「街のコンシェルジェ」

“加齢こそ、価値がある社会づくり”を目指し、高齢世帯の困り事を、有償ボランティアがお手伝いするNPOの事業。

源氏物語千年紀

2007年06月30日 21時03分46秒 | コンシェルジェ
<第276話>源氏物語千年紀

 源氏物語が、紫式部によって寛弘5年頃?(1008年)書かれてから
千年の月日が流れてしまった。それを祝して本年11月より「源氏物語
千年紀」が催されるそうです。
つたない知識で「源氏物語ともののあわれ」を記してみました。

■源氏物語ともののあわれ■
日本人は「春の雨」「夏の雨」「秋の雨」「冬の雨」と、その情緒の違いを
感覚的につかんでしまう。
つまり、自然界の情趣“あわれ”と、人生の“あわれ”を重ね合わせてい
るのでしょう。
王朝ロマンを描いた“源氏物語”には、“もののあわれ”の個所が多数
登場してくる。
その1っを紐解くと、光源氏は先帝・桐壺帝(父)の女御・藤壺の影に
母・桐壺の更衣の姿を見初め、初恋そして不倫、その子(後の冷泉帝)を
自らの弟として迎えいれる。
因果はめぐり、晩年、源氏の女御・女三の宮は柏木の子をもうけてしまい
自らの子として育てるのである。
あるいは、源氏が須磨に立つ前に、第二の妻・紫の上に詠んだ歌が、ま
さに“もののあわれ”そのものである。(後述)
また、京に戻りしおり、明石の君との間にできた姫君を、紫の上が引き
取り養育しているのである。

  生ける世の 別れを知らで 契りつつ
                  命を人に 限りけるかな

   <独断の訳>生きている間は、ずつと一緒です、死が二人
            を裂くまでは。

千年の昔より日本人の心の中に“もののあわれ”という美意識があった
のでしょう。
小生にとっては、“もののあわれ”という言葉の中に、何か知らぬが
“い・ろ・け”を感じてしまう。

※1994年から母校・文学部へ裏口・聴講生をさせていただきました。
その折、渡辺保教授より多々ご指導をいただき「源氏物語の楽しさ」を
知った次第です。今更ながらに、御礼申し上げます。