昨日は4月の第三月曜日で、アメリカ・マサチューセッツ州ではPatriots’ Dayの祝日でした。独立戦争が始まったレキシントン・コンコードの戦いを記念するもので、この日にはボストン・マラソンも行なわれます。今年で113回、オリンピックを除くと最も古い歴史を誇り、コンコードに4年住んだ私にも馴染み深い大会です。
ボストン・マラソンは、年齢層別の標準記録を突破していなければ参加できないエリート・ランナーの大会ですが、私がアメリカにいた頃は、こうした1万人の正式エントリー以外に、2万人位が勝手に金魚の糞のように後ろからくっついて走っていました。当局からは一切お咎めなし。このあたりはアメリカ人の鷹揚さで、それをいいことに、着ぐるみやタキシード姿などで仮装したり、缶ビールの缶を目の前にぶら提げたり、大きな国旗を担いだりと、走る人も走る人なら、見る方も沿道でガンガン音楽を鳴らして踊り狂っていたり、子供たちがレモンやバナナやパン切れを手に一所懸命応援してくれたりと、お祭り騒ぎそのものの楽しい大会です。私もつられて99回大会と101回大会を勝手に走りました。会社の同僚と一緒に、会社の名前を書いた手製ゼッケンをつけると、沿道の人たちが会社の名前を連呼してくれて、今思うと恥ずかしいばかりの、若さ故の懐かしい思い出です。
さて前置きが長くなりましたが、昨日の大会では、車いす女子の部で、土田和歌子さんが1時間54分37秒で三連覇を達成されたそうです。素晴らしいですね。以前、パラリンピックについてブログに書いたことがありましたが、車いすと言えども下り坂では時速50Kmを越えるほど、激しい競技なのです。
土田さんは、昨年夏の北京パラリンピックでは、5000Mで複数の選手が絡む転倒事故に巻き込まれて背中を負傷されたため、アテネ大会で銀メダルを獲得していたマラソン競技を断念し、10月下旬まで入院されていたそうです。半年で見事に復帰されたのは、波大抵のことではなかったでしょう。これを機に土田さんについて調べたところ・・・高校2年の時、友人とドライブ中に事故に遭って車いす生活に入り、最初はアイススレッジ・スピードスケートで、長野パラリンピック・プレ大会1500Mで世界新記録をマーク、本番1500Mで自身の世界新記録を更新して金メダルを獲得、1000Mでも金メダル、100M、500Mでは銀メダルを獲得されるなど大活躍でした。その後、陸上競技に挑戦されてからも、2000年シドニー五輪の公開競技として行われた車いす800Mで銀メダル、シドニー・パラリンピック車いすマラソンで銅メダルを獲得、2001年大分国際車いすマラソンのフルマラソンでは世界最高記録を樹立、2004年アテネ・パラリンピック5000Mでは金メダル(前述の通りフルマラソンで銀メダル)を獲得され、日本人初の夏冬「金メダリスト」となられました。ため息が出るほどの圧倒的な強さです。
車いすということでは、つい最近、プロ転向を宣言されたテニスの国枝慎吾さんが有名です。世界ランク1位で、男子テニスの四大大会シングルスを10度制し、北京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得、先の全豪オープンでは、シングルス・ダブルスともに三連覇と、同じように圧倒的な強さを誇っていらっしゃいます。
お二人とも、良い意味での車いす競技の広告塔です。まだまだ健常者の競技に比べればサポートが少ない車いす競技を取り巻く環境改善のため、何より障害を持つ子供たちに夢を与えられるよう、これからも頑張って欲しいと思います。
ボストン・マラソンは、年齢層別の標準記録を突破していなければ参加できないエリート・ランナーの大会ですが、私がアメリカにいた頃は、こうした1万人の正式エントリー以外に、2万人位が勝手に金魚の糞のように後ろからくっついて走っていました。当局からは一切お咎めなし。このあたりはアメリカ人の鷹揚さで、それをいいことに、着ぐるみやタキシード姿などで仮装したり、缶ビールの缶を目の前にぶら提げたり、大きな国旗を担いだりと、走る人も走る人なら、見る方も沿道でガンガン音楽を鳴らして踊り狂っていたり、子供たちがレモンやバナナやパン切れを手に一所懸命応援してくれたりと、お祭り騒ぎそのものの楽しい大会です。私もつられて99回大会と101回大会を勝手に走りました。会社の同僚と一緒に、会社の名前を書いた手製ゼッケンをつけると、沿道の人たちが会社の名前を連呼してくれて、今思うと恥ずかしいばかりの、若さ故の懐かしい思い出です。
さて前置きが長くなりましたが、昨日の大会では、車いす女子の部で、土田和歌子さんが1時間54分37秒で三連覇を達成されたそうです。素晴らしいですね。以前、パラリンピックについてブログに書いたことがありましたが、車いすと言えども下り坂では時速50Kmを越えるほど、激しい競技なのです。
土田さんは、昨年夏の北京パラリンピックでは、5000Mで複数の選手が絡む転倒事故に巻き込まれて背中を負傷されたため、アテネ大会で銀メダルを獲得していたマラソン競技を断念し、10月下旬まで入院されていたそうです。半年で見事に復帰されたのは、波大抵のことではなかったでしょう。これを機に土田さんについて調べたところ・・・高校2年の時、友人とドライブ中に事故に遭って車いす生活に入り、最初はアイススレッジ・スピードスケートで、長野パラリンピック・プレ大会1500Mで世界新記録をマーク、本番1500Mで自身の世界新記録を更新して金メダルを獲得、1000Mでも金メダル、100M、500Mでは銀メダルを獲得されるなど大活躍でした。その後、陸上競技に挑戦されてからも、2000年シドニー五輪の公開競技として行われた車いす800Mで銀メダル、シドニー・パラリンピック車いすマラソンで銅メダルを獲得、2001年大分国際車いすマラソンのフルマラソンでは世界最高記録を樹立、2004年アテネ・パラリンピック5000Mでは金メダル(前述の通りフルマラソンで銀メダル)を獲得され、日本人初の夏冬「金メダリスト」となられました。ため息が出るほどの圧倒的な強さです。
車いすということでは、つい最近、プロ転向を宣言されたテニスの国枝慎吾さんが有名です。世界ランク1位で、男子テニスの四大大会シングルスを10度制し、北京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得、先の全豪オープンでは、シングルス・ダブルスともに三連覇と、同じように圧倒的な強さを誇っていらっしゃいます。
お二人とも、良い意味での車いす競技の広告塔です。まだまだ健常者の競技に比べればサポートが少ない車いす競技を取り巻く環境改善のため、何より障害を持つ子供たちに夢を与えられるよう、これからも頑張って欲しいと思います。