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日々のあれこれ

寒体質と熱体質

2006-07-26 | Weblog
やらかしました。

↓のようなことで、一日中使った傘、昨日は天気がよかったので、
庭のベンチの上に 広げて干しました。

そして夜、
「あ~、また雨降ってるなぁ・・・・ん?・・・」

真っ暗な中、急いで庭に出てみると、
誰もいないベンチの上で 己が仕事を 黙々と全うし続ける傘が。

すまない、傘。


さて、
昨日、大分では 昼に「あるある大辞典Ⅱ」をやっていました。
『夏バテしない体づくり』(?)

ふむふむ、東洋医学の世界では 人は 
「寒体質」と「熱体質」に分かれるのだそうで、私は あきらかに「寒体質」でした。
確かに、今通っている心療内科で、初診の時に、脈をみて、舌を出してみて、
「血のめぐりが悪いですね これも よくしましょう」って 先生に言われました。
同じことを テレビで 漢方の先生がしてらしたので、
ああ、そういうことだったのか・・・って。

私の先生も 漢方を使った治療をされる先生なので、
今、私は うつの薬の他に 2種類の漢方を飲んでいます。
そのおかげか、汗をかかない「寒体質」の私が、
今日、ベランダで一仕事すると、Tシャツが 汗でびっしょり。
こんなことって なかったような。

このところ、悩んでいた(?)あちこちの体の不調も
だいぶいいようなのです。
もともと、私のこの症状は、体の不調からでした。
よーく考えてみると、特に症状がひどくなりはじめたのは、
『帯状疱疹』を患ってからかな~と。
雅子さまも 同じでしたよね。
(雅子さまも いろいろ言われてるけど、本当は 私と同じ病気みたいです。
 いろいろ言われて 可哀想だな)

「病は気から」とよく言いますが、私は、
「そして、気は体から」と思っています。
(あ、なんか 私 今 いいこと言ってない?)笑

この次は、私が出会った 体のためによさそうなことなど書きますね、
・・・・いつか・・・・。ははは。

火曜日の女 ひとりごと

2006-07-25 | Weblog
「カレンダー」を見て ふと気づいた。

ぽつり、ぽつりの更新状態になってから、
私が更新するのって、  火曜日が多い。

これからは、『火曜日の女』と名乗らせてください。^^


先日は、家族で 泊りがけで遊園地へ。
着いてすぐ温泉に入り、夕食。
何を思ったか、旦那は 兄ちゃんの分を大人料理で頼んでいた。
豪華なお子様ランチを食べる下二人を 涙目で 見つめる兄ちゃん。
生ものも食べられなくて、次男より おこちゃまな兄ちゃん、
それなのに、
お刺身や鍋の並ぶ会席料理を前に 食べられるものが・・・・・。
この兄ちゃんが こんな料理を食べられるのは 高校生くらいか・・?
もっと先か・・?
「そうだったら、ちょっと ヤバイ」
苦笑いしながら 涙目の長男くんでした。

でもホテルのまん前で上がる花火が 広~い部屋から見れて、とてもラッキー。

・・・・かとおもいきや、
翌日は 遊園地!!と 張り切っていた子供たちなのに、


・・・どしゃ降り。


雨の中 遊園地で遊ぶ家族。

でも、結構いるのね、この日じゃなくちゃいけなかった人たちが。他にも。
なんだか 妙な連帯感!?

夕方から 「ハニカミデート」に来ていたカップルも・・・。
でも、女の子の方は、きっと、
「なぁんで、こんなどしゃ降りの日に わざわざ・・(怒)」
なんて 思ってるよな。
別れるな、あの二人。 (-。-)y-゜゜゜

ってなことで、4倍くらい疲れて帰りました。
(4倍という数字に 特別意味はなし)

ママ だいすき

2006-07-18 | Weblog
休みの朝、寝坊している私の布団に 入ってきて、
顔を近づけて次男が 言う。

「ママ だいすき。」
「ママ 死んじゃ いや」 ・・・・。



「どうしたの?」
「じいちゃんのこと 思い出しちゃった」
「・・・ そんな 夢でも 見たの?」

うなづく次男。

彼は 兄弟の中で ただ一人、おじいちゃんの死のことを 口にします。
三男は まだよくわからないし、
兄ちゃんは 口にしちゃいけないような 気がしてるのかもしれないけど。
先日も、こんな詩を 国語の時間に書いてきました。

『きょう きつねのおきゃくさま*を読んだ
 じいちゃんのこと 思い出しちゃった
 さみしい
 いのちは だいじにしないと』
(*きつねのおきゃくさまー最後にきつねが死ぬお話)

私が死ぬ夢でも見たのかしら。

私は 少し 胸が痛かった。

私の病気(?)は 落ち着いて普通に暮らしています。
一時期 死にたいと 口走ったこともあります。
そうでなければ、早く 60歳とか70歳とかになりたいとか。
本当につらい時期も ありました。

その時は 子供もかわいく思えなくなり、
特に三男に対しては、ちょうど わがままもひどい時期なこともあり、
「この子のせいで、私は こんなになってるんだ」と思ったこともありました。
抱っこすることも いやだった。
そして そんなことを思う自分にハッとし 本当に情けなかった。
でも今は、三男を見ていると 
その綺麗な瞳を ほっぺをみていると、いとおしく 抱きしめています。
上の二人とも、寝るときには じゃれあっています。

こんな母親でも、
たとえ、病気があったとしても、
怒鳴りつけることが多い毎日だったとしても、
どんなにおばちゃんになっていたとしても(笑)、
子供たちには 私が必要なんだ。
だから 私は 死ねない。
死なないよ、kei。


今日の読売新聞の編集手帳欄をみて、やるせなく、つらかった。

『(略)
 橋の欄干から眼下の川面に落ちて行く寸秒の恐怖の中で、
 彩香さんは誰に救いを求め、誰の名前を呼んだだろう。
 「おかあさん」、それ以外にはなかっただろうに。』


「いのちは大事にしないと」
2年生でもわかる 一番大事なこと、大人はどうして時に わからないのだろう。
そして、子供への無償の愛情を持たない親がいることが、またとてもつらい。



引き際

2006-07-04 | Weblog
サッカーに関する記事は もう 前回でおしまいにするつもりだった。

だから、
ブラジルがフランスに敗れるなんて これはまったく想定外。
ドイツよりも アルゼンチンだと思ってた。
・・・・なんてことも もう書かないぞーなんて 思ってた。


だけど、
やっぱり これだけは 言いたいよ。

ヒデ、やっぱりもう辞めちゃうの?
もっと、もっと 見たかったのに。 プレーする姿を。
でも、
鮮やかだな、ヒデ。


中田が 代表だけでなく、現役さえも退くのではないかとは うすうす感じてた。

・・・いるんだよねぇ、後になって、
「あー、それ 私 前から思ってた~ぁ」とかいう ありがちなやつ。(笑)
とか言われちゃいそうだけど^^

HPの彼の言葉は とても真摯なものだった。
あれでも、彼には、まだまだ言葉にできない思いがたくさん あったんじゃないかな。
何を言っても、それだけではない たくさんの思いが。

中田なら きっと何をやっても 一流になれるんだろうな。
会社とか 作っちゃいそうかも。
ファッション関係の会社とか。
あ、「フローレスseiko」とか ちゃちなやつじゃないやつね。(笑)
それとも、すごーく意外な会社とかね。
フィールドが広いな。

選手の中では 特別視されて、なかなか彼に追いつこうとする人がいなくて、
理解されなくて・・という感じだったけど、
今後 中田の存在が、その精神が 残っていくといいのにな。

結婚するのかな、今後。
外国人かな、やっぱ。
「うの」じゃ やだけどな。(笑)

そぉんなことを思っている昨日、今日。


もうひとこと

2006-07-01 | Weblog
いつの間にか サッカーブログのようになっているここですが、
もう一言 言わせて。^^

「オシム代表監督に 賛成!!!」


日本の 敗退が決まったあたりから にわかに騒がしくなった代表監督候補。
私も 一応いろいろ情報を調べて(なぜそこまでするっっっ?!)、
デシャン氏か、オシム氏かな・・などと 思っていました。

そうですかぁ~ オシム監督ですか~。
ということで、新聞記事や、ネット情報、・・・いろんなとこで調べます(だから なぜ そこまでするのだっっっ?!)。

いいかも~?!、オシム監督!

なぜって?

そりゃあもう なんかスキだから。(笑)

厳しそうだけど、経験に基づく きちんとした選手育成理念、戦術構想を持っていそう。
ただ厳しく指導するだけじゃ 選手の信頼は得られないし、技術の向上もないと思うけど、
彼の言葉には 説得力があるよう。

サッカー協会は 選手の個性を重んじ 自由にさせるジーコのサッカーを受け継ぐ人材だから、とも言っているようだけど、
ジーコはねぇ、ただ何にも言わず ぜーーーんぶ 選手に任せてただけじゃないのぉ?

・・・・と 私は 小声で言ってみる。(おそる おそる・・)
何年か前、
「辞めてくれ!ジーコ!」と空港かどこかで 叫んでいる人がいたけどね。

オシム氏は ただ自由にさせるんじゃなくて、
テーマを与え、その中で 自由にさせてみるんだとか。

ジーコより、トルシエより ずっといい。

巻が代表に選ばれた時なんて、
孫がリレーの選手に選ばれて喜ぶおじいちゃんみたいだったし。

楽しみにして見てみたいな。
どんな選手を選ぶのかも楽しみだし。
ヒデは いないかもしれないけどね。


さて、
今日の準々決勝の試合、うーん、どれも見たいけどぉ。
起きてられないしぃ・・・(じたばた)