小料理日記

一般人のこだわり料理。
材料を買う店を特定し始めるとセミプロ認定を受けます。

税金ってのはなんだ。

2009-11-29 23:54:20 | 忘れないように。
行政サービスの対価、じゃないよ。

それは会計理論的な『税金』の位置づけであるから、たとえば参政権を乗せた天秤の反対側に乗せられる税金の説明としてはそぐわない。
そもそも税金とは権力的に侵害される財産権なのだから、何らかの対価としてもってかれてるわけではないのだ。
徴税行為の根拠は唯一、憲法の規定だけなのだ。
それは担税者の意思に基づくものではないし、納税者の意思に基づくものでもない。



もちろん納税しなければ罰則が待ってるわけだけど、これをもって『納税者の意思による』なんてことは言えないよね。それはつまり、誰かの頭に銃口押し付けて契約書書かせても強迫にはなんないって言ってるのと同じだからね。

あーあ。
今になって税法に興味が出てきた私。
適当に専門書でも探すかね。

氷を食い始めるのは酒盛り終了の(自分なりの)合図

2009-11-19 19:11:53 | レシピ
そういうわけで、す。

酒盛りはなんかもう、酒が続く限り呑み続ける性質でして。
ほっとくと40度のバーボンと43度のスコッチを空にするまで続けるんで、自分でリミットを設けてるか¥和kです。

それがさ小売d3ス。
せけ荷受ベル凍る異がなくなると、もうこれ以上が呑めないんで、網の民『¥ませんって合図で氏。
てなわけで氏f手、のmm出るときのw2アタシg『¥には危険なの野で地価d付加bな胃腸にとかいいたい9.

ほっとくとバーボン一ビン空けようとするしな。
死ぬ貴下世お前。




やべえ。
校正しなかったらエライことになってる。
笑ってられねぇ。
でもそのままアップ!

私は、マゾかな?


酔っ払ってるやつはみんな変態さ!

……。ないな。

2009-11-06 19:15:31 | バカ話
どこにも売ってない。
キワモノをそろえていることで(私の中だけで)有名なヴィレヴァンにもなかった。
成城石井で聞いたら『あー。置くの止めちゃったんですよね~』との答が。

誰も買わないからか!

情けない!
こんなところにも商業主義の波が……って商売やってんだから商業主義は当然だろうよ。売れねぇ商品はデッドスペースと同じなんだよ。

どちくしょう

まあともかく、そんなこんなで黒いグルグルは発見できませんでした。

ので、ハリボのゴールデンベアを買ってきました。

原材料
グルコースシロップ。
砂糖
ゼラチン
ぶどう糖
果汁(りんご、ラズベリー、ストロベリー、オレンジ、レモン)
キウイ
アロニア
マンゴー
パッションフルーツ
転化糖
酸味料
着色料(果実、葉緑素、クチナシ、フラボノイド)
香料
光沢剤

あら。
ずいぶんとまともですな。

メリケン臭ただようからふりゃーな外見から、赤色○号とかがバンバン使ってあるのかと思いきや。

袋を開けて匂いをかぐ。
 ……うーん。
 なんというか。
 ふるーてぃに爽やかな、人工的な部分も感じ取れる果実の香り、とでもいいましょうか。
とりあえず食ってみる。

緑のやつ。
・・・爽やかなりんごの香り。
赤いやつ。
・・・よくわかんないけど、ルジェのクレーム・ド・フランボワーズと同じ匂いがする。ラズベリーか。
黄色いやつ。
・・・しとらす。柑橘系で、これはオレンジかな?

まあこんな感じ。

ちょっとかたいけど、フツーのグミでした。








つまらん! おまえの実食レポートは、つまらん!



いやマジで。
こりゃーもうとりあえずシュネッケンくわねーとおさまらねーぜ。
通販に頼るかな。

固形毒

2009-11-03 08:53:54 | バカ話

えーと。

まあ何ですか。

ブログやってる人の中には好んで大変なものを食すことを己に課しておられる様な豪傑もいらっしゃって、おいしいものをおいしく、おいしくないものもなんとかおいしく食べたい私にとっては、時に『おぅわー……』としかいいようのない惨状が繰り広げられたりもするのですが。

いや。
あのですね。

つまりそのー。

そうした方に、『世界一不味いサルミアッキってお菓子と、見た目ヒジョーにあれなシュネッケンってグミとが、同じ味らしいんですよ』とかコメントしたらデスね。
『ああ。じゃあそれ。レポートお願い』
みたいなね。
どんな無茶振りだよとか。

いや違う。
こんなグチを書きたいんじゃなかった。

ドイツのメーカーが売ってる黒いグルグルの、そう、まるで分厚いゴムテープを巻いたような形のグミがあるんですよ。
で、そいつが『しゅねっけん』。

後輩に言わせるとタイヤ味。
とあるブロガー氏に言わせると『ゴム味』

まあ見た目からして食い物の形してないんですけどね。

黒いし。
グルグルだし。



えー。
ここまで読み進めてくださった方は、どうにもこの、そのー。
なんていうか。
違和感というか、焦燥感というか。
『引っ張るのはいいけど実物の写真くらいのっけろや』的なね、
そんな気分でいらっしゃるんじゃないかなと思います。

今日はそんな話。

このあいだ母校の学祭に顔を出してきたんですけど、その帰りにとあるスーパーへ立ち寄ったのですよ。
かつて私がアルバイトをしていた、輸入食品なんかも扱ってるスーパーです。
目当ては……そう、シュネッケンです。

不味い不味いとあおられれば『どれほど不味いのかいっちょくってやろうじゃねぃか。そんなたいしたもんでもねぃだろ』とか考えちゃうのが人間の面白さでして。
で、まあ。
お菓子のコーナーに行ってみたのですけれどね。

そこで思わぬ事態に。








ないのですよ。
シュネッケン。

あの黒いグルグルが、どこにもおいてありません。

これは……あまりに不味くて売れないから、もう置くのやめたのかな?
うむ。
きっとそうに違いない。


あーよかった。
あ、いやいや。



というわけで、その日はジュースとビールを買って、家でおいしく酒盛りをしました。


ふぅ。よかった。
あ、いやいや。

『宗教文化的差異』は、確かに便利だけどさ。

2009-11-01 00:48:57 | 忘れないように。
何も考えていないのと同じですよねー。

   あるいは、
    聡いということと、賢明であると言うこととは違う。
    日本人は聡い。故に、物事を深く考えることをしない。
    深いと思うことはあるが、その理由を論ずることはできない。
                          副題が長いよ。


例えば海を越えたどこかの国で、自分の国とはまったく違う社会制度が成立していて、どうしてそれが『この国』では実現していないのかを考えようとした時、『あの国』との『伝統的』な『文化』の違いを考慮して、それがその制度の『この国』での実現不可能性を支えているのだと言う考えは、足踏みをする言い訳にはなっても事態を好転させるための理由にはならないから。
だから。
私はそれを理由にはしたくないのさ。

はい。

村野瀬さんとこで取り上げられたこんな話(ドイツのお話です)。

裕福なドイツ人のグループが、ドイツを金融危機から立ち直らせる力になりたいと、財産税の導入を求める活動を展開している。

先日、竹中はあほかと書いた記事で『共同体のあり方』にちびっとだけ触れたけど、これこそまさに『自分だけでない自分も含めた皆が幸せになるための方法』だと思うのですよ。
共同体を支えるためにはその能力を持つものが(その能力を得るために共同体から受けた恩恵もまた大きいわけであるし、そもそもそれが可能なのだから)その能力に見合った負担をするべきだし、また共同体の安定や成長は自身を含めた共同体の構成員全ての幸福にもつながっていくわけだから、それに対しては積極的に貢献していくべきである、わけですよね。ここで、『いや私は共同体なんて他人の集まりなんてどうでもいいから稼いだカネはできるだけ多く自分のためだけに使いたい』なんて言っちゃう極悪人はいないと思います。
こういう『べき論』は人間の欲望を克服せんとする理性の要求であって、それが故に実現することはなかなかに難しいわけですが、これを実現するよう求める人たちがいた、しかももっぱら負担を引き受けることになるであろう富裕層の中に。というニュースです。

どいつすげーよ。
すばらしい。
ぶらぼー。
はらしょー。
えくせれんと。

とかいいたいわけではありません。

なぜわが国ではかような愛国的提言がなされないのか。わが国の富裕層は勇ましいことを言ってはいるが、いざという時(例えば十年以上の年月が『失われ』ている今のような時だ。)に自らの資産を国のために差し出すこともしない。しょせん彼らは自分のお金を守りたいだけの臆病者どもではないか。こんなわが身可愛さで共同体を顧みようともしない者どもが経済なんぞを語っておるのか。それとももはやこの国には政治や経済については専門家を騙る輩しかおらぬのか。ああ嘆かわしや。
とかあほな憂国論を述べたいわけでもありません。だいたい憂国論なんぞ書くようになったらおしまいですよ。嘆きたいんなら川原か砂浜に座って石でも投げつつ酒を飲んでりゃいいんです。

いやそうでなくて。

ドイツではお金持がこういうことを提案したわけですが、日本ではどうなんでしょうか。
法人税やら所得税やらの最高税率を元に戻せという話は少なくともお金持からは聞こえてきませんし(新聞もよまねーで何言ってやがるとか言わんで、もしあるなら教えてください)、政策を評価して献金の基準にするぜとかいう『おいおい札束でほっぺた張るんですか経済界のトップにいるはずの人たちがモラルもなんも無視ですか力任せ金任せってヤクザやさんですか大人として恥ずかしくないんですか』とか言いたくなるようなことが、まかり通っているわけですよ。

これを道徳性の高低だとか、宗教的な背景の違いだとか、そういうふうに評価する人もいるんでしょう。
彼らはキリスト教的な神の名の下の公平性でもって富の偏在を是正するために様々な対策を講じようとしており、翻って日本国にはそのような強力な絶対者の下での平等という概念は育まれてこなかったのであり、こういった活動は確かに驚嘆に、そして同時に賞賛に値するが、しかし日本社会には馴染まない。とか。
そんな日本が嘆かわしい。とか。

おふざけになるのもたいがいにしてくださいな。

確かに、そこへ飛びつくことも不可能ではないでしょう。宗教はその共同体の倫理面に非常に強い関係を持っていて、明に暗に影響を及ぼしてくるわけですから。実際問題としてそこから無縁であることはまあ出来ないわけですよ。だからそういわれれば『そういう側面も確かにある』としか言えないわけで、逆に言えば『どんな問題についてでも否定しがたい理由』を挙げることで、一応それらしいことを考えているようなふりはできる、便利な理由なのですよ。
でもだからといって、違いの理由そのもの、ドイツ人にはできて日本人にはできない理由をそこに求めてしまってはいけないと思うのですね。そもそも聖俗革命によって宗教的命題よりも理性の要求をより上位においたヨーロッパ社会に対して失礼だと思いますし、なによりも有史以来人類が模索してきた普遍的な正義に対する真摯な考察に唾を吐くような行為でもありますし。

……どうしてこう脇道にそれるかな。
こまったもんだ。

先にも述べましたが、これは『自分も含めた皆が幸せになるため』に金銭的な負担を能力に応じて負担すべきであるという『理性からの要求』であるわけです。
もちろん理性とは普遍的な能力であり特性でありますから、日本人だってドイツのこのような人々と同程度に理性的でありさえすれば、同じような提案をするでしょう。
集団としてはまだまだ未成熟、ということなんですかねー。