欠けているのかもしれませんけど、そうだとしても、それは厳然たる事実ですし、それをどうにかすることもできそうにありません。そこで、この日記をつけることにしたのです。
(アンネ・フランク・深町眞理子訳 『アンネの日記』文藝春秋より抜粋)
実際に日々思ったり、感じたりしていることは数多くあるけど、
みんなに話すことなどできない。
話す相手や、場の状況だったり…
BlogやSNSも 非公開にすればというけれど、やっぱり『紙は辛抱づよい』。
日記は書かなくたって良いかもしれないけど、書いたほうが良い。
書けなかったり、書かなかったりする日はあるけれど、
それはそういう日だったということの証。
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更新、楽しみにしています。また、僕のブログ
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