今年もヤセられない憂鬱なオヤジのブログっち

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お仕事の自動車教習所での事柄など

昨日の挨拶・・・こんな感じでした・・・

2010年01月12日 09時38分58秒 | Weblog
昨日の挨拶はこんな感じでした。
会場に来れなかったメンバー、そしてOBの先輩、そして志半ばで退会せざるを
えなかった仲間、友人、多くの人に文面だけでは伝わりにくいですが、
皆様から支えてもらった私から会場で聞いているつもりになって読んでください。
全文正確なものではありませんが、だいたいこんな感じだったと思います。

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皆様、明けましておめでとうございます。
ただいまご紹介頂きました社団法人 旭青年会議所 第43代理事長門脇祥平で
あります。2009年度1年間「感謝」を肝に銘じつつ、私自身の矜持にかけて頑張ってきました。
2010年度のスタートである今日、まずはじめに、ご報告をさせて頂きます。
昨年の今日、会員拡大24名という大きな目標を立て、諸先輩のお力添えを頂き
ながら会員の拡大に励みましたが目標24名に遠く及ばず、11名という拡大数でした
ことをまずもってご報告申し上げますと共にお詫びする次第であります。
1昨年度からの会員拡大運動を引継ぎ、09年度林会員拡大委員長、そしてそれを
支えてくれた多くの会員拡大委員会メンバー、そしてメンバー、シニアクラブ、
多くの方々の協力を得ながらも、達成できなかったことは即ち私自身の不徳の
致す所であります。誠に申し訳ございませんでした。

そして他方、1昨年の7月下旬から始めた私自身の理事長ブログも
現在83000PVを超えるほどのアクセスを頂き、多い日には1000PVを数え
ました。1年間の行動をできるだけメンバーに知ってもらい、そして先輩方にお伝
えさせていただきました。
皆が見てくれていたことが励みになり、理事長としての行動をお伝えできたと
確信しております。
また、あのブログを見て将来自分が理事長になってみたいと思ってくれるように
できるだけ更新したつもりです。ずっとそのままにしておきます。
将来、理事長をやる人が、09年度いつ頃何をしていたのかがはっきり
分かります。

本気で夢を語る団体Jaycee、空想、夢想を実現可能なJaycee、卒業するときに
大の大人が本気で涙を流す団体Jaycee、そして行動すれば生涯の仲間を与えて
くれるJaycee。本当に地域、そして日本を変えられると信じている私たちの
団体Jaycee。

日本全国の数多くの同じ志を持つ仲間たちと、知行合一の精神をもって行動
した1年。
この1年は自分自身との闘いでした。
ひたすら自分が先頭となり、前を向いて歩き、仲間たちに背中を見せ、
社団法人 旭青年会議所理事長というプライドを持ち、私にしかできないと
固く信じ、例会、事業に取り組みました。

2008年初秋に私の一存で指名させていただきながら、想像を超えて活躍して
くれて想像以上の成果を残してくれた全てのメンバー、そして暖かく御支援、
ご協力頂きました先輩方。

私の感謝の思いは皆様方が築いてこられたこの素晴らしいJayceeを数多くの
後輩たちにより良い形で伝え、未来へとその糸を紡いでいくことで恩返ししたい
と思います。

メンバーのみなさん!1年間、あまりお酒が飲めない、楽しくない理事長で、
変に心配性で、また、デリカシーの無い発言で惑わし、更には体重の重さから
委員会でよく足が痛いだの腰が痛いだのわがまま言ってすいませんでした。
時には副理事長を飛び越え、意見をし、副理事長の皆様方には特に動きにくかった
1年だったと思います。
お詫びすると共に感謝申し上げます。

出来る限り千葉、関東、そして日本JCへ出向したいと思うときが来ても大丈夫
なように細かい点、意見したりもしました。不快に思われたかもしれません。
しかしながらJCは旭だけの団体ではなく日本全国に多くの同じ志をもった仲間が
いて、そのことも大きな魅力のひとつです。
そんなに時間が必要とは思いません。そんなにお金が必要とも思いません。
必要なものは意思だけです。
今、呑みに行っている回数を少し減らすだけで可能です。
たったそれだけのことです。
たったそれだけで日本全国に仲間が出来て、共に活動し、旭では想像もつかない
ような人とも出会えます。
最後の最後の理事長挨拶で門脇があんなこといっとったなと覚えて置いてください。
(長い間(ま))

ひと夏で3回も登った富士山、土壇場まで不安だった食の祭典、自分も歩き
回った会員拡大、悪天候の中、チャレンジした猿島、最後には委員長に
押し切られた映画作成、地味ながらしっかりと行われた理事会、
地道に更新してくれたホームページ、そして京都会議、全国会員大会那覇大会、
アスパック長野大会、千葉ブロック会員会議所会議、社団法人日本青年会議所
総会、経験した全てが私の財産であります。
そして何よりもここにいるメンバーが最高でした。ここにいる俺たちがやって
きたこの一年を、将来に生かし、更に大きな大きな夢を語り、更に能動的に挑戦
し続ける社団法人旭青年会議所を目指して欲しいと思います。
皆さんでなければ2009年度はこうはいかなかった。
心から感謝いたします。本当にありがとう。

専務、宮内一直君、全国会員大会浜松大会から今日まで、このつまらない男
とともに、300日は電話をし合い、一緒にいてくれて、どれだけあなたに頼り、
支えてもらい、私は奮起できたか計り知れません。
あなたの心、行動に私はお礼の言葉もありません。
ありきたりで申し訳ありませんがこの晴れの舞台において心より感謝申し上げ、
諸先輩方がいらっしゃる前ではございますが、ここにいらっしゃる全ての同じ志
を持つ皆様方から2009年度専務理事 宮内一直君に 今一度盛大な拍手をお願い
します。
(盛大な拍手)

ありがとうございました。

6月30日、病院に着いたときにはすでに産まれていた長男滉英、あなたの
名前を命名することも先延ばしにし、命名したのは出生届限界日でした。
富士登山しながら考えた名前、産まれたばかりのこどもと併せて5人になった
家庭を支えてくれた妻、房子、1年間どこにも連れて行ってあげられなかった
愛娘、光、慶。
お前たちが将来いつかここにいる誰かに会って父さんがどういうことをして
いたのかを聞いて、自慢できる父さんであるように頑張ってきたつもりだ。

いつかそんな話が出たら、その時にきっと私は胸を張ってこう言うでしょう。
「お父さんは素晴らしい多くの仲間や先輩と共に、大きな夢を本気で語り、
本気で行動したんだよ。」と。

(長い間)

年始のお忙しい中、ご来会賜りました明智市長、大松県議、大松先輩はじめ多く
の来賓の皆様、そして本当に数多くのお世話になった先輩方、県内外の同志の
皆さん、本当に本当にありがとうございました。

以上を持ちまして2009年度第43代理事長門脇祥平としての最後の挨拶とさせて
頂き、今、現時点をもって、2010年度第44代理事長、網中一史くんにこの想いと
気概を引き継ぎます。
1年間本当にありがとうございました。

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たぶんこんな感じ・・・・でした。
だいぶ私自身が私自身の言葉に涙でしたから、微妙に違うかもしれませんが。

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