旅を終え 西の空に沈む夕陽とはかない川の流れ
帰る旅
高見順 「帰る旅」
詩集『死の淵より』講談社文芸文庫 24頁~26頁
帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする
この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器めいきのような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである
古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである
死と対峙しながら生きてきた高見順
まもなく土に帰る自分を受け入れようと
自然へ帰る旅に出た
昔は土葬であった
生命の旅が終われば
土に帰れる
蝉のようにはかない生命を思えば
自分のために最後の旅を楽しみ終えたい
心の旅
元気だったときの旅は
お土産店で
どこにもあるようなお土産を買って
家に帰る
長い旅や遠い旅を終え
家に帰ると
蜘蛛の糸やすすけた天井や壁を目にすると
懐かしく感じてしまう
住み慣れた我家こそ
心の宿
短い夏
蝉のけたたましい鳴き声が
聞こえても
地上のはかない蝉の生命を思えば
許せる
空蝉も
死ぬ瞬間まで
必死に鳴き叫び
自分はいま生きていると
このblogのタイトルを
『空蝉ノ詩』にした由来は
高見順の「帰る旅」から生まれた
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