
11月26日に土佐の純信さんとお馬さんの話を書いて、江戸時代
の恋愛や結婚というのはどうだったのかと思い、ちらっとネット
で見てみたら、なんとその頃は庶民の間では、完全に女性上位で
デートの誘いや結婚のプロポーズも女性からするのが普通であった
らしい。
そして離婚や再婚も非常に多く、結婚前に男性側からあらかじめ
離縁状をもらっておいて、それから結婚するというドライな考え方
の女性もいたそうである。これは詳しく調べた事ではないので
江戸市中周辺だけの話で、地方の藩などではまた事情が違ったの
かもしれないが、とても意外に思った。
そう言えばここに引っ張り出すのは見当違いかもしれないが、学生
の時に読んだ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、千葉道場の娘の
さな子の方から竜馬に「お嫁にして下さいませぬか」などと言って
結婚を申し込む場面があったように覚えている。
つまり江戸時代は(庶民の場合)男性はもっぱら誘いや申し込みを
待つばかりの存在だったらしく、想像していたのとではまるっきり
違って少なからずビックリしてしまった。
土佐の話でも後々まで未練たらたらだったのは男性の方で、女性は
早々にキッパリと区切りを付けてしまっている。
思えば平和な時代が260年余りも続いたわけだから、女性の立場が
強くなっていても不思議はないのかもしれない。この文化が爛熟した
江戸時代の終わりごろは興味深い事がもっとあるかもしれず、これ
からもボチボチ調べていこうかと考えている。
という事で、今回3句しか出来なかったが、最近作った俳句をば。
歳晩や耳に久しき知己のこと
内観も中々成らず暦果つ
月冴ゆる未明の街を癒やしつつ
(拙いブログを読みに来て下さった方々に
感謝いたします。皆様良いお年をお迎え下さい)
私もおあずけさんと同じような先入観がありましたが
江戸時代の離婚は夫だけにその権利があったわけではなく
双方の承諾が必要だったみたいです。
また江戸時代は重婚や不倫は重罪であったため、離婚したら
その証拠が重要になるわけで、つまり三行半は「離縁証明書」
でもあるが、「再婚許可証」でもあったという事らしいです。
ちなみに江戸の町人は、どうも男女とも恋や性に対して
おおらかだったらしく、祭り・お月見・花火大会は出会い
の場であり、現在のラブホに相当する「出合茶屋」も繁盛
していたとか(笑)
いつも応援してくれてありがとうございます。
来年もよろしくお願いしま~す(・∀・)
(´⊙ω⊙`)