記録

わたし

悲しみの種類

2017-02-20 00:55:50 | 日記
今日は二種類の悲しみを体験した。

「もしかしたらそうなのではないか」という悲しみと、

「やっぱりそうなんだ」という悲しみ。

そして近い将来、実際に失った悲しみを体験するだろう。


悲しい気持ちを、リアルタイムで感じている。

↑いっけん当たり前のこと。

でも、わたしにとっては当たり前じゃない経験。

どんな喪失のときも、リアルタイムに自分の感情を感じることができなかったから。

今は、だいぶまっすぐに、感じている。

まだ抑圧している部分もあるだろうけど。

「感じていることに、蓋をしなくていいんだよ。」

悲しい気持ち、残念な気持ち、不安な気持ち、愛しい気持ち、

ぜんぶ、オッケー。


去年の今頃もちょっとした別れがあったね。

出会って一カ月の人との別れ。

ほんの少しだけ出会って感銘を受けた人。

今回は、一年。

やっぱり長く関われば関わるほど、喪失は大きくなるね。

でもしっかり感じれば、きっと浄化していく。

流さないで、流れよう。


副作用だと思えば

2017-02-05 11:53:52 | 日記
耐えられる。

だから、閉じない。


進むために行う、自分をみつめる作業は痛みを伴う。

情緒不安定、注意散漫、感覚鈍磨。

自分をまっすぐ見ることが、あまりにも辛いときがある。

その反動で、日常生活の端々で、その真逆の症状が出てくる。

また、戻ってきて、それに気づく。

それもオッケー。

そんな自分がいるんだと、またそこで認める作業。

流すことはしたくない。

ここでそれを流してしまうと、また抑圧が始まって、自分がわからなくなる。




私は、自分の問題を見つける機会があるたびに、人の問題を見つけてそれに担架しようとしてきていたんだ。

だから、飲み込まれ、相手も自分も傷つけるっていう結果になってきた。

今、自分から逃げて仕舞えば、また同じことを繰り返すだろう。

また人に逃げなくとも、他のアディクションに逃げていたのだろう。

だから今は、それを自分を大切にそして許す方に向けていこう。


大事に、大事に。

出てきてくれたもの、全部わたし。

それをひたすらに許そう。