(↑香川の漫画から出て来たような山)
私の母親の兄弟は七男三女で、長女で上から6番目で
あるが、今日書くのは5日に載せたショートショートの
モデルになってもらった「治」で、一番末の弟の叔父の
ことである。
高齢者にありがちな腰や膝が少し悪いが、元気で今年
85歳になられた。上の男兄弟が次々先に都会へ出て
行ってしまったので、選択の余地なく母親の実家を
継がざるを得なかった人である。
昔、祖父は毎日晩酌をしたらしいが、祖母が一升瓶を
買っておくとどうしても飲み過ぎるということで
叔父が中学・高校生の頃、自転車で10分ぐらいの
距離ではあるが、毎日夕方になると酒屋へ酒を2合だけ
買いに行かされていたらしい。これは当人にとって随分
面倒な用事だったらしく、祖父が亡くなった後でも他に
言う人がいないのか、愚痴というか文句を聞かされたもの
だ。
それで、伯父の一人に商売に手を出しては失敗し、という
のを繰り返していた人がいて、祖父母も当然あおりを受け
て、その時高校生だった叔父は小遣い銭のために、すでに
結婚してまだ事務員をしていた母親の会社を訪ねてきた事
が、度々あったそうだ。
叔父は就職してもしばらくは、給料をほぼ全額祖母に渡し
ていたらしい。何もこのことは聞かされたことはないが、
兄弟の事とはいえ、いくばくか苦労はあったようである。
私がちょっと迷惑だったかなと思うのは、結婚前にデート
なんだから二人だけでどこにでも行けばいいものを、叔父は
なぜか何回か私を引っ張り出して、同行させたことで
お邪魔虫で気まずく感じるのは子供でも同じことである。
(柄にもなく二人だけだと間が持たないとか、恥ずかし
かったりしたのかしらん・・笑)
そして一番私の記憶に残っているのは、なんと言っても
叔父の最初のクルマ、スバル360である。当時としては
画期的な丸っこいフォルムで、軽自動車としてもいい
性能だったらしい。世間では、スバル360をてんとう虫と
呼び習わしたらしいが、叔父は「ケロヨン」と呼んでいた。
私は、この名前の方が雰囲気としてピッタリ来ている
ような気がしてしまう。
叔父が意気揚々と「ケロヨン」を駆って、妻の実家の
ある香川県へのドライブに出かけた時に、私も同乗させて
もらったのを今でもありありと思い出すのである。
ちょっとサツバツとした話が続いたと思ったので、今日は
趣を変えてみたけれど、だからどうしたんだ、みたいな
話になってしまったようだ(笑)