「わ」太鼓の「わ」?!

「わ」に入る漢字は「我」「和」「話」「輪」
「我」の感じる「和」太鼓の「話」をして「輪」を広げていけたら幸いです

個性

2006-06-29 23:26:00 | 太鼓全般
半年ほど前のこと。
ある人から

「SATOさんは個性がない」

と言われた。

「個性」

その人独特の雰囲気とでもいうか、真似しようとしても決して真似できない、その人独特の味とでも言おうか。
この個性をステージでいい方向に利用することが出来れば何もしなくても輝きを放つことの出来る、非常に優れた長所であると思う。

「個性がない」と言われたときに、全く思い当たる節がないわけではなかったので、「ドキッ」としたのを覚えている。

というのも、私が今のチームに入った頃まで話はさかのぼる。
その当時、今と同じようにチームの人数は少なく、どの曲もひとり1パート、控えなどいない。ひとりでも休めば演奏できないという曲がいくつかあった。

そんな状態の中に入った私が目指したことはオールラウンドプレイヤー。誰が休んでも、その穴埋めが出来るようになろう、誰かが休んでも、どの曲でも演奏できるようになろう、ということであった。

意外と物覚えが早かったのと、ちょっと器用だったのが幸いして、いろいろなパートを覚えた。
おかげで、チームの中で、誰よりも演奏できる曲のパートの数は多いと自負している。

決してそれが嫌なわけではない。それぞれのパートの面白さ、難しさを身をもって感じることが出来るから、本当に楽しいし、演奏においてプラスになることが多い。
ただ、マイナスになることもあると思う。
それが「個性」。何でもできるって言うことは、裏を返せば「これっ」てものがない。
「これが私だっ」と言えるものがないため、個性もなくなってしまう。

今ではある程度、私の演奏するパートは固定されているが、まだまだ個性が出てくるには至っていないように思う。

私の個性、ってどうなんでしょう。
自分で意識してできるならあまり苦労しないんですけど、どんなに意識していても出来ないことだから難しいですよね。

私の個性、これからいい味出せるようになれたらいいなぁ。

集中練習

2006-06-26 23:47:00 | 太鼓全般

今の体制では週1回の練習の中で曲の練習をするのがなかなか難しいため、とりあえず、月に1回でもいいから、別の場所を借りてでも曲の練習をしよう、ということで、早速昨日初めての集中練習日でした。

当面の目標は現在は埋もれている曲を掘り起こして、演奏出来る曲の増加。
パート不足により演奏する機会に恵まれなかった曲を、編曲、もしくは他の人に覚えてもらうことにより復活さそうということで練習しました。

私も参加しましたが、すごく充実した3時間でした。(祖母の葬儀の次の日なのにいいのか?と言われそうですが、喪主(私の父)と嫁の了解はとりあえずもらいました

今まで気づかなかったこと、そして、注意しないければいけないこと、自分が出来ていない箇所等々、練習でなければ気づかないこと、そして、練習しなければ直せないことが多々ありました。

おかげでたった数時間の練習で随分とレベルアップしたような気がします。(気がするだけかも)まだまだ人前で演奏できる状態ではありませんが、もうちょっと練習して、早く人前で演奏出来るようにしたいと思います。

でも、今日は筋肉痛です。
最近、筋肉痛が次の日の昼頃から頃から出てくるようになった。
まだ次の日に出てくるからいいものの、そろそろやばいかも


型破り?

2006-06-24 17:37:12 | 太鼓全般

前の投稿からちょっと時間が空いてしまいましたね。

というのも6月21日の水曜日、私の祖母が永眠いたしました。
そのため、葬儀の準備等でバタバタしておりましたが、おかげさまで本日葬儀、告別式を執り行うことが出来ました。

太鼓とは何の関係もないかと思われるかもしれませんが、そうでもありません。

というのも、昨日がお通夜だったのですが、お通夜の前に太鼓の演奏をしました。

私が太鼓をしているせいかどうかは分かりませんが、私の親戚関係にも太鼓を始めた人が多く、私と、嫁と上の息子、姉家族5名、そして、もうひとりの姉を合わせて大人5名、子供4名、計9名で演奏しました。これだけそろえば立派にチームが出来そうですよね。

もともと賑やかなことが好きな祖母でしたので、賑やかに送り出してあげよう、という姉の提案から演奏したのですが、喜んでもらえたと思います。
それとも「うるさいっ!!」って思ってたかも?


集中力

2006-06-20 14:07:00 | 太鼓全般

太鼓の曲ってずっと叩き続けていると、体で覚えませんか?
そして、演奏中に勝手に体が動いていた、なんて経験はありませんか?
私もそういうことがたまにあります。

曲を体で覚えるまで叩き込むことは良いことだと思います。
が、演奏中に体が勝手に動く、ってのはどうなんでしょうね?
私の場合体が勝手に動いているとき、というのは必ずと言っていいほどボーっとして何も考えていないときです。そんなときに限ってふと我に返ったときに、ミスをする事が多いのですが、要するに演奏に集中できていないってことですよね。今までは何とも思わなかったのですが、最近ようやく気付きました。(←今更何を言う!って突っ込まれそうですが、私の中では大発見なのです。気にしないでください(^_^.))

もし、演奏に集中していたら、今どこを演奏しているのか?誰が何をしているのか?そして今自分が何をすべきか?ということを常に考えながら演奏しているはず。(逆に言うと、そういうことをひとつで考えていたならば、ボーっとする余裕などあるはずがない

最近では、自分でも演奏に集中できたときと出来なかったときの違いがなんとなく分かるようになりました。というか、演奏に集中できていないときというのはそのときの演奏に関して何も気付くことがないし、チームとして良い演奏が出来ていないように思いますが、集中できたとき、というのは、良かったこと、悪かったこと、自分なりに反省点を見つけることができるし、チームとしても良い演奏が出来ている傾向が多い気がします。

ひとつひとつのステージ、そして曲を集中して演奏する。
当たり前のことなんですよね。
毎晩毎晩演奏していると、演奏することに慣れ過ぎてしまい、集中していなくても、とりあえず演奏をこなしてしまうため、そんな当たり前のことを見失っていたのかもしれません。(←言い訳です


今でもちょっと気を抜くとすぐに集中力を欠いてしまいそうですが、出来るだけ演奏に集中するよう気をつけるにしています。

毎晩毎晩演奏できるということのありがたさは重々承知しているつもりですが、こういう点ではちょっと考え物ですかね?(←贅沢な悩みです)


辛い季節

2006-06-17 11:03:45 | 太鼓全般

太鼓打ちにとって、大変辛い季節がやってまいりましたね。そう、

「梅雨」

です。太鼓をする人ならほとんどの人はご存知だと思いますが、太鼓の皮というのは一般的に牛の皮です。他には馬、または豚なんてものも聞いたことがありますが、どちらにしても動物の皮です。(最近では人工の皮なんてものもあるようです)この季節、湿気を吸うと、皮が伸びます。
皮が伸びるとどうなるかというと、太鼓の音が悪くなります。
しかも、打っても打っても撥ね返ってこないので、余分な体力が必要となります。
要するに

「いつも以上に疲れる」

ということです。

太鼓打ちの皆さん、この気持ち分かってもらえますよね?

でもその先に待ち受けているものは更なる地獄?です。

そう、

「夏」

です。
「夏」=「祭り」=「太鼓」
というイメージが日本人にはあるせいか、1年のなかで1番太鼓を聞く機会の多い季節ではないでしょうか?
実際、私たちも夏になると、週末にはいろいろなところに出かけて太鼓を演奏するいくことが多い。

しかも
「野外」で・・・・
この野外というのが曲者で、夏の野外というのはとにかく暑い。夏だから当たり前ではありますが、普段野外で汗をかく機会の少ない私にとっては、本当に地獄のようです。

でも、それでも太鼓を叩く理由・・・

「やっぱり太鼓が好きだから


タイトル変更

2006-06-16 12:17:47 | その他

ブログのタイトルを今までの
『和太鼓つれづれ日記』
から


「わ」太鼓の「わ」?!


に変更しました。

最初にブログを開設したときにはあまり考えずにつけたタイトルですが、分かりやすいタイトルではあったものの、あまりに平凡すぎたため、何かもうちょっとひねったタイトルはないかなぁ?と考えた末に思いついたタイトルです。

説明にもあるとおり、「わ」に入る漢字は

「我」、「和」、「話」、「輪」

「我」の感じる「和」太鼓の「話」をしていき、太鼓の「輪」を広げていきたい、
という願いを込めてつけました。

自分で言うのもなんですが、我ながらいいタイトルだなぁと自己満足しております。

みなさんはどう思いますか?

えっ、何?くだらん?


いいんですっ!!

私が満足しているのだから。

ということで、タイトルも新しくなったことだし、これからもボツボツやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします。


自分の中の変化

2006-06-15 12:17:10 | その他

このブログを開設してから、自分の中で変わったことがある。
それは、「人に言われたことを理解しようとするようになった。」ことである。

こんな書き方をすると、今まで理解しようとしてなかったのか?
と突っ込まれそうだが、決してそうではない。

言われたことは理解をしようとしていたし、理解していたつもりである。
ただ、それを他の人に説明できなかったことが多々ある。要するに表面上だけ理解して、本当に言いたい部分を理解できてなかった気がする。
それを、今は本当に言いたい部分を理解しようとするようになった。(とはいえ、まだまだ理解できていない部分は多々あるとは思います)

とても簡単な例えを挙げてみましょう。
「太鼓を楽しく叩きましょうね~」
と言われたとする。
今までは「は~~いっ
で終わりであったが、今は
「なぜ楽しく叩く必要があるのか?」
「なぜそういうことを言うのか?」
その部分を自分の中で追求し、自分なりの答えを求めるようになった。
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
って、なんだかなぁ、今頃になって他の人からすればこんな当たり前のことを自慢げに書いている自分が情けなくなってきた
しかも、そんなこと言うと、今までの文章すべてを自分自身で否定しているようで益々虚しくなってきた

はぁ

はぁ


はぁ



はぁ




これ以上、恥をさらすな!!止めるのなら今だぞ・・・・ボソッ



いやいやいやいや

私はこんな人間である、と開き直って気持ちを切り替えて続けます。

ブログをはじめてからまだ1ヶ月も経っていないが、今はネタ探しに夢中である。
太鼓の練習中、演奏中、はたまた太鼓以外のことをしているとき、とにかく太鼓に関して気付いたこと、誰かから言われたこと、注意されたこと、褒められたこと、等々、不謹慎だと思われるかもしれないが、すべては今の私にとってはこのブログのネタである。
「おっ、これはブログのネタで使える」、と思ったことは、私の頭の中で自分の言葉に置き換えられ、文章化されていく。

自分を正当化するわけではないが、理由はどうあれ、以前よりいろいろなことに気がつくようになった気がするし、他人に説明できるよう、本当の意味でいろいろなことを理解しようとするようになった。(理解できているかどうかは別です)そのことは決して悪いことでないと思う。

それでも、まだまだ、私の弱い頭では文章化できない「ネタ」がいくつかある。
それらについても、近い将来、自分の言葉で文章に出来るようになれればいいなぁ、という希望を持つと共に、このつたないブログを見てくれる方へこれからも暖かく見守っていただきますようお願いして、今回の投稿を締めくくりたいと思います。


練習にて・・・・ の補足

2006-06-14 12:08:27 | 太鼓全般

昨日書いた自分の文章を読み返してみた。
「曲の完成度を高める」ことについて、いろいろと書いたが、自分で書いておきながら分かりづらい文章だなぁ、と思った。
何度も文章を直してみたが、何度直してもしっくりこない。しまいには一時文章を公開するのを止めたほどである。
せっかく書いたのだからと、再び公開しているが、書いた本人がそうなのだから、読む人からすればもっと分かりにくいのではないかな?と自分の文章表現力の低さを
反省反省

そこで、「曲の完成度を高める」ために、補足、というか、もっと簡単で分かりやすく、すぐにでも実行でき、しかも効果のある、まさに魔法のような言葉を思いついたので紹介したいと思う。
その言葉とは












「ちょっと気をつける」

 

である。
「なぁんだ、くだらん、期待して損した」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、この「ちょっと」、というのがミソである。
昨日の書き込みの中で
、「リズムの統一」とか「全体的な音のバランス」とか「音の強弱」とか「演奏者同士の意識の統一」とか「個々の技術向上」とか、いろいろと小難しいことを書きましたけど、いきなり何もかも気をつけることは誰だって不可能であると思う。
でも、たったひとつだけでいい、例えば、「今日はリズムがずれないように気をつけよう。」とか、「地打ちの大きさを意識してみよう」など、気をつけてみませんか?そして、それが出来たかどうか振り返ってみてください。
それだけなら太鼓始めて間もない初心者には難しいかもしれないが、ある程度の経験者なら何も難しいことではないはずでしょ?
それでも、「どこに気をつければいいのか分からん」とか、「気をつけたのはいいけど、出来たかどうか分からん」という方、そういう人は、まずチームの誰かに相談してください。チームの中でどんどん助け合っていってください。
それらを繰り返すことによって、どんどん細かい部分まで気をつけれるようになり、結果、曲の完成度もどんどんと高まっていくのであります。

どうですか?「曲の完成度を高める」といっても、難しそうで、実は簡単なことだったんです。「ちょっと気をつける」ことは誰にでも出来ることです。この誰にでも出来ることを繰り返すことで、個人のレベル、そして、チームのレベルアップにつながっていくと思います。

と、えらそうな事ばかり書きましたが、「じゃあ、お前は出来ているのか?」と問われると、正直出来ていません。
ということで、早速今日から試してみようと思います。


練習にて・・・・

2006-06-13 12:01:13 | 太鼓全般

先々週の練習のことである。
いつもの如く?基礎打ちアンサンブル(基礎打ちアンサンブルについては6月7日の記事参照)を行った。基礎打ちアンサンブルを終え、気になったことがあったので、皆に注意した、というか気をつけようねという感じでアドバイスをした。
その内容はというと、アドリブパスのときに、自分以外の誰かがソロをしているときの地打ちの大きさである。他の人がソロをしているときに、地打ちを小さくしないといけない、という意識は感じられたものの、誰のときでも地打ちが同じ大きさだったので

「太鼓(締太鼓、大太鼓、桶胴太鼓)によって、そして叩く人によって音の大きさが違うのだから、それに合わせて地打ちも大きさを変えるように意識しましょう。」
ということを言った。

その直後こと。まだ時間があったので、水軍太鼓を練習しようということになり、「出陣之曲」をみんなで合わせた。
「出陣之曲」には、締太鼓と中太鼓の掛け合い、そして、大太鼓のソロ部分がある。このときの演奏メンバーの構成は大太鼓1人、中太鼓3人、締太鼓4人+チャッパ1人だった。
まずは締太鼓と中太鼓の掛け合いの部分。中太鼓が打っているときには、地打ちは大太鼓のみ、締太鼓が打っているときには地打ちは大太鼓と中太鼓。
また、大太鼓ソロの時には、地打ちは中太鼓のみ。
先ほどのアドバイスを聞いて理解していれば、どの部分をとっても地打ちの大きさは違ってこなければいけないところである。にもかかわらず一部のメンバーはどの部分の地打ちも同じであった。
先ほどアドリブパスの地打ちについてアドバイスしたことは一体なんだったんだろう?実際の演奏にいかせなければ意味がないじゃないかぁ
と声を大にして演奏後すぐに言いたかったのだが、時間がなかったため、注意出来ずにその日の練習は終わってしまった。あのときすぐに注意できなかったことを後悔している。

願わくば、このブログを見てもらい、気付いてもらいたいと思う。

以前の書き込みで「何のための練習か?ということを常に意識しながら練習する」ということを書いた。「何のため?」最終的なことを言ってしまえば全ては

「お客様に楽しんでもらうため」

である。
そのためには、

「曲の完成度を高める」

必要がある。(当然それだけではないことを付け加えておく)
「曲の完成度を高める」といっても

「リズムの統一」
「全体的な音のバランス」
「音の強弱」
「演奏者同士の意識の統一」
「個々の技術向上」
  ・
  ・
  ・

などなど細かいことをいいだせばきりがないが、出来るだけ細かいところまで突っ込んだ上での高い完成度を求めていきたいし、個々にそういうところまで求める意識を持ってもらわないとチームとしてレベル向上にはつながらないと思う。

結論としては、基礎打ちアンサンブルとは、曲の完成度を高めるための練習のひとつである。

以上のことを理解していれば、上記のようなことが起こるはずはないんだがなぁ・・・・。


宝の持ち腐れ?

2006-06-12 00:20:52 | 太鼓全般



私の私物として、1尺4寸の桶胴太鼓を持っている。
私が結婚するときに、結納返しの品物としてもらった物だ。
いわゆるエンゲージリングならぬ

エンゲージ桶太鼓

である。

この桶太鼓、現在は、ほとんど使われていない。

おかげで、写真を見て分かると思うが、ずっと紐を緩めたままである。

なぜか?

1つめの理由としては、私の出る幕がないからだ。
うちには、SHINさんという心参太鼓の代表であり、桶太鼓のスペシャリストがいる。
私からすると神様のような人である。私など、足元にも及ばない。この人がいる限り、今の状態では、演奏する機会がないであろう。

2つ目の理由としては、人数不足。以前は私も桶太鼓で演奏していたときがあった。
「以前は・・・あった。」
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  ・
  ・
そう、過去形である。現在、心参太鼓は人数不足に悩まされている。
道後のホテルでの演奏は多いときで7、8名、少ないときで3名、平均で4,5名で演奏している。この状態で、私が桶太鼓で演奏できる曲目が残念ながらない。

おかげで現在ではほとんど桶太鼓を触ってすらいない。
たま~に、練習で叩くことがあるが、練習、というほど叩いてはいない。お遊び程度である。

おかげでただでさえ、あまり上手でなかった腕がどんどんなまっていく(T_T)

あ~、じっくりと桶太鼓を練習出来る時間が欲しい