川口和夫のブログです

団塊世代の徒然草風のブログです。

心のスパイラル構造

2024-06-26 08:38:23 | 日記

No⑫

 

   ☆  作成中  ☆

 

No⑫は心のスパイラル構造です。

60年ほど前に私が考えた「心のスパイラル構造」が最近本になって出版されたりするようになりました。

かいつまんで言えば、人の心の内側はスパイラル・螺旋構造になっており、本人の努力によって次第に上向きの

方向に上昇するという考えです。

悩んだりするときそこから逃げ出さないで懸命にぶつかり続けるとそのエネルギ-が蓄積されて自分自身がいわば

穴の底から地上へそして天空へと昇って行くと言う考えです。そんな考えが世間でも認められてきたと言うことなんです。

中にはそれが逆向きのドリルになってより深く地下に潜り込むこともあるようです。

これはある種の逆スパイラルで、人のエゴに住み着いて「悪」へと誘う「悪魔」の仕業のようですが、これについては項

を改めて別枠で考えたいと思いますので、ここでは取り上げません。それはなんとなく「心の病」へつながっていく感じが

してます?が。

ここで言いたいのはエゴの世界などで悩み限界を感じるとき、思い切って動きだせということなんです。もがいてももがい

ても同じところをグルグル回りと感じるかも知れませんが、実はそれが出発点なんです。

 

実はグルグルを繰り返していると次第に心が浮き上がるんです。人間は元々そんな風になっているようなんです。

そして次には世界が客観的に見えてくると思います。まあ世の中色々あるな、って感じでしょうか。

つまり自己撞着から離れて「社会のあるがままの姿」がおぼろげながら見えてくるんです。

その中で自分は何を望んでいるかと言うことが自然に問いかけられ来ると思われます。

暗闇でただグルグルと動き回れば良いのか、そこを脱出して明るい世界に行きたいのか、です。

当然心は明るい世界に行きたいハズです。グルグル回りには実のところもうウンザリなんです。

そうなればシメたものです。世界はどんどんと広がっていきます。

恐らくは、むやみな人との争いを避け、皆と平和に暮らしたいんだ、・・・などです。

そしてしそれが天上の愛と信頼の世界「カミサマ」に向かえばもうスパイラルの地上到着なんです。

心の純化のプロセスです。スパイラルはそこに上昇して行くんです。

ガンバッテ頑張ってこそ、自立した人間として、世界を愛し、分を守り、何かをなすのだ、そんな境地に至る

んです。それが上昇の心のスパイラルの仕組みであり、法則でもあります。

まだそんな経験をされていない方にはぜひお試いしただきたいと思います。現状から脱出して浮き上がって行

くにはそれしかない、しかし実に確実な方法なんです。

もちろん口でいうほど簡単ではありません。そこには血と涙の苦闘・エネルギ-の浪費・空しさもあります。

ただこれではイケナイという心と何とかしたいという強い気持ちがあれば、苦闘の連続の中に次第に「上昇感」が

生まれてくるんです。私の経験から、それが「スパラルの法則」であります。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい「組織」を目指して

2024-06-04 10:00:35 | 日記

No⑪

 

No⑪は「新しい組織作り」です。

 

一つの事例として私たちの田舎の高校の「同窓会作り」を中心に話を進めて行きます。

それは「何の得にもならない」仕事に沢山の人が参加して「自由な組織」で皆さんが活発に協力しあう形を作り上げ

て行ったという、私が経験し参画した一つのスト-リ-なんです。

もう30年も前になるでしょうか、私たちが初めて同窓会なるものに参加したときに遡ります。

まあその頃の同窓会は参加人員も少なく、言うならば「社会で成功した老人たち」の自慢話の会でした。

「どこの大学をでて」「どこの会社に勤めて」「どれだけ出世したか」が主な話題だったと思いだします。

まあそれが同窓会なるものの当時の一般的な姿だったと思います。

「これじゃあイカンな」と言うのが若い新参者の私たちの同級生10数名の最初の印象でした。

そこで取り掛かったのがそんな組織の改革だったのです。

まず最初に始めたのが毎年の同窓会の開催を10年おきの二学年の人達に任せるという新機軸でした。

ある意味の「民主化」です。当番になった各学年の人達が集まって全て企画し実行するという形です。

これで若い層、まだ社会で活躍中の若い皆さんを集めて組織に新風を吹き込むことができたと思います。

私たちの学年、昭和41年卒のが当番になった時の新企画は男子が集団で女装して当時流行りの「カンカン踊り」を

余興としてを披露するというまあ奇想天外なものでしたが、これが会場の爆笑を誘いバカ受けしたものです。

もちろん女性軍も衣装を準備してお化粧をするなどの皆が裏方として頑張りました。

そんなことを重ねてうん十年・・・最近では200名を超える参加者で会場は老若男女の話の輪が広がるように

なったのです。参加者は昔の4、5倍になったんです。これはどこの高校と比べてもまあ破格の規模だと思います。

もちろんそれとは別に10名ほどの「役員会」なるものを作り、組織全体を取り仕切るかたちとして、役員も当番幹事

の中で面白そうな?人を集めて4-5年でそっくり世代交代をする仕組みとなっています。

 

 ここで言えるのはそれが「自由な集団」であることです。

およそ社会のどの集団・組織でも「利益の確保」と「指示命令系統の確立」が優先されます。コンプライアンスの名の

もとに、その統制力はますます強くなっています。内部では「パワハラ」ときには「セクハラ」まで、上司の指示は

絶対であり、「反抗」は許されません。「反抗」は時には「死・解雇退職」でもあります。それが社会の実態であろう

と思われます。

そして組織に利益をもたらす者が出世して最高権力・社長とか会長やCEOなどに登りつめて行くんです。

そこには裏側として熾烈は権力争いがあります。前社長や会長の「お気に入り」になるためのあの手この手なんです。

まあ取締役会とは言っても、内実は幼稚園と大して変わらない混沌とした様子のようです。そのあたりは会社勤めなど

をした方にはよくご存じかと思います。

 

 特筆すべきは私たちの作り上げた「組織」にはまず「利益の追求」がありません。目的は同窓会の発展でありそれは何の具体的

な利益も、もたらさないのです。そして年間の一応の基本計画は作られますが、その実行は下部組織に任せられて「指示命令」

は一切ないんです。すべてはアドバイサ-となる役員の一部と今回担当する学年幹事の「会議」で決まっていくのです。

そして時には熱い議論などがあるものの、それが実にうまく機能している点が大切なんです。故郷を思いその発展を願う

「郷土愛」だけが「求心力」なんです。そんな組織が十分に機能し、そして同窓会が毎年盛会であることをまずはご理解

いただきたいトコロです。

 

 そこで考えるのは「これからの組織、その運営はいかにあるべきか」と言うことです。

それは時代の変化とともに旧来の価値観が大きく変わっているからです。「出世」よりも「ヤリガイのある楽しい仕事」を

望む若い人たちの望む方向に「組織」も変わって行かなければならないのです。

 

 そして私の私の提案①です。

「利益」の代わりに「社会的使命」と言うか、組織の構成員全体の「この会社を盛り立てよう」という意識を創り出すことが

大切なのではないでしょうか。イヤイヤ仕事をするのではなくて自ら進んで「働く」気持ちが大切なんです。時折見かける

組織の圧迫に苦しむ「ブラック企業」には絶対にしてはなりません。

私の提案②は

「指示命令」の代わりに「役割分担による共同作業を」目指すことです。各人がその力や能力に応じてそれぞれの仕事に

全力を尽くす、そして全体が活性化・活発化して成果を上げて行く形を作っていくんです。

成果の分配は難しい問題です。年功や序列などで決まる給与体系ではなく「働きに応じた応分の給与」が必要になります。

皆の生活が成り立ち、困窮者が出ないようにそこには色んな創意工夫が必要なんです。人事課なんてものもある意味

でこれからも必要かも知れません。ただ従来のような「差別化・序列化」だけを目的にしてはいけません。

皆、同じ目的を持った仲間なんです。

 

そんな組織が出来れば社会はもっと良くなると思います。青い顔で辛そうな様子で会社勤めをする姿が世の中から

消えて行くんです。これからの組織は全員参加で、密室社会からの脱出を図らねばなりません。

もちろんまだ新しい組織体系であり、色々と上手くいかないことも多々あると思います。その一つ一つを点検し

改善していく努力は不可欠だと思います。

それが私の願いであり提案です。

そしてこれからはそんな社会に進んでいくと思います。そんな予感がしているんです。

会社でも団体でもあるいは政治家であっても、組織の束縛からの解放なんです。

それは皆さんがそれぞれの「エゴ・辺境の心」を捨て、自分の殻に閉じこもらず、広い世界に飛び出していくんです。

そんな風になれば、誰もが心を大きく開いて社会に参加して行くことで可能になると思います。

今問題になっている、社会に参加できない「引きこもり」も皆が迎え入れることで必ず解消するハズです。

そうです。全員参加の「役割分担」でその総合力を発揮するのが新しい組織を創り出して行くんです。

☆しかし指揮命令ではない、ボランティアの組織から学ぶことは多いですね。まだまだ欠点はあっても

 それこそが未来の組織の「原型」であると思います。☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の政治について・私観です

2024-05-23 09:42:32 | 日記

No⑩

  

No⑩は日本の政治について考えてみたいと思います。

 

もちろん私は政治に関わったこともなくその実態を詳しく知っているわけではなく、特に支持政党があるわけでもありません。

この項はあくまで一介の庶民である私の大まかなそしてかなり偏見もある見方であることをまずご承知ください。

こんな私でも「政治家」になる「夢」を全く持たなかったワケではありません。

その昔は東大法学部→大蔵省→衆議院議員→総理大臣、なんて道が若者たちの前に広がっていた時代でした。

勉強し努力して上を目指して「日本の将来の舵取りをする」、皆さんそんな夢をもっていた時代だったのです。

もちろん戦後民主主義が始まった日本を「正しい道」に向かわせるためです。金儲けでも名声を求めてではあ

りません。

「末は博士か大臣か」なんて時代があったんですね。今はもうそんな時代ではありませんが。

残念ながら東大にも入れずで夢はついえたのですが、それでも議員になって国会にいけばまだ可能性はある

と思っていたものでした。

その夢を完全に打ち砕いたのが私の義理の伯父でありその頃衆議院議員であった〇◇▽次郎氏でした。

「お前、議員なんかヤメとけ。俺は一期で辞めた。あんなツマラン仕事はない」と次郎氏は断言されたのです。

次郎氏は父の旧制中学の同級生で父へ義理の妹であった母を紹介してくれた恩人でもありました。

「そんなモノなのか。どうも派閥のボスに下っ端でコキ使われて、票集めのために会合を渡り歩いて笑顔を

ふりまいてアチコチで酒ばっかり飲んでるようだ」と私は「政治家」なるものの実体を感じ取ったのでありました。

「猿は木から落ちても猿だけど、政治家は選挙に落ちたらタダの人」とか言われるように、議員でなくなったら

生活にも困る、そんな不安定な職業?でもあるらしいのでした。理想と理念だけではやっていけないのが現実で

あるらしい感じがしたものです。

 そんなワケで私は一庶民として生きることを決意して某鉄鋼会社の社員となりました。それでも政治への関心は

普通の人よりは強かったとおもいます。一応、正しい成長する日本の社会を目指しておりましたので。

サラリ-マンになって知ったことが一つ、それは全ての企業や団体から「政治献金」なるものが支出されて

いたことです。当然私の会社からもウン億円、それでは総額は幾らぐらいか、とにかく膨大な金額です。

当然「見返り」を期待しての支出です。たぶん企業や団体を守るための必要経費(税法上は交際費扱いで収益とみなさ

れて課税です)だったと思います。社会にはそんな実態がありました。

そしてそれが何に使われるのか、おそらくは政権与党が選挙に勝つための資金源であろうと私は思っていました。

その昔、かっては票を金で買う、つまり「買収」が当たり前の票集めだったのです。今は違法になっていますが。

そして数十年後の今、恐るべきことにはその実態は全く変わっていないことです。

最近のいわゆる「ウラ金問題」はそのことを満天下にさらしてしまったのです。

 

そして私の想像では、その資金を動かすのはいわゆる派閥のボスで、下っ端の政治家は派閥での働きぶりと当選回数

を重ねてやっと認められてボスになることしかないようなんです。まあヤクザみたいな世界で政治理論ではないんです。

それはその後でこれも国会議員になった義理の従兄弟を傍目でみてきた私の実感と想像です。

総理大臣とか言っても実は派閥のボス達にリモ-トで管理されている存在のようなんです。

そして今私が考えるのは「政治は世の中の数々の利権と結びついてそれが日本を実効支配している」「政治資金の使途は

それを維持するのための諸々の費用である」と言うことです。

つまりは裏側で密かに行われる数々の「取引」や国の予算の「分捕り合戦」の一番の資金源であるらしいことです。

ひらたく言えば高級料亭やホテル、一流店での飲食代などにそのお金は流れて行っているのでしょう。

選挙となればその諸経費(中には票の買収なども?)もバカにならないようです。

そんな実態を明らかにする「政治改革」特に「収入元」や「支出明細」などを政権等が簡単に認めるワケがない、

言うことなのです。

 

 確かに政治家は腐っていますが、その政治家を送り出した「国民」の方も無関係ではありませせん。なんとかツテ

を頼って自分や自分たちの「利益」を確保しようとしていることがその温床になっているのです。

国会で政治資金規正法の改正が遅々として進みません。それは自分で自分の首を絞めることを政治家自身が恐れている

タメだと思います。甘い汁が吸えなくなってしまうからです。それでも世論に押されて少しずつ実体や形は変わりつつ

あるようですが、まだまだ何十年ものやり方を一気に変えるとまではいかないようです。

 

これじゃあイケマセンね。政治家は「お金集め」や「裏工作」が巧ではなく「国の将来のための政策立案」の達人

でなければならないハズなんです。そしてその議論は・アルティザン・国会などでの議論でより深まったものになるべき

なんです。議員の皆さんも最初に政治家になることを決心したときの「意気込み」を思い出していただきたいのです。

英語では「政治屋・ポリティシャン」と「政治家・ステイトマン」が区別されています。欧米でもその実態は日本

とかわらないのかな?と私は推測したいます。

埋もれてしまった現実からの「勇気ある脱出」が求められていると思います。「政治家!」を皆が目指すべきなんです。

それと合わせて国民の皆さんも自分や自分の地域や団体のための「利益探し」から脱却しなければなりません。

裏取引ではなく、自分達の正当性を主張してその実現を図らなければならないのです。

 

エゴの幻想を捨てて、自分だけの利益のみを追い求めず、正しい道を歩こうではありませんか。

お金でつながる社会「金ヅル社会」から皆で脱出しましょう。

それが私の現在の「夢」なんです。みんなで腐敗してしまった政治を変えていきましょう。

そして皆が平等の明るい社会を作って行こうではありませんか。そして争い・特に戦争のない社会をです。

皆さんの心の中の「カミサマ」もきっとそれを望んでいると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の二つの故郷

2024-05-10 16:17:27 | 日記

No⑨

 

 No⑨は私の二つの故郷についてです。

 

最初は大分県竹田市

 九州の真ん中辺り、山の中の盆地です。

大分県と熊本県の境辺りの古い城下町です。山また山のその奥の自然環境豊かな盆地の町でした。北に久住連峰、西に

阿蘇山そして南に祖母・傾山の九州の屋根が聳え立ち、東に向かっては大河・大野川と合流する沢山の河川が流れ出し

ています。

私はこの小さな町に生まれ、22才まで育ち小学校・中学校・高校・大学と私の青春時代をすごしました。

40才を過ぎて知ったのですが、私のご先祖は400年前に越後の国から流れ着いて「渡邊」と名を変えお城の下級武士

として生きてきたのでした。したがってこの町は私の墳墓の地でもあります。

私はこの自然環境に恵まれた町で山野を駆け巡る、まあ山猿のような少年として育ちました。今でも思い出すのは駅裏の崖

の上に立ち山々の大きな大きな自然の景観と崖下の城下町を眺めて、小さな野心を燃やしていたことです。

高校の校歌の一節「清きを誓い気を練れと」の気分だったと思います。

私が子供の頃竹田の町は大分県で10番目ぐらいの中核都市でそれなりに賑わっていました。

夏には夜市が開かれ家族皆で町に繰り出して楽しんだものです。時には蒸気機関車に乗って一時間あまりで県庁

のあった大分市まで出かけることもありました。新調した服や靴を履いて晴れの舞台でもありました。

その町で小学校、中学校、高校と通う普通の少年だったのです。ただ少し早熟で「頭」が良かったらしく、何となく

クラスのリーダ-的な存在だっと思います。当時は子供達の数も多くてすし詰め教室でしたが、共に学び共に遊び、

それなりに楽しく暮らしていたと思います。将来の夢は漠然としていましたが密かに「大志を抱け」の気概があった

と思います。

高校の三年間、毎年周辺の山々の麓を回る40kmの競歩大会も良き思いででした。腰に弁当を下げて全校男子千数百名

が同時にスタ-トして厳しい山岳コ-スに挑んでいくのでした。これで随分と体力が鍛えられたと思います。

女子も20kmのやや平坦なコースだったと記憶しています。

そして22才・・・・

福岡の大学を卒業するにあたって私はこの住み慣れた町を出ていく決心をしました。

それはこの小さな町には農業か商店の後継者になる以外に働く場所がほとんどないためでした。ちょっとだけ開いて

いたのは学校の先生か公務員ぐらいでそれもかなり狭き門でした。つまり働き口がなかったのです。

そして若者たちは次々と町を出ていき、今この町は過疎と高齢化の波が押し寄せ、かっての人口は半減して平均年齢が

60才を超える「限界集落」に近づいて町自体が滅の危機となっております。

時代は私の若い頃とは激変してしまったのです。

今でも私は生まれ育った故郷であるこの町を愛しており、この町を存続させるために色々と苦心惨憺しているところです。

それはどこにもあるように田舎の地方都市独特の様々な問題点があることは認めざるを得ませんが、この件についてはまた項

を改めて考えたいと思います。

 

二つ目は神奈川県藤沢市

 神奈川県の南、いわゆる湘南海岸の町です。南には相模湾そして北には丹沢山塊、西には箱根・伊豆半島の向こうに

富士山が聳え立ち、東側の隣町は古都・鎌倉です。東海道線で東京まで一時間、小田急線で新宿まで一時間の東京の

ベッドタウンです。都会のビル街と田舎の田園風景が並立する風光明媚な暮らしやすい町です。

私は27才で会社の社宅のあった鎌倉市・大船地区で8年暮らし、そこから5kmほど西の藤沢市小さな家を買って

そこで現在に至る42年暮らしております。会社は本社が東京、工場が川崎でしたので、30年以上毎日東海道線に

乗って通勤したものです。この地で子供が生まれ育ち、子供にはこの町が故郷であります。

この町の特徴は「人情にあふれた町」であることです。東京や横浜などにみられる「キリキリ・ギズギスした空気」

感があまりなくて、まあ昔の農村のユッタリ感が残っていることを私は強く感じています。私の仕事場は東京が中心で

30年あまり毎日電車で往復していて、何となく各駅ごとの町の雰囲気が分かってきたのです。

そこでの暮らしは・・・

特記すべくは少年野球のコーチを13年やったことでしょうか。息子の付き添いのつもりが同じユニフォ-ムを着て

グラウンドを飛び回ることになったんです。コ-チの仕事はノックをして守備を鍛え、バッティングピッチャ-として

打撃を鍛えることなんですが、なぜか私はそれが上手で?すっかりハマってしまいました。

それよりもコーチ仲間のお父さんたちやお手伝いのお母さんたちと仲良くなって時には大宴会などをしたことが私には

有難かったです。会社で一日の暮らしに、土日休日は野球の生活が加わって充実した日々となりました。子供達が卒団する

ときは涙の卒団式を何度も迎えました。幼かった子供達の成長がそれは嬉しかったのです。

そんなわけでタダ土日に家で過ごすお父さんではなくて、地域の皆さんと交わりともに行動する生活をこの町では

送れるようになったのです。私たちの子供もこの町でまあ順調にそだち、この町には大感謝であります。

私は今ではこの町が大好きです。たぶんこの町で最後を向かえるのでしょうが、特に悔いは残らないと思っています。

 この町ではもう一つ新しい発見がありました。それは私のご先祖であるらしい坂東平氏の祖で平良文と言う方のお墓

がは近所の二伝寺というお寺にあったことです。400年前に越後(春日山)・甲府から竹田に流れてきたご先祖の

名前が「川口七太夫平忠勝」だったことからこれはかなりの確率で正しいと思われます。まさかこの地で千数百年ぶりに、

と私は驚き時々お墓参りなどをしております。

ここにも昔からの古い伝承があり、何も問題点がないとは申しませんが、輝く海と遠くの山々を見ていますと実に良い

町だなあ、と私はしみじみと思います。

そんなことで私にとって第二の故郷が藤沢です。

故郷はいいなあ、皆さんもそう感じると思いますが、それが私の実感であります。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「抽象力」人間の秘めたる力

2024-04-24 08:06:54 | 日記

No⑧

  No⑧は抽象力について考えてみました。

①科学技術における「抽象力」の力

  ノーベル賞などの科学技術の発展に多大な貢献をして人達が良く言っています。

  研究に行き詰っているとき突然閃いたものが大発見につながった、と。これこそが「抽象力」の賜物のようです。

  ふと全ての疑問が一挙に解決して一筋の道が開けてくる、それが抽象力だと思われます。

  これはAIでは出来ない人間だけが持っている「特殊な能力」です。

②普通の人の普通の頭にも閃く「抽象力」があります。

  ある問題について思い悩んでいると、突然その全容・原因・そして本質が見えてくるんです。

    例えば美しい風景やお花などを凝視し続けると「その何が美しい」のかが突然閃くことなどです。

    周りの色んなものが消えてなくなり「美」そのものが見えてくる・・それが「抽象力」のようです。

③この抽象力が何に使えるかです。

  自分の様々な問題に思い悩むとき、ちょっとその場を離れてみると突然「事実の本質」が見えてくるんです。

   そうすれば「何をどうすればいいのか」に繋がっていきます。解決の糸口が見えてくるんです。

  ア-ティストであれば「美しいもの」の本質を考えます。もちろん色んな能力を駆使してです。

   「それがな何か」が見つかれば、「どう表現するか」に繋がり、作品になっていくんですね。

    またその世界を変形して新なイメ-ジが湧いてくるようです。

    見る側にたてばその作品の「焦点」を見れば良いことになります。名画とは画家の焦点が見える作品であるようです。

  どうも「あること」に思い悩み半端ではない苦労していると、脳がその無効な部分をそぎ落として、ある一点に絞ってくれる。

    それが「抽象力」であると思われるんです。

④抽象力を使いこなしていきましょう。それは誰にでもあるハズなんです。

  深く思い悩むとき、それに疲れたらちょっとその場を離れてボ-とした時間を作ってみましょう。  

  脳の違う部分を使ってアレヤコレヤと思いを巡らす、瞑想なんかも良いと思われます。眠ることも効果絶大で。

  すると突然「脳の回路」がつながって何かが「閃いて」くるんです。それをキャッチするんですね。

     急がば回れかもしれません。一つことに集中することは大切ですが、それは脳を疲労させるだけで

    新しい発想は生まれず、そんなある種のユトリの時間も必要なのかな、です。

     それはもしかするとあなたのカミサマのお助け?かも知れません。思考がループ回転してまとまらないとき

  何度も何度も繰り返しているとき、その溜ったエネルギ-が突然の上昇力を生む、そんな仕組みをカミサマが用意

  してくれているのかとも思えるのです。それがどんな仕組みなのかはまだ解明されてはいませせんが、私に

  はそれを感ずるのです。そしてそれが天のカミサマにつながる小さな入口であるのかもと。

 

最初は慣れないかも知れませんが人間には誰にでも「抽象力」が備わっているんです。

皆で「抽象力」を鍛えていきましょう。焦点が定まれば次にあなたの人生に「創造力」が生まれ心が豊かになります。

もちろん人には個人差がありますから簡単ではないでしょうか、しかし「ヤレ」ば必ず結果がついてきます。

そうです、人間の脳にはすべてを集約する「抽象の回路」が備わっているんです。

それが私の提案です。思い悩んだら脳の「自然回路・抽象力」に期待して待ちましょう。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学技術の急速な発展について

2024-04-16 09:16:12 | 日記

No⑦

 

No⑦はこの70年の驚くべき科学技術の発展についてです。

 

①戦後はタライに七輪、カマドの時代

 私が生まれた昭和20年ごろはのどかでしたが、生活は大変な時代でした。

 洗濯はタライに洗濯板でゴシゴシ、料理はカマドや七輪で火をおこし煮たり焼いたりで手間がかかりました。

 お風呂は五右衛門風呂にマキを焚き付け、冷めない内に早く入れで、沸かすのは主に子供の仕事でした。

 江戸時代から続く「村」の生活で、今に比べれば随分と時間がかかったものでした。

 皆貧しかったけど、平和な楽しい暮らしだったと思います。村全体が争いのない共同体でした。

②三種の神器の時代・昭和30年代

 戦後10数年で生活は便利になりました。TV、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」などの電化製品が出回ってきたんです。

 いわゆる文化生活・製品で主婦の生活は随分と楽になりました。何事も今と同じ「ヒネルとポン」になってきました。

 雑誌などの刊行物も本屋に並び、生活はエンジョイするものへと変わって行きました。

③高度成長で便利な時代・昭和40年代

 道路、鉄道、航空機などが整備され高速道路、新幹線の建設が始まり、モータリゼ-ションの時代へ。

 会社の仕事はソロバンから電卓、タイプからワープロ、大型コンピュ-タ-も導入されて仕事も便利に。

 ただ仕事は機械がするもので、人間はその従者、使い捨ての将棋の駒になって行った感がありました。

④インタ-ネットの時代

 ウィンドウ95の登場が契機でした。世界につながるインタ-ネット社会へと広がって行ったのです。

  脳機能の機械的な利用でしょうか。OS(神経回路)そして記憶装置(記憶領域)が小さな箱に収まったのです。

  沢山のアプリケーションが開発されました。表計算・文書・会計・経理・給与・総務庶務・・そして外部に繋がるネット社会へ。

  その結果、特殊な業務ノウハウは小型のコンピュ-タ-のプログラムに収録されて、人間はそれを操作する人になったんです。

 それからのスピ-ド化、小型化、多様化の技術革新は恐ろしいほどで、今は指先で操作できるスマホになったんです。

  そして今や電車に座るとほぼ全員がスマホと取り出すのが普通になりました、

 超便利になったな反面、ついて行けない層が急増、悪徳詐欺などもも横行して困ったことになっています。

⑤AIの時代・機械が人間に代わる?

 AIが人間の頭脳に代わる存在として登場してきました。

 知識・情報・記憶力はAI、その膨大な量は当然人間の脳を上回るものです。そんなものはこれから不要になる感があります。

  チョンとスマホを叩けば何でもかんでも出てくる時代になるんです。

  将来は人間の脳の代替となる、そんな可能性を秘めています。まだ先のことは分かりませんが・・・。

 ただAIコンピュ-タ-が今出来るのは過去の記録や記憶の集積で、まだ新しいモノを創り出すことは出来ません。

  AIが苦手なのは脳の「事物の抽象化」「想像力」「瞑想」などのファジイな働きの部分のようです。

  新発見のための研究開発の実験なども不得意な分野でしょうか。

  もちろん「カミサマ」の言葉を聞くことも助言をいただくこともありません。宇宙と未来にはつながっていないのです。

  それらは人間の「創造力」に関係する分野のようで、そこがこれからの人間の仕事になる感じが私はしています。

 またAIは勝手な暴走を始める危険を持っています。それを防ぐを「コントロ-ル」の機能の必要性があります。

⑥飽食の時代

  ご飯に味噌汁から、世界中のグルメに世界が広がってきています。世界中の何でも食べられる時代なんですね。

  昔を思うとまさに夢の世界なんです。これも科学技術の進歩の賜物かも知れません。

  ただ食料自給力の低下、農業の衰退などが問題となっています。困ったことも多い、こんな時代がいつまで続くんで 

   しょうか?。私たちは昔に戻れますが皆さんはどうでしょうね。

⑦近代兵器の恐怖

  広島、長崎の原子爆弾の恐怖から始まった戦後はその恐怖をさらに増しています。

  新たに水爆が開発され遠距離・運搬手段としてミサイルが開発されてきました。その精度は近代電子兵器の発達によって

  飛躍的に向上しているようです。また宇宙には人工衛星が無数飛び回っており、さしずめ宇宙戦争のようです。

  そんな軍需産業・軍事力を持つ国が力を誇示し、世界制覇を目指す大国主義へと睨み合っているのが現実でしょうか。

  科学技術を戦争の手段に使ってはなりませんね。我が国は戦争をしない国是を守るべきなんです。

  悪魔に魂を売った人間の失敗とも言えます。科学技術が権力者の後ろ盾になってはいけないんです。

⑦未来展展望

  人間のこれからの役割は・・・・

    ・科学技術の成果に使われるのではなくそれを活用する立場に立たねばなりません。

    ・必要最低限の知識は必要です。しかしあくまで中心は人間であることは忘れてはなりません。

    ・知識・記憶力に頼らない「新しい創造」が人間の「役割」だと思います。直観や感性などを磨き、世界を正しく

     認識しそして創造できる自分達を創り出すことがこれから重要になると私は思います。

    ・世界色々の情報が溢れています。情報過多の時代とも言えます。取り入れる情報の選択の必要もあります。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Myアート考

2024-04-15 13:09:16 | 日記

No⑥

No⑥は私のアートに対する感想や考えです。

 

①出会いは小学一年生の時でした。

 初めて描いた「ニワトリ」の画が市の展覧会で小学生が一人だけの特選になったんです。

 ただ夢中になって(ムキになって?!)書いただけで自分の自信作でももなく、特に画の才能があったとも

   思えず、正直驚きました。結果的になまじの成功は良くなかったのか?と今では思います。

②空白の12年で高校卒業でした。

 故郷の山野を駆け巡ることが大好きだった少年時代でした。  

 写生の時間は最初の5分で下絵を描いて遊び回り、最後の5分で大急ぎで色を塗りで。

 そんなことでロクな画が描けるわけもなくで、鳴かず飛ばずの12年間でした。

 田舎の少年は画や書や音楽などは「軟弱なもの」とバカにしていた記憶があります。困った少年でした。

 まあ、なにも知らない山猿だったんですね。まことに恥ずかしながらで。

 唯一の例外が、小6の全員で一枚ずつ描いた中から卒業文集の表紙に採用されたツクシの画でした。

   あまり力まず自然に描いた?画が先生方の目にとまり、100名の卒業生の中から選ばれたんです。

   この文集の表紙だけは今でも保存して時々見ています。

③大学での音楽との出会い、文学との出会がありました。

 運動部・卓球部の練習に疲れ果て大瘦せして退部した頃、友人に誘われて吹奏楽団に入ったんです。 

 最初はそれこそ「ドレミ」からの入門、ラッパのマウスビ-スの音出しからでした。

 次第に音楽の奥深さを知り、練習に熱中したものです。大学はロックアウトでほぼ二年間毎日練習できました。

    そんなことで大学の吹奏楽部卒業と自分では思っています。

    その頃の仲間たちとは今でも親友、そして音楽は私の生涯の友となりました。

 本も良く読みました。音楽の練習の合間に文庫本などを年に50冊ほど、特に小説を濫読して文学に憧れました。

 兄の長期にわたる入退院などの家庭の事情で、学問・音楽・文学などの進路を塞がれ、東京のサラリ-マンになったんです。

④また空白の33年間でした。

 サラリ-マンの生活は結構キビシイものでした。電車の中で小説などを読むのがセイゼイになって、です。

 文学・青年風?はある上司に「もっと働け」とドヤシつけられて、さらに仕事に熱中するようになりました。

   あとでその上司は私のことをスゴク評価してくれていたことが分かりました。愛のムチだったんですね。

 正直アートなどを考える余裕のなかった仕事漬けの生活だったと思います。

 唯一アートとの出会いが30年前の家族旅行で訪れたルーブル美術館でした。

   モナリザや分厚い絵具で塗り固められた壁一面の絵画、ギリシャなどの精巧な彫刻などが一杯でしたね。

   素晴らしい作品群でした、絵画や彫刻の見事さに圧倒された記憶が今でも残っています。

 そして55才で会社をヤメ、小説家になろうと決心して人生の再出発をしたんです。

⑤感性復活の旅をしました。

 あちこちに旅にでかけ自然に接していわゆる「感性の復活」をしようとしました。

   ニュ-ヨーク一人旅にも行きました。メトロポリタン美術館の作品群にも大感動でした。

 しかし錆びついた心と体を元に戻すのは大変でした。冷暖房の効いたビルの中で数字と書類に睨めっこの自分

 はそう簡単には変わってくれないのでした。

 小説を何十冊か書くも世間に認められず、アイディアと文章力がかみ合わず・失意でした。

  もっと若くて統合失調の幻想でも良いから?自由な発想が湧きだせば・・まあ遅れてきた青年でしたか。

  結局自分流が確立できず、売れない小説家になり果てた次第で・・・。

⑥会社を辞めて10年あまり、フェイスブックでのアーティストたちとの出会いが目を覚ましてくれました。

 そこで目を奪われたのは、プロの写真家たちの作品や、陶器・絵画などの見事さでした。

 そしてそんな人たちの作品を創るための懸命な努力があることを知ったんです。

 それが私の本物のアーティストの皆さんとの出会いだったのです。

⑥そして今

 少しだけ鑑賞眼が・・・一点に集中して作り上げる「創造力」というものの大切さ

 そのスキのない完璧さ・・・一流になるには・修行また修行・ここも厳しい世界なんですね。

    なにを書こうとしたのか意図が大切、プロは対象物の切り取り方が違うな

    どう描いたのか、どう創ったのか、苦心・努力の跡もまた大切なようでした

              良い作品にはその向こうから差し込んでくる「光」を感じるものであるようです。

     しかしアーティストとして生き残ることの大変さは人なみではないんでしょう

  でもまだアートの世界を十分に理解した・・とは言えませんね。おぼろげながら。それがまあ現実なんです。

⑦これからの私は

 自分でも何かを創り出して行きたい願望がますます強くなっています。何ができるかな・・・。

   まずは広いジャンルの音楽を楽しみ、良い写真を撮って・・今できるのはそんなことでしょうか。

 この世界でもカミサマの声を聞きだして、審美眼を養い・美しいものを探し出していきたいものです。

 そんなあんなで、私もアートの夢の世界に少しでも近づきたい。私の今はそんな心境・情況なんです。

 

 すいません。なかなか結論みたいなモノが書けなくて・・・それだけ奥が深いんですね。

でも私にも「夢」があります。アートを愛する皆さんが集まって、「美しい社会を作っていきたい」

もちろん私自身も覚悟を決めてがんばります。

そう私が目指しているのはアートの世界がもっともっと広がって、エゴのもたらす戦争や競争のない

皆さんが幸せになれる新しい社会の創造なんです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真の創造性を

2024-04-05 08:27:11 | 日記

 

N0⑤

 

エゴの造りだす幻想からは真の「創造性」は生まれない。これが私の個人的な考えです。

 

人はエゴの幻想に捉われて、それぞれの問題点を抱えています。

ある作家によれば全ての人は「統合失調質」「鬱病質」「テンカン質」の三種類の中の何れかの傾向・問題点を

持っているそうです。

これは重要な指摘です。病気と言われるのはそのごくごく一部の人ですが、ほとんどの人が何らかの心の問題

を抱えているとも言えるのです。そこがエゴの恐ろしいところなんです。

こでは「病気」の方をまず取り上げますが、それは多かれ少なかれ人そのものの何らかの問題であることを最初

に申し上げておきたいと思います。

①まずは「統合失調症」です。

 その特徴は思考が分散・拡張してまとまりを欠くと言うことです。色んなことに関心を持ち様々なことに

手をだすのですが、どれも中途半端でやりっぱなしに終わることが多いように私には見受けられます。ただ

自分は「正しい」と思いこむ「幻想」が強すぎて、周りの人はそのやりっぱなしに振り回されて迷惑をこうむ

ることが多いのは困ります。ただそれを克服するとアートの世界で素晴らしい活躍をすることも出来るんです。

②は「鬱病」です。

 その特徴は思考が外に向かわず自分の内側に籠ってしまうと言うことでしょうか。周りは敵ばかりと思い

自分を守るために穴の中に籠って、悲劇の主人公になって、周囲のすべてを批判し非難することが多いようです。

これはまた「世の中は全部間違っている」との「幻想」に固まって、引き込もりなどの「自己中心」に陥る危険

があります。

③は「テンカン質」です。

  その特徴は気分が不安定で突然パニックに襲われて周囲の人達を驚かすことが多い、つまり情緒不安定

に陥りやすい傾向があることと思われます。これは突然に現れて周りは当惑するものの興奮状態が止まらず

自分で自分のコントロ-ルができなくなるので困ったことなのです。

 

 さてその幻想を生む原因を色んな角度から探ってみると

①脳内物質のセレトニンやドーパミン、アドレナリンなどの「元気物質」の分泌が生まれつき少ないか多すぎ

 ることで、自分の体ながら自分では制御できない困った現象なんです。

②全身の神経回路が不調、つまり自分の体が自分の意図にかかわらす勝手に動き始めて恐怖や不安になって

 しまうこともあるようです。これも自分ではコントロ-ルしにくい体自体にある問題点なんです。

③それ以外にも自分の育った家庭環境や社会環境で感じた圧力やストレスの影響、その長い間の蓄積も無視

 できません。とくに「愛情」の不足が脳内に「記憶・蓄積」されて悲観的・悲観的になりやすいんです。

④またDNA・遺伝子も大きな作用をします。両親の資質、さらにはご先祖様たちの資質を受け継いで

 自分の気付かないところで、DNAが自分の思考や行動に随分と影響を及ぼしているようなんです。

特に家柄などが良いと(名家名流とか言うようですが)自分は偉いんだと言う幻想を持って、周りの人達を軽

く見てしまう危険などをはらんでしまうんです。

 

 さてここからが本論なんですが、こんな問題にどう対処して自分のカミサマの知恵を借りるのかです。

まずは「同調しすぎ」への対処です。相手のあるいは自分の困った問題に出会うと私達はついついそれに

巻き込まれてしまいます。「困ったな」「それは大変だ」「それは気の毒だ」「かわいそう」「なんとか

してあげたい」と言うのが人間の自然な「情」と言うものでししょう。

これは人として実に大切なことなんです。でもその感情に巻き込まれてはいけません。

 ここで考えなければならないのは「一緒になってその渦に巻き込まれてもどうにもならない」ことなんです。

そこに「N-1」の考え・理論が必要なんです。平たくいえば「一抜け」つまりそこから一旦抜け出すことです。

その問題の事態を3歩離れて「遠くから客観的に見てみる」ことが非常に大切だということです。

そうやって冷静に見てみるとそんなことになった「背景」や「何が一番こまったことか」が見えてくるハズです。

まずは「一抜け」ですね。

 

 そこからがカミサマの出番です。自分の中のカミサマに聞いてみるんです。「どうしたら良いか教えてください」

と聞くと親切なカミサマはきっと答えてくれます。そう自分の中から自分の「正しい答え」を探すんです。

それは「あれこれや色んな要因から来ているんだから、順を追って一つ一つ解決していくしかないね」とカミサマ

はきっとそんな風に答えてくれます。つまり「自分にできること」を丁寧に一つ一つやっていくだけなんです。

問題にもよりますが、難しい複雑に入り組んだ問題を一辺に全てを解決する「妙案」はカミサマでもなかなかナイ

ものです。一緒になって騒いでもダメなんですね。

大切なのは「愛」をもって粘り強く解決しようとする意思なんだと思います。

 

 ここで思い出していただきたいのはNo①で紹介した 

∑幸せプラン=「目標」×「現実の正しい理解」×「創意工夫」×「自己努力」の方程式です。

正しい目標、正しい現実の理解、正しい努力を創意工夫・試行錯誤の中でやって行くことだと私は思います。

そのエンドレスなサークルの繰り返しが「幸せ」に至る真実の「道」であるということなんです。

カミサマの一言はそんなことを思い出させることだと思います。カミサマは直接助けるのではなく、進むべき

道を思い出させてくれることなんでしょうね。

 そして「真の創造性」「自分らしく生きること」はその努力の中でしか生まれないと私は信じています。

幻想から生まれる「創造性」は「真の自分らしさから生まれる創造性」とは全く違っているんです。

その生き様の在り様、あるいはもしアートを目指すなら特に「真の創造性」は濁った水からは生まれてこないんです。

 

 まあ特に難しいことを言っているのではありません。「色々な幻想から離れて、自分自身と周りの人達

正しく見つめ」そして「目標に向かって正しい努力を続ける」ことだけをやれば良いんです。

そのために必要なのが自分の中にいる「カミサマ」の声を聞くことなんです。カミサマはいつも私たちの

身近に・そう私たちの中にいるんです。その姿は私たちの目には見えないんですが。

 

 それが「幸せプランナ-」である私からのたった一つの「提案」です。

そんなことを私はお勧めしたいと思います。それが宇宙の世界の平和につながると私は確信しています。

   

   ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 ただ「脳」や「体」のどの部分に「幻想・妄想」や「カミサマ」がいるかは残念ながらまだ解明されて

いないのが現状ではあるようです。脳科学は進んでMRIなどで血流を分析して脳の部分・部分の働きなどは

研究されていますがその全体系、どう全体がコントロ-ルされてどう部分・部分がめいめい勝手に動いているの

かはまだ未知の世界なのです。

 今はまだただ経験的にこれらのことがおこるかが確認されて「理論」になっているんですね。

それが将来、物理学・量子力学、素粒子論などでハッキリと解明されるのはそう遠くない未来であると思われるんです。

必ずそのその働きの「理論」が科学的に「実証」される日がやってくるはずです。

 また最近のアメリカなどでは「瞑想・マインドフルネス」を「宇宙」へのつながりの一つの手法として活用することが

われています。普段の思考回路から離れて自分の中をユックリと見つめ、人間の働きを大きな目で捉え、カミサマに近づく、

そんな新しい動きもあるんです。またそれは日本古来の「禅」の欧米流の進化でもあります。

 

 ただ一つだけ言えることは、元々が宇宙の塵の集合体である「人間」が宇宙の論理の中にあることは間違いのないことです。

そんなことで、私は人間は必ず宇宙・そしてその先にあるカミサマにつながると考えて論を進めてきました。

そしてカミサマは宇宙から私たちの中に差し込む「光」であるとの理解・認識を持つに至っております。

  まだまだ研究などは途中段階で全体像の海図の完成は十数年先なんでしょうが、今は羅針盤の進路を宇宙の彼方「光」の方向に

向けて、明るい社会を目指して行くことにしましょう。

 

  私自身の自己分析をしてみると、どちらかと言うと「統合失調質」の傾向があり、DNAとしては千年以上「武士」だった

という「上から目線」の傾向があるようなんです。そんな資質が私自身を誤った方向に進みささせかねない「危険」がある

ことを認識すべきなんだと思います。皆さんはどうでしょうか?。まあ完璧な「人間」はいないわけで、そこは理解・認識

し補正して「光」の世界を目指して参りましょう。

 

 

 

次回からは個別の事象について私の考えを述べて行こうとおもいます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の自己紹介

2024-03-16 08:21:43 | 日記

No④ 

 

ここで「川口和夫」の自己紹介をしておきます。

自分のこれまでを思い出すため、そして将来につないでいくための「雑文・よしなし事」です。

 

生まれたのは九州の真ん中の自然豊かな古い城下町大分県竹田市(姥岳・神原地区)

   のびのびと育った少年時代、沢山いた友達と山野を駆け巡り楽しい少年時代でした。

   末っ子で級長さん。なぜか勉強ができた神童?、それも20過ぎればタダの人以下にでしたが。

小学校の卒業式で先生から私に贈る言葉で「エゴイスト」と言われて「善人」を演じた中学時代のこと

   完璧なる少年を目指し、性格は「善人・良い人」なろうとしました。オール5の級長さんでした。

   本当の「善」と自分を良く見せようと演技された「偽善」なるものは違うことを感じ始めました。

   自分も気持ちそのものにも色々とあって、本物の「善」にはなっていないのでは疑いはじめましたんです。

いわゆる受験勉強をしなかった田舎の高校時代

   成績の競争がイヤで目立たぬようにし?、自分の好きな英語・国語・古文などの勉強ばかりしていました。

   したがって模擬試験はいつも中位の成績・大学入学スレスレ・ラインで、放課後は毎日友達と遊び回っていました。

    その頃の悪友たちは今でも親友です。もう60年結束が強いんです。

   将来の目標を「物理学者」から「社会の医師」に変えたのは高3の夏休みの頃でした。

   俄然意欲を取り戻し?半年間猛勉強・・希望の大学に何とか滑り込みました。

   日本育英会の特別奨学金の試験に合格し、授業料や生活費の心配がなくなっのは有難かったです。大感謝でした。

音楽と小説・読書の大学時代・猛勉強、全共闘の時代

   「友を選ばば書を読みて六分の侠気四分の熱」の歌に感じ入ったものでした。

   本を沢山読みました。年間50冊以上、これまでで一番良く勉強したと思います。

   吹奏楽団で音楽の面白さと奥深さを知りました。練習に熱中して居眠りしていた大学の試験は全て一夜漬けでしたが。

   全共闘運動にもちょっぴり!、だけど「こんなモノで世の中は変わらない」と思っていました。

学者の夢を捨て鉄鋼会社の33年・国の基盤作りへ

   何とか鉄鋼会社に入社しました。 溶鉱炉から真っ赤な鉄が流れ出す製鉄所の現場に魅了されてです。

   「鉄は国家なり」の高度成長期、道路や橋、鉄道、電気製品、自動車などの鉄需要が最盛期の頃でした。

経理・管理・人事福祉の時代、利益還元・社員のタメを貫いて当然いわゆる「出世」とは無縁で

   住宅財形&社員持ち家制度導入、社員定期健診・社員健康体力作りの開始などががまあ会社での個人的実績です。

     ほとんど一人でやりとげました。会社の利益最優先の時代、福祉は置き去りの時代でした。当然低評価で。

   会社はリストラ、会社生活の最後はブラック企業の中小企業の谷渡りとなり苦労しました。

     全部一人で全責任・・苦労して使いこなした経理・営業・人事・総務などのソフト習得が今では財産です。

     窮地に陥っても「打つ手は無限」とういう先輩に教わった考え方・手法も財産となりました。

     週末は地域の少年野球チームのコーチを13年、積極的休養?。卒団式は「涙」でした。

小説家目指して55才で脱サラ、貧乏時代の妻のアシストに感謝

    日本全国に出かけてサラリ-マンとしてのサビついた感性の復活の旅、苦労しました。

    文章が法律風の項目列挙になり、四季の変化さえ忘れ、感覚は定型的・・そんな自分を変えるのは大変でした。

    小説は全て新人賞にもならずで。会社生活30年は、時代に遅れてきた青年だったかのかも知れません?

      ここも超キビシイ世界、思えば狭き門は感情のヒダを巧みに描き出す人に開かれているようです。

    この間パートなどで生活を支えてくれた家内には大変感謝しております。ありがとう。

 

  そして現在

 

やってきたことにあまり大きな誤り、間違いはなかった感じはしますが、やり方にはまだまだ性急で稚拙な点

が多くあったことは大いに反省しなければなりません。

「打つ手は無限」ですから、もっと柔らかにしなやかに・・ちゃんと人に伝わるように、なんてことを最近は強く思います。

最初に人を「輪切り・評価」しないでまずは語りかけること、そうですね、自分自身もまたどの人も「宇宙の塵の集合」一介の

「庶民」で対等の立場であることの大切さを強く感じている昨今です。

そんな思いを忘れてはなりません。そうして皆で力を合わせて皆の幸せを実現しなければなりませんですね。

私の人生の再スタ-ト、そしてまとめ、未来への提案・・・・なんです。

 

☆ 次回から各分野の自分なりの実践編・・各論になる見込みです。 ☆

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミサマは皆さんの心の中にいます。

2024-03-10 08:16:08 | 日記

No③

 

今日は私のカミサマ論を書いてみたいと思います。

 かなり私の独断と偏見?に満ちた内容ですので、仏教やキリスト教、神道などを信奉している方々には

反感を買うかも知れませんが、無神論者の76才の老人のそれなりの結論とお笑いいただければ幸いです。

私の元々の疑問は数千年前の神様が本当にそんなこと、やたらと難しいこと!を言ったんだろうか?と言う

点です。

 どうも現在の各宗教はお釈迦様やキリスト様の元々の言葉とは全く違う?のではないかと私は思ったん

です。そんなハズがない、もっと分かりやすくて簡単なものだったんじゃあないか、それが私の聖書や仏典

を読み始めて感じた言うならば「直観」でした。そしてその歴史を紐解くと、それは宗教が時の政治と結びつい

てある意味捻じ曲げられてきた記録が読み取れてくることで確信に変わってきたんです。

キリスト教が「法王」なる神の代弁者とそのしもべである支配者「王様」の指示に従い、忠誠を誓うモノに

変わり仏教が「仏の道」にまい進するような形になって行ったのは、その後継者と称する人たちの作り出した

いわゆる神学・聖書や仏典・なる文字化された膨大で難解な体系・ある意味でジャングルではないかと思う

ところがあるんです。

 そもそも当初は十字架や仏像、いわゆる「偶像」なるものは存在しなかったと思えることなんですよね。

ここで極論すれば仏教は「天上天下唯我独尊」・人は皆宇宙の一部を構成する尊きもの、キリスト教は

「汝の隣人を愛せよ」・皆で愛しあい協力せよ、の二点に収束するのではないかと私は考えています。

 それではカミサマはどこにいるか?、私は人間一人一人の体内に「完全にして聖なるもの」として元々

存在しているのではないかと考えるに至ったのです。神様も仏様も人間皆の中にある「聖なるものの抽象化

された集合体」と考えると全てツジツマが合う、私には納得できるということです。

神様も仏様も信じるなと言っているワケではありません。結婚式は神様で、お葬式は仏前で、それはそれで

イイんじゃあないのでしょうか。ただ一番大切なことは「自分の心の奥にある聖なる部分の声を聞く」こと

だと私は思うに至ったのです。カミサマの偶像を自分の中にある「聖なる部分」と重ね合わせることで、その

イメ-ジを持ってもう一度考えてみると、自分の人生が広く大きなものになって行くんではないか、私はそう思

んです。

それがエゴの作り出す幻想や妄想世界から離れた真の自立ではないかと。

 最近欧米では「ホーリ-・スピリッツ」なる言葉が叫ばれております。それは人皆の中にある「聖なる部分」

と言い換えることができるのではないでしょうか。。

それが現在の私の主張です。もし私の意見に同意できるならば皆さんも自分自身を良く見つめて、その「聖なる

声」に従おうではありませんか。カミサマは人として生を受けたときにすでに完全な形で人間みんなの中にいるん

です。ただ成長する過程でみんなそのことを忘れてしまっているんです。

みんなで現実の世界を生きるなかで取り込まれてしまったシガラミから離れた、もともと自分の中にあるカミサマ

の声を耳を澄まして聴き、もっと自由で楽しい社会を作って行きましょう。

それがこの項を書き連ねた私の切なる願いです。

 ちなみに私のカミサマは私がある問題が解決できずに困りはてていると突然現れて小さな「ヒント」を耳元

で囁いてくれる親切なカミサマでもあります。そんなことで窮地から脱出できたことがこれまでに何度かあり

ました。そんな厳しさだけではない温かみのある存在でもあるんです。まあこれも幻想かも知れませんが、そんな

カミサマを信じて行きたいものです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エゴの幻想から脱却して「正しいエゴ」へ

2024-03-04 08:48:05 | 日記

No②

 

 人は生まれてくるときは皆が「無垢」つまり全員が神様のお使いと思います。生まれたばかりの赤ん坊

を見れば良く分かる、そしてそれは極めて大切な「事実」なんです。

ただ成長するにつれて「自己意識・エゴ」を自分の中に育てていきます。それが人間でもあるようです。

エゴは成長の初期では重要な役割を果たしています。すなわち「自己確立」を果たしてくれるのです。

他の誰でもない、自由で独立した「自分自身」を自分の中に作り出してくれるのです。それがエゴの

大切なお役目であると私は考えています。

ただ最近の諸々の研究からエゴの弊害も指摘される時代にもなってきています。

それはエゴが自分自身を正しく認識できずに、自分なりのスト-リ-で勝手に自分を決めつけてしまう

ことです。「私はエライ、私は人の上にたつ人」から「私は弱い、ダメ人間の罪人」または「私は周り

の世界の犠牲者」などなど、様々な現実ではない「自分像」つまり虚像を作り出すんです。そしてその

虚像を自分自身だと信じてしまうんです。

それらが実は全て誤り、全て自分が作り出した幻想あるいは妄想であることが注意を要するところです。

恐ろしいことになんといままで私達はそれに気づいていなかったんです。そうなんです。私たちはもともと

「完璧な精神と肉体を持つ、神のつまり宇宙の子供達」なのでそんなことがあるワケがないのです。

まずは自信を取り戻しましょう。幻想ではなく本当の自分自身に立ち戻らなければなりません。

そこに気づいて自分なりに苦心し考えて「エゴ」の世界から脱却すれば、そこにはこれまでとは違った

「広い世界」が見えてくるんです。

「本当に自分がやりたかったこと」「自分が一番大切にしたかったもの」を見つけだし、そしてその結果

として全てのシガラミから離れた自分の中の聖なる部分・ホーリ-・スピリッツも見えてまいります。

 

まずはその「ジャンプ」、本来の自分への復帰、正しい自分像の理解を皆さんにをお勧めしたいと思います。

それは人を下げて自分を上げるエゴの世界ではない、皆が平等で助けあう究極のエゴの世界なんです。

 

 私は12才のとき「お前はエゴイストだ」と決めつられ、私のエゴとの戦いが始まりました。

以来60年そんなことを考え続けてきたんです。見せかけの善人を装っても「心にやましいモノ

がある限り」それはニセモノなどと考え始めたものでした。

そして今、やっとその解決法が見えてきたのです。

あなたにもそんなやり方を紹介したくて、一文をしたためたところです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せプランナーの川口です。

2024-02-15 14:33:40 | 日記

No①

 

私は今年で77才になる後期高齢者です。そんな私が考えた人が「幸せ」になるための私のプランを紹介したいと

思います。納得できればまずはやってみて、納得できなければもちろん自分なりに別のやり方を考えてみても構い

ん。とにかく皆さんに「幸せ」になっていただくことが私の切なる願いなんです。

投稿は何回かのシリ-ズになると思います。今回はその第一回目となります

 

まずは私の考えた幸せプランの公式です。

∑幸せプラン=「目標」×「現実の正しい理解」×「創意工夫」×「自己努力」のエンドレスなサークルです。

この実践であなたも私も、そう皆が「幸せ」になれるはず、なれるんです。

その概略を説明いたします。

 

①は目標をもつことです。

 目標は小さなことから大きなことまで、身の回りから全世界や宇宙まで数限りなくあると思います。

できるだけ多くの目標をもっていただくと、幸せも多くなる、それがこの第一段階です。

そのためにはまずはホンの小さな日常生活の目標からスタ-トすることが良いかもしれません。

その目標が達成できたら次にもう少し大きな目標へ、と順次ステップアップするそれが現実的なんでしょう。

そして最後は最大に大きな目標、世界や宇宙の大きな中でエゴから脱した自分の中にある「聖なる声」ホーリ-

スピリットに近づくことになれば幸せ感はこれも最大になってくる、それが私の考えなんです。

 

②は正しい現実の理解です。

 これは簡単なようで実はかなり難しいことなんです。

なぜなら人間の頭脳は実は幻想や妄想に支配されていて、現実の自分をハッキリと見せないようにしているからです。

自分はダメだとか、自信がナイとか、自分は罪を背負っているとかは本当は自分で作り出した「スト-リ-」であって

本当の自分ではないからです。私は万能、私は神様のお使い、私は何でもできるも本当の自分ではありません。

それは自分の中の「エゴ」が自分を守るために作り上げた「お話」なんです。本当の自分を作るために必要だった

「エゴ」は知らずに拡大して、自分の周りに幻想や妄想の壁を作っていることに気づかなければならないのです。

そこで必要なのは「自分の現実の姿」を見ることです。自分の現在の力・・自分自身をそしてその現実をしっかりと

みつめてその可能性を夢ではなく現実として理解しなければなりません。

 私流に言えば宇宙の塵の集合体である小さな弱い自分、だけど大きな可能性ももった自分であることを認識して理解し

そこをスタ-トとしていただきたいと思います。

 最後に幻想や妄想が「心の病気」になることには気をつけねばなりません。例えば自分自身の幻想が異常に拡大し

てまとまらなくなる(統合失調)自分自身の幻想が世の中と隔絶して自分の中だけに集中する(うつ病)突然情緒が

不安定になる(てんかんなど)になって自分でコントロ-ルできなくなったときは医師やセラピストと相談すること

も必要です。

 

③は創意工夫です。

 目標を達するためには創意工夫が必要です。私は基本的に「打つ手は無限」だと思っています。つまり「創意工夫」

とは色んなことを多角的に考えて、その中からベストと思えたものを試してみて、また何度もやり直して本当の

ベストを考え出すことだと思います。画家が何度も描きなおしたり、絵具を重ねて作品を作るように、目標を達成

するためにはその作業が必要だと思うんです。ある種のイメ-ジ・トレ-ニングだとも言えます。

ただ無限の手段の中に「自分だけのため」や「人を欺いたり、裏切ったり」「虚勢を張る」の手段はそれも困るんです。

ときにはそんなことも必要かも知れませんが、そんな手段ががベストに選ばれないために正しい「創意工夫」をしてい

きたいと思います。

 

④そして最後は「努力」です。

 文字通りの「日々頑張る」こと、ある種の「精神のハード・ワーク」も何かを得るためには絶対に必要です。

努力に勝天才はなしとも申します。なにもせずに成果を求めること、棚からボタモちはあまり期待せずに、とに

かく頑張りましょう。ときには天の配剤か「突然のひらめき」で大きく方向転換することも必要ですね。

わたしにも時々ありますが、それは苦心・苦労の中から生まれるものです。

ただ頑張りすぎて体を壊しては元も子もありません。これも自分を見つめて無理のない自分にできる範囲でやるべきで

時々休んだり、まあ努力をエンジョイしながら前に進んでいくことだと思います。

 

私のお勧めは自分の中にそんな①から④のサークルを作って前に進んでいくことです。それであなたが「幸せ」になり

そして世界の皆さんがそれぞれに「幸せ」になってくれれば最高です。そんな皆さんとの結びつき、協力も大切です。

もちろん私も「私の幸せ」を求めていきます。皆さんもそれぞれに頑張って行きましょう。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プログ開設

2009-11-29 10:23:03 | 日記

川口和夫新規ブログを開設しました。従来のブログは新規の書き込みを中止して

2023年8月をもって廃止する予定です。

 2023年8月31日



               川口 和夫(ペンネ-ム・川口泰平)

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする