日本政府は、1895年 1月14日の閣議で無主地先占という
国際法の原則にもとずき、正式に尖閣諸島を日本領として編入し
現地に国標を設置することを決定した。
1896年、4月1日 沖縄県八重山郡に編入し
魚釣島、久場島、南小島、北小島、大正島を 国有地とした。
大正島を除く4島は、福岡出身の古賀辰四郎に30年間の期限付きで
無償貸与された。
日本による、実行支配の始まりである。
政府から4島の無償貸与を受け、開発許可を得た古賀は、魚釣島で
鰹節工場を経営した。
魚釣島には、多額の資本が投下され桟橋、船着き場、貯水場等が
建設され、また 海鳥の保護や植林実験栽培などもなされた。
最盛期には、同島に 99戸、248人もの日本人が暮らしていた。
今年、2月1日から28日までの1ヶ月間で 14隻もの中国の海警船が
尖閣諸島周辺の日本の領海に不法侵入し、操業中の日本の漁船を
追い回して威嚇し、無線や電光掲示板を使って
退去を強要している。




