Taff's Around the World

山崎達矢、世界一人旅。世界の友は "TAFF" と彼を呼ぶ。1994年7月19日、彼はたった一人、車に乗りこんだ。

右ハンドル車走行禁止 その2

2006-03-21 23:29:11 | Weblog
右ハンドル車走行禁止ということで、ベトナムに車が入国出来ずにしかたなくラオスに戻り、ラオス最南のカンボジアへと抜ける国境を通過し首都プノンペン着。

メールボックスに、親子5人でキャンピングカーで世界一周をしているスイス人の友人(www.escampette.net )より、彼らにベトナムは右ハンドル車走行禁止で入国出来なかった。という私が送ったメールに対しての返信が来ていて、なんと!彼らの友人でもう長くホーチミンに住むヨーロッパ人の話では、つい最近その法律は撤廃された。まだ、地方の国境にはその情報は届いていないのだろう。と言っていた。とのメール。この時彼らはホーチミンに居てベトナムで私は彼らと会う予定をしていた。

なんちゅうこっちゃ!
だから何度も係員に首都ハノイに確認の電話をしてくれ。と国境で言ったのに、、、、コレヤ!畜生!

早速、プノンペンのベトナム大使館に行き確認をする。
しかし、その対応はビエンチャンの時とまったく同じで、
わからない。
最近その法律が撤廃された。と聞いたので確認をハノイにしてほしい。と頼んでも、
そんな必要はない。
そんなことは領事館の仕事ではない。
国境で尋ねろ。
で追い出された。

まったくあきれる回答。

相手にしても埒があかないと思いしかたなく日本大使館へ行き、ベトナムの日本大使館に問い合わせをしてほしい。とお願いする。
はじめは、直接にベトナムの日本大使館に問い合わせをしろ。と言われたが、メールで問い合わせ出来るならまだしも、電話でしか連絡とれない。(大使館によってはEメールでの連絡をしてもらえる。)
電話代金が大変なのでこちらを通して回答がほしい。と頼むと、OKしてくれ明日にはメールで回答を送ってくれる。という返事がもらえた。
さすが、日本大使館。

その回答を首を長くして待つが、3日たっても4日たっても連絡がない。
たぶん確認に時間がかかっているのだろうとは思ったが、それならそうと調査中でまだ時間が必要です。というような連絡があってしかるべきだろう。
もうその時はシェムリアップに行っていたので、プノンペンの大使館に行くことも出来ず、その大使館のメールアドレスは技術的な問題より一時的に閉鎖されている。直接にベトナムの日本大使館に問い合わせしたいところだが、そこはメールアドレスがない。
頭にきて外務省のホームページからすぐに回答がほしいとメールを送る。

すぐに返信が来た。プノンペンの大使館より連絡を入れるとのこと。
さすが日本。

やはりまだ調査中で、回答はホーチミンの領事館より直接来る。とのこと。
しかし、その4~5日後回答は外務省から来て、右ハンドル車走行禁止の法律撤廃の事実は確認されなかった。とのこと。
結局はまだダメだった。

旅をしていると情報が大変大切になってくるが、その信憑性はまちまちで、やはり結局は行ったところでの確認。が一番である。


大使館について少し。

前回のメールで書いたように、
他国登録車のベトナム入国は、一旦車を国境に置き人間だけが入国、その国境管理県庁の警察署へ行き車両入国一時許可証を申請取得し、ベトナムナンバープレートおよび自動車保険を取得後車を置いた国境へと戻り、やっと車両と共に入国となる。
と時間と手間がかかりややこしい。
私の友人でトヨタランドクルーザーで21年間世界一周をしているスイス人夫妻(www.weltrekordreise.ch 彼らは同じ一台の車で長年旅行を続けている。ということでのギネス保持者)は、ベトナム入国前にカンボジアでハノイのスイス大使館と連絡を取って大使館に入国に際しての必要諸手続きをしてもらい、何と、入国時にはベトナムナンバープレートと自動車保険が国境のベトナム税関に来ていた。という夢のような話。
彼らに君も大使館に頼んだら?といわれたが、
めっそうもない。日本大使館がそこまでするわけがない。
と日本大使館のお粗末さを説明した。
まぁ、それでもベトナム大使館から比べると天使のようですが、、、

またまた、私の友人で現在トヨタハイエースで世界一周をしている日本人夫婦がいる。現在ヨーロッパ。
彼らの友人でヨットで世界一周をしていた日本人夫婦(http://members.aol.com/yumemaru99/)がいて、彼らとパナマで会ったそうです。その後ヨットの夫妻はエクアドルのガラパゴスへと出航したのですが、10日後くらいにパナマの港に戻ってきた。
海賊に船で体当たりされて襲われ、GPSから海図100枚、その他重要なものばかり盗まれたそうで、船の修理もありパナマへと戻ってきた。
日本大使館に被害届けを出しても、その受理だけで終わり。
港に居たほかのヨットのアメリカ人がその話を聞きつけ、アメリカ大使館に連絡したところ、なんと、アメリカ大使館が海賊退治に動き出した。

マレーシアでどうしても重要な車の通関書類、カルネを受け取りたかった。
発行はスイスの自動車協会。
そこが言うには重要書類なので、郵便局の局留めでは発送しない。と言う回答。
ペナンの日本領事館にEメールでお願いする。
いつまで待っても返事がこない。
もう時間がない。
しかたなく、タイから国際電話して返事を聞く。
すると、あぁ~メールの人ですねぇ。
荷物、手紙にかかわらず受理、預かりはいっさい出来ません。
の返事。
それならそれでかまわないが、返事よこせ!
確かに時期が悪かった。
その10日ほど前にクアラルンプールの各大使館9箇所くらいに(日本大使館も入っていた。)不信郵便物が送られてきて、騒ぎになったところだった。

しかたなく、メールでスイス大使館にお願いする。
すぐに回答が来て、本来はスイス人の郵便物のみ受理し、一時預かりをするが、今回はおおめにみましょう。
ということでOKしてくれた。
えらい違いや。

韓国の大使館などは、その国の韓国企業の後押しを強力にするらしい。
カメルーンにいた三菱自動車販売の社長が言っていた。
日本の大使館は官が民間企業に手を出してはいけないと思っているんだよねぇ。

アメリカの大使館なども旅行者に対してとても手厚い保護をしてくれるらしい。

前記した、スイス人夫妻がベトナムのハノイで新聞取材にあい、
「152カ国も旅をして、どの国が一番のお気に入りですか?」
と質問されて
「チリが私たちのお気に入りの国です。」
と答えたら、翌日ハノイのチリ大使館からスイス大使館に彼らを夕食に招待したい。と連絡があり、彼らはチリ大使館の招きでたいそう立派な夕食をご馳走になった。と言っていた。

これを粋なはからい。と言うのだろう。
日本大使館には逆立ちしても真似できまい。

2006.Feb.

右ハンドル車走行禁止

2006-03-20 02:50:20 | Weblog
ラオスよりベトナムに行った。
ラオス北部の道を東へベトナムまで行く予定だったが、道がクネクネ山道で時間がかかり、その上その地域は反政府軍の住処で危険。
よってラオス中部の国道9号線を東へと走ることにした。
勿論前記理由もだが、変更理由の第一は次の情報を入手したから。
他国登録車のベトナム入国は、一旦車を国境に置き人間だけが入国、その国境管理県庁の警察署へ行き車両入国一時許可証を申請取得し、ベトナムナンバープレートおよび自動車保険を取得後車を置いた国境へと戻り、やっと車両と共に入国となる。というもの。

よって、国境よりその国境管理県庁の距離が近い国境を選んだ。この間はバスで往復しなければならない。

ラオス>>ベトナム国境に午後3時前着。
ラオス出国は問題なく終わる。
ベトナム入国手続き。
いきなりイミグレで、入国出来ない。と言われる。
もしや、、、、と頭にあった不安が大きくなる。
それは、5~6年ほど前にテレビでベトナムは右ハンドル車走行禁止。と聞いたことであった。
しかし、もう5年以上前の話。
走れなかったラオスもカンボジアも走れるようになった。
ベトナムも、、、、とほのかな期待をしていた。

イミグレに英語の解かる人間はおらず何を言っているのか解からないが、その意味するところは解かる(解からないふりをしていたが、、、)。
すると英語が少しわかる若い女性係員を呼びに行った。少し向こうの人。
コンピューターに向かい仕事中。
待つこと10分近く。
おーい!待ってるで!
と優しく言う。
彼女のコンピューター画面を近くまで行き覗き込むと、何とコンピューターゲームやってくさる。
一気にキレタ。
ドアホ!こっちはずっとおまえを待ってるねんぞ!
何をしてんねん!さっさと来い。
と、もう大阪弁。
経験から言ってこういう時には大阪弁がよく通じる。(通じるわけないが、何が言いたいのかはよく理解してもらえる。)

やっと来た。
言うにはやはり右ハンドル車は入国させない。とのこと。
わかった。しかし、ひょっとするとその法律は変わっているかもしれないので、念のために一度ハノイの運輸局に確認の電話をしてほしい。
と頼む。
そんなことは出来ない。と簡単に断られて終わり。
それでもまだ食いつく。
すると、その彼女の上司らしい男性のところに行き何やら相談。
すぐ目の前の人。こちらを向いてコンピューターに向かっている。
待つこと10分以上。
もしや? と思いその画面を覗き込むと、やっぱりこいつもコンピューターゲームやってくさる。ゲームが一息つくまで待たされる。
アホか!おまえ仕事せい!人がいないならまだしも人待たしてゲームするな!このボケ!
と大声で言う。もちろん大阪弁。良く理解したようで、すぐに本題に入った。
しかし、女性と同じことを繰り返すだけ。
電話も出来ない。で終わり。
彼女は、
もう長くここで働いていてよく知っているので、電話する必要はない。
と言い張る。
何を行ってもダメ。聞いてくれない。
しかし、それなら税関に行って尋ねろ。と言われ、ハッとした。
ここがてっきり税関だと勘違いしていた。
アホや。こんなやつらと話する必要なかった。
税関へ。
まぁ、同じことになるだろう。と考えてはいたが、、、
やはり同じことを言われ、同じように
それならば確認の電話をしてくれ。
と頼むと税関の兄ちゃんはすぐに自分の?携帯電話で県庁警察署に電話して尋ねてくれた。
えらく違った展開にこちらが驚いた。

警察も調べて折り返し連絡する。と、とても良く出来た返事。
おりこうさん。
待つこと30分。ちゃんと連絡がきた。
その回答は、やはり右ハンドル車は入国させない。とのこと。
残念。
しかし、はっきりしてすっきりした。
まぁ、しかたない。
ここまで来たのに、、、


こんなことにならないように、もちろんラオスの首都ビエンチャンのベトナム大使館に行って、この件について事前に尋ねていた。
しかし、その回答は、
そんなこと解からない。
たぶん、難しいぞ!
それなら、ハノイの運輸局に確認してくれ。と頼むが、
そんなこと出来ない。と言われておわり。
それでも言っていると、
そんなことは領事館の仕事ではない。
知りたければ、国境のベトナム税関に聞け。
と言われ、
11時半の午前中の業務終了時間になったので、出て行け。
と言われて門を閉められた。
まぁ、こちらも状況からして話をしてもしかたない連中と判断したので、もうそれ以上何も言わず、国境に行くことにした。
経験からいって、こういう国では行ったとこ勝負のことがほとんど。
その対応した係員によって入国出来たり、出来なかったりすることがある。
よって、行ったとこ勝負。と考えていた。


しかたなく、車は置いて、自分だけベトナムに入国し、国境街の市場だけを見てきた。
ほんの一時間。これが私のベトナム。
その印象は、たった一時間の間にあった人だけについてだが、いいものではなかった。

しかたなくラオスに戻る。
な、なんともう5時を過ぎて(5時5分)、ラオス国境の係員がいない!
えらいことや!
こんなとこで、明日の朝まで待たねばならないのか?

とにかく、人を呼ぶ。
税関の人が一人だけいて、イミグレを呼んでくれる。しかし、またビザから取得せねばならない。事情を話すが、やはりビザがないとダメ。でビザセクションの人をまたまた電話で呼び、ビザを作り(時間外手数料ということで、ビザ代30ドルの他に3ドル余計にとられた。)、入国。次は税関。これも実にスムーズにカルネという車の通関書類に印をもらい無事ラオスに戻れた。
ベトナムに入国出来なかったのは残念だが、うまくラオスに戻れたのはラッキー。国境でビザが取得出来たのが幸運。もしも取れなかったらラオスビザ取得のためにベトナム首都ハノイまで行かなければならなかった。

しかたない、ラオスからカンボジアに行く。


2006.2.11

弱り目に祟り目。 泣きっ面に蜂?

2006-03-08 00:11:08 | Weblog

重要書類などなど私の最も大切なものを盗まれてから一週間。

昨日より風邪。
鼻水、くしゃみ、咳、痰が出て苦しい。
とにかく鼻水がやっかい。四六時中出てくる。

本日長時間絵はがきを書いていて、椅子から立ち上がった瞬間にぎっくり腰になった。
腰が痛くて痛くて歩くどころか、咳が出ても痛い。
2、3日は動けそうにない。

あ~どこまで運が悪いのか?
もう何かいいことがあってもいいんじゃないの?

2006.3.7. プノンペンより

またやられた!

2006-03-01 21:48:31 | Weblog
やられた! 
畜生!またやられた!(この7年9ヶ月におよぶ旅行中何度もやられている。しかし、今回のが最大の被害。)

シェリムアップ(カンボジアのアンコールワット遺跡のある街)の安宿で寝ている間に、鉄格子の入っている窓から私の重要書類一式の入ったベスト(カメラマンや釣り人がよく着ているポケットのいっぱい付いたチョッキ)やカメラなど盗まれた(AM2~7時の間)。

パスポート
クレジットカード3枚
現金250ドルくらい
国際運転免許証
日本の運転免許証
車の登録書
車のスペアキー
現在までの走行明細書(各国の入出国日、走行距離、滞在日数などなど)
世界中で会った750人以上の友人情報の入った電子手帳
電子辞書
腕時計
結婚指輪
友人たちから貰ったお守り
デジカメ
ビデオ
短波ラジオ
などなどなどなど、、、、、、、
被害は大きい。
大きすぎる!

ベストに重要な物すべてを入れていたのが被害を大きくした。
しかし、それがゆえにベストだけはいつも眼を離さずに体に付けていたのに、、、
鉄格子が入っているからと安心したのが大失敗。
部屋は二階だったがすぐ横に塀があり、それに上れば路地に面した窓から手が入る。
もうひとつのベットの上に置いていたのを(もちろん外から手の届くような所ではない)何か長い棒のようなもので引っ掛けて取ったのだろう。
何がしかのゴソゴソと音がしただろうに、よほど疲れていたのか?まったく気がつかなかったのがまた悔やまれるし、お粗末だ。


普段は車内で寝ているが、このところ暑すぎて寝ていられないのでカンボジアに入ってからは安宿を取っていた。

7時に起きてもうひとつのベットを見てベストが無くなっているのが眼に入り、ポケッとして何がなんだか解らなかった。
そして、あ~~~~!無い。
本当に頭を抱え込んで、出た言葉が 「どうすんねん!」
しかし、その次に車のキーも盗まれていることから部屋から飛び出して宿内の駐車したところを見る。
あった!
本当にホッとした。
車も盗まれていたら、、、、それこそどうしていいのかわからない。

あ~~~~滅入る滅入る。

滅入ってばかりもいられない。
何をどう言ったところで絶対に戻ってこないことは解っている。

警察に盗難届けを出してその書類をもらう。これだけのことで半日以上かかった。
しかし、考えていた以上にカンボジアの警察はしっかりとしていた。(というよりはたぶん盗難なれしている、シェムリアップの警察が)
何と宿に6人もの警察官が来て事情聴取を取り、現場検証もした。あちこち警察官が探していたら黒いカバンが出てきた。後でわかったが、この安宿の他の宿泊客(カンボジア人)のもので、彼もまた窓を開けていてやられた。彼の場合仕事の書類ばかりだったので、何も盗られずにカバンごと捨てられていた。
鉄格子がないならばどんなに暑くとも窓を閉めていただろうが、鉄格子に安心したのが間違い。

パスポートを再発行してもらうべく、しかたなしに日本大使館のあるプノンペンまでまた320キロの道のりを走る。
カンボジアはガソリン代が大変に高く、115円/Lもするのに、、、
再発行までにえらく時間がかかるだろうと考えていたが、申請の翌日には発行してくれた。
しかし、まだ、カンボジアの出国ビザが必要。なんと40ドルもして数日かかる。
本日パスポートを再発行してもらったので、明日イミグレに出国ビザの申請に行く。

早くタイに戻りたい。

2006.3.1. プノンペンより