本日の歌詞分析は、あまり上手く書ける自信がありませんが・・・
好きな曲で前から気になっていたので、あえてチャレンジしてみます。
なぜ自信がないかというと、
自分が経験したことのない「母親の死」がモチーフの歌詞だからです。
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のテーマ曲だったこの曲は、
「人間活動」と本人が自称した休業期間を経て3年ぶりの2016年にリリースされました。
彼女の半生は今時の芸能人には珍しい波乱万丈に満ちたものでして、
そうなった理由の多くが、母親で歌手の藤圭子さんの強烈な個性と感情の不安定さにありました。
女性は多かれ少なかれ、母親との関係には悩むものですが
彼女が母親から受けた影響は、良くも悪くも計り知れないだろうなと思います。
その藤圭子さんは、この曲がリリースされる3年前に自殺します。
母親が自ら死を選んだ。
その哀しみや苦しみは、とても言葉では表現できないと思います。
この「花束を君に」は、そのお母さんが死化粧をして葬儀を迎える日の朝、という
設定で始まります。
普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの間で忘れ得ぬ約束した
一体「君」と「私」はどんな約束をしたのでしょうか?
どんな言葉並べても真実にはならないから
今日は送ろう 涙色の花束を君に
「言葉は真実を語らない」というのはありふれたフレーズではありますが、
母親の突然の死を前に、どんな言葉を使ってもその気持ちを表現することは
できないだろうと思います。
だから、死後の世界に旅立つ母親への餞として、涙色の花束を送る。
私は感情を感じるのが苦手なタイプなので、感情を表現しようとすると
上手く言葉が出て来ません。
どんな言葉も嘘のように感じるというか、どんな言葉も私の気持ちを正確には
語ってくれないと感じます。
なので、大事な人に大事な思いを伝えるときは、言葉以外の方法を取ることが多いです。
そういう観点からも、この歌詞は心に沁みました。
毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな
この歌詞は、人間が愛に気づくのは、それが遠ざかっている時であるという
真実を伝えています。
私たちは、子ども時代にはなかなか愛に気づくことができません。
なぜなら、子どもは本質的には苦労や孤独を知らず、自分が知らないから
他人の苦労や孤独も理解できないのです。
しかし子どもが大人になり始める頃、1人で孤独と苦労に耐えることを知る頃、
自分と同じように、1人で孤独と苦労に耐えている人がいることに気づきます。
そうした自分と同じような他人の優しさや思いやりに触れた時
人はそこに愛があることに初めて気づくのです。
言いたいこと言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
最愛の母親は自らこの世を去ってしまい、本人が言いたいこと・伝えたいことは
一体何だったのかと
必死に考えを巡らせますが、分かるはずも無く
母親がしたであろう苦労や、母親が感じていただろう淋しみを理解しようとする
その姿勢こそが宇多田ヒカルの母親への愛なんだと感じます。
世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
母親の笑顔は子どもにとって最高の贈り物であること、
その真実は、たとえ自死を選んだ母親に今は伝わらなくても変わることはない。
1番のサビの「どんな言葉を並べても真実にはならない」の答えがここにあります。
子どもにとって一番大切なものは、母親の笑顔なのです。
「世界中が雨の日も」に象徴されるように、たとえその他の環境がどんなに不幸であっても
母親が笑っていてくれれば、それだけで幸せ。
それこそが真実だと伝えています。
そして、今となってはどうしても叶えられない願いを亡くなった母親に訴えます。
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に
そして、最後にこう歌います。
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は送ろう 涙色の花束を君に
母親への溢れる愛と称賛は、どんな言葉を並べても足りません。
だから涙色の花束を送る。
そう結んでこの歌は終わります。
・・・もはや、この記事をどう締めくくって良いのか分からなくなりましたが。
ここまでの母親讃歌を私は他に知りません。
淡々とした曲調でオーケストラ付きの伴奏に、宇多田ヒカルのそれまでのハスキーポップとは違う
比較的柔らかい歌声に載せたこの曲を聴くと、
自死を選んだ母親に送るレクイエムのリアルさと、母親をあえて「君」と呼ぶ少し距離をおいた
歌詞の設定とが相まって
他の誰にも歌えない、宇多田ヒカル独特の世界観が醸し出されます。
私の母親は、幸運にもまだ元気で生きていますが(年齢の割に元気すぎるのですが笑)
誰の心にとっても最も大事な人物である「母親」を讃えるこの歌を
忘れずに刻んで生きて行きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も素敵な1日を。