とりたてて何もない日々のらくがきノート

からだに関することや昭和の懐古、たまに俳句など

巡礼の季節

2025-03-30 08:11:56 | 日記


10年くらい前からわりと若い人のお遍路さんを見かけるように
なった気がする。2年ほど前に30代前半ぐらいのすらっとして
背の高い男性のお遍路さんと行き交った時に軽く会釈をしたが
その人の澄んだ瞳と爽やかさに感じ入った事があった。

「遍路」は春の季語になっていて、傍題には「遍路宿」「遍路笠」
「遍路道」「善根宿」などがある。また秋になると季語としては
「秋遍路」となり、古賀まり子さんの句に、

補陀落の海きらきらと秋遍路 

というのがあって「補陀落(ふだらく)」とは、サンスクリット語
で観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳だそうで、観音菩薩
の降り立つとされる伝説上の山であり、霊場とされているらしい。

それで何年も前に夏井いつき先生の俳句のラジオ番組に、上記の
句に影響されて作った句を投稿したのが、

補陀落を知つてゐさうな赤蜻蛉

で、珍しく放送で取り上げられて嬉しかった思い出がある。

昔と違ってお遍路関係の番組がラジオでも毎週のようにあるし、
外国から巡礼に来られる人も増えて、お遍路もずいぶんメジャー
になってしまった(笑) 私もいつか行きたいとは思うが、何せ
全行程200里、約40日もかかるから相当覚悟した上でないと始め
られない。まあ実行するにしても88ヶ所を連続で回るのでなくて
小刻みに少しずつ行くぐらいしか出来ないかもしれない(笑)

というわけで、今日は以下にお遍路の俳句を記して、おしまい
にする。

すれ違ふ微風のやうに遍路人 鈴木鷹夫

足どりも風もひとすぢ遍路みち 吉原一暁

響き合ふ母子遍路の小鈴かな 奥田恵美

遍路笠沖は黒潮流れをり 益本三知子

それぞれの荷を背負ひけり花遍路 千葉みちる

このごろ思っていること色々

2025-03-25 05:52:52 | 日記


9年前に半日断食で1日2食にして体調が良くなってから
またお酒を飲むようになったせいか、このところ血圧が
高い。歩いているとき、時折ふらつくというか身体が
ふわふわする事があって、手首式ので計ってみると上が
190を越えている(笑)

量は沢山飲まないが(1.5合、多い時で2合ほど)やっぱり
塩辛いツマミを食べてしまうのが原因だろうと思っている。
それなので量も減らして塩気のものもなるべく避けるよう
にしたら、150くらいに落ち着いて来てふわふわもなくなっ
たので少し安心している。

だいたい薬を売りたいためなのか140でも高血圧だとか
言われるが、ちょっと大げさすぎると思う。私は病院は
大嫌いだし(笑)診察してもらったところで降圧剤を出
されるだけなので、そんなところへわざわざ行くつもり
はサラサラない。
まあ年齢も関係しているんだろうし、運動も足りないの
かもしれないが、またひどくなるようなら禁酒して1日1食
を1、2週間続ければたぶん良くなるだろうと今のところ
タカを括っている(笑)

それと運動については以前から筋トレを始めなければ、と
考えているが、これが中々始められない。元々あまり筋肉
がつかない体質だし筋トレは苦手な方なのだが、筋力を
つけないともっと年齢がいってから歩けなくなったり、色
んなところに支障が出ても困るので、やらないとしょうが
ないわけである。

幸い船瀬俊介さんの『60(カンレキ)すぎたら本気で筋ト
レ!』という本があって、ジムにも行かなくてもいいしマ
シンも必要ないそうなので一応その通りやろうかと考えて
いるが、愚図愚図してまだ本を取り寄せていない。この
愚図愚図している時間が何となくどこかしら快感だったり
するわけだが・・・(笑)

あとお米の事について言うと、備蓄米が出回っても値段は
気持ち下がるかもしれないが、去年の夏以前の元々の値段
にはもうならないらしい。なぜかというと日本のはるか東
の方の国の、超々大金持ちの人達が日本にカリフォルニア
米を行き渡らせようという思惑が働いているからなのだ
とか。

お役所やテレビや新聞も牛耳っているこうした人達の描い
たシナリオ通りに進むかはわからないが、輸送中に害虫や
カビがつかないように、収穫したあとに農薬が大量に使わ
れる(ポストハーベスト)というあちらのお米は、私は
どんな事があっても食べないと思う。
また日本でも若い世代で無農薬とか自然農法などを頑張っ
ている人達も出てきて、生産者と消費者が直接取引して
いくようなシステムもあちこち作られるらしいので、これ
から希望が出て来るような状況になっていってほしいも
のだ。

この超々大金持ちの遺伝子組換された綿花の種のせいで
インドの農民が大変な事になってしまっているわけで、
現在進行中のお米の問題もあとあとで大きな悲劇になら
ないように事態が進んでいくことを祈るばかりである。

夢をメモしてみると

2025-03-22 06:04:03 | 日記


Kドラマを観ていて誰かが妊娠したとなると、必ず周囲の
人がどんな夢を見たのかを確かめ合うシーンがある。
韓国では妊娠のお告げ?の夢を「胎夢」(テモン)と
言って、とても信頼していて馴染み深いものであるらしい。

胎夢は普通の夢の時よりはっきりしていて、目覚めても
どんな内容だったか覚えているものなのだとか。
そして力強い動物が出た場合は男の子が、きれいな花や
果物の場合は女の子が生まれる、と言われているそうだ。

そういえばもちろん胎夢とは違うがたまに情景のくっきり
した、まるで現実かのような夢を見ることもたまにある。
一度空を飛ぶ夢をだいぶ前に見たが、眼を下に向けると
地形がはっきり見えてゆっくり流れている様子だったの
を記憶している。

また明晰夢というのもあるそうで、自分でこれは夢だと
自覚できていて、しかも夢の内容を意図的にコントロール
できるものらしい。夢をコントロールできたらさぞ面白い
だろうと思うが、まだ夢の中でこれは夢であると認識でき
た事はない(笑)

それで明晰夢とは関係ないが、去年の12月くらいから起き
た時に夢が頭に残っていればメモしてみる、という事を始め
てみたが、現在のところ何だか意味がわからないような夢
ばかりで、取り留めがない(夢だからしょうがないか・・笑)

それに起きたばかりの寝ボケ頭で書いているからなのか、
そのメモを読み返しても意味が通らないところも少なからず
あって、今のところ何も得るものはないが取りあえずもう
少し続けてみようと思っている。

因みにメモの一番最初にあるのを書いてみると、歩道橋が
信じられないくらい高くされていて、しかも水平の通路の
ところがただの梯子状のものが架けられているだけになって
いるので、さかんに抗議している、という何のことかサッパ
リわからない事が書かれてある・・・
もしかして、何かのバツゲームで軽業師みたいなまねをさせ
られるような事が起こるのかもしれない(笑)

方言・「菜種梅雨」などの句

2025-03-17 06:13:06 | 日記


「菜飯」というのは春の季語になっているが、夏目漱石の
『坊っちゃん』には、生徒が「ぞな、もし」を連発するので
坊っちゃん先生が「菜飯は祭の時しか食わないもんだ」とか
言うくだりがあったと記憶している。「ぞな、もし」は
もうずいぶん前から松山でも使う人はいなくなったと思うが、
漱石先生のおかげで誰でも知っている有名な方言になってし
まった(笑)

南海放送のラジオを聴いていると、パーソナリティが南予出身
の人でときどき方言を使うのだが、この歳になって初めて知る
方言もある。

標準語でさわぎふざける事を南予では「つばえる」と言い「つば
えなさんなよ」「つばえられんで」というように使われるらしい。
東予というか私の地元の狭い範囲でしか通用しないのかも知れな
いが、こっちでは同じ意味で使われるのは「さいがる」である。
子供の頃ふざけていると「こら、さいがるな、さいがるんでな
い!」と言われたものだ。

中学の時に国語の教師が「さいがる」の語源は「猿楽」ではない
か、と言われていたのを今でも覚えている。そう言われたら
確かにそんなような気もして来る(笑) 同じ県内でも方言に
なると様々で、同じ言葉でも全く違う意味になったりする場合も
あるし方言はほんとに難しい。

という事で、またまた上手でもない句を作ってみたので以下に
記す。今回は3句しか出来なかった(笑)


ソーサーの木目波打つ菜種梅雨

山笑ふ頭巾あみだに地蔵尊

襟首のそこだけ黒き蜆汁

東予の民話を少しだけ

2025-03-14 06:21:24 | 日記


地元(四国中央市)の民話の事でも書こうかと思って、ネットを
見たら前に読んだページがどうしても見つからない。「彦八」と
いう名前ははっきり記憶があるが、しょうがないので他はうろ覚え
のまま書いていくけれど、たぶん大筋は間違っていないと思う。
地元には昔からせっかちな人が多かったせいなのか(笑)次の
ような話がある。

昔、彦八いう人がおってこの人はなぜか先がよう見える人やった
んじゃと。そんで権兵衛が彦八に会ったときに言われたことには
何事も急いてはならん、何かあっても思いつきですぐに動かん
ように、ということじゃったと。
ある日、権兵衛が家に帰ったら女房と坊主が布団でいっしょに
寝よったんじゃと。怒った権兵衛は二人を打ちすえてやろうと
したが頭に彦八の言葉が浮かんで思いとどまった。そんで女房が
言うことには、娘の頭に虱がたかってしもうたので全部髪を剃
って、そのあといっしょに寝よったんよ、ちうことじゃったと。

もうひとつは今治市に伝わる民話を。

昔、来島の海岸に作物を荒したり生簀の魚を盗んで食べたり馬屋の
中に繋いである馬を海に引きずりこんだり、人の尻子玉(肛門の口
にあると想像された架空の玉)を抜き取って食べるやらする、いた
ずら放題のえんこ(河童のこと)が住んどったと。
このえんこが、ある骨つぎ医者の女中が用を足しているところを、
毛むくじゃらの手を下から伸ばして、尻子玉を抜き取ろうとしたが
失敗したんじゃと。

この事を女中から聞いた主人の医者が、身代わりで用を足すまねを
して、えんこの片手を切り落としてしもうた。医者は珍しい腕なの
で、木箱の中へ入れて大事に保存することにしたんじゃと。ところ
が、しばらくして片手になったえんこは、「もうこれからは、絶対
悪いことはしませんからご勘弁下さい。早いうちだったら手が元ど
おりにつきますから是非お返し下さい。その代わりにお礼として、
骨つぎの秘術を伝授させて頂くことをお約束します」と何べんも
哀願したんじゃと。

手を返してやった医者は、その後約束どおり骨つぎの秘法を伝授し
てもろうて、鎌田の骨つぎ医者として大いに繁盛したっちゅう話
じゃ。

以上のような、えんこがいたずらのために腕を取られたのを許し
てもらった礼に、切り傷の妙薬を差し出したとか、骨つぎの伝授を
したとかいった話は、あちこち全国的にあるらしい。

私は今まで一度も河童を見た事はないし(笑)、この言葉は知らな
かったが愛媛県では河童のことを、えんこ・えんこう・おそなどの
方言で呼ばれているらしい。あと南予の西予市三瓶町にはえんこが
年ごろの娘さんに化ける話もあって、えんこの話は数多くあるが、
また後日機会があればおいおい紹介していこうと思う。