元祖 島で生きる!

1週間に1冊の読書が今年のノルマのアラフォー男です。

修理が腹の切り様見申して後学に仕候へ

2008-05-30 15:48:09 | 歴史

今週の戦乱の日本史は「賤ヶ岳の戦い 柴田勝家 ~敗因は前田利家の戦線離脱か?」でした。

 

 勝家の最後の言葉は、「修理の腹の切り様を見て、後学にしてほしい」という意味で、「修理」とは自分のことです。老女ひとりを生き証人として残し、自分達の最期を秀吉側に伝えさせていたようです。

 

 本能寺の変の時、勝家は北陸へ上杉攻めに出ており、すぐに光秀討伐に乗り出せない状況でした。 準備をした時点で、すでに秀吉が光秀を倒した事を知ったのでした。

 

 この山崎の戦いの戦勝を背景に、清洲会議が秀吉主導で行われる事となります。信長の嫡孫三法師を後継者に擁立し、秀吉は後見役として権力強化していきました。

 

 戦いのさなか、柴田側の前田利家・利長親子は戦線離脱していきます。続いて、不破勝光・金森長近も離脱していき、柴田軍は総崩れとなってしまいました。

 実は、戦いの前年にこの3氏は勝家から、秀吉との和議に派遣されており、この時に密約かあったのではないかと言われています。

 

 利家としては、勝家に娘の一人を人質としておいており、秀吉には養女に娘を出している。利家は勝家側にはいたが、家臣では無かったので、最後は前田家の存続を最優先したのは当然であった、という見方が多いようです。

 

 「権六」、のち「修理亮」と称し、「鬼柴田」と呼ばれ一代で名をあげた勇猛ぶりは、すばらしいと思います。

 信長に仕え、最後は信長の妹お市の方と結婚できたのだから、彼の人生は幸せであった事でしょう。



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