無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

奥山休賀斎

2013年03月05日 | 創作ノート
上泉伊勢守門下の四天王の1人です。本名は奥平孫次郎公重といい、三河の国、奥山郷の生まれです。
三河からどういう経路で上州まで来たのかはわかりませんが、伊勢守が上泉城にいた頃の弟子のようです。
伊勢守から印可を貰った後、三河に帰って奥山明神に籠もり、剣の奥義を悟ったと伝えられます。その時、新陰流を神陰流(神影流)に改めたようです。奥山流を称したという説もあります。
高弟には小笠原源信斎がいて、源信斎の門下に針ヶ谷夕雲がいます。若き日の徳川家康も休賀斎を武術指南役に迎えて、指導を受けています。
慶長7年(1602年)、77歳で亡くなりました。


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