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北のパラダイス

思いつくままにいろいろな事を発信していきたいと思います。

好きな言葉その4

2013年04月05日 | 日記
私は根っこの部分に傲慢さがあり、若い時にはそれが災いし人間関係に支障を来たしていました。
特に、社会人になってからはいろいろな場面で上司や先輩、お客様に叱られたため、その戒めとして「謙虚に生きる」という事を心がけるようになりました。

そうしているうちに、だんだんと「謙虚」という言葉の意味の深さを思い知るようになり、人間関係における「謙虚さ」だけでは、本当の意味での「謙虚」とは言えないということが分ってきました。
即ち、動植物に対しても、自然界に対しても、無生物に対しても、自分のいろいろな行いに対しても、常に「謙虚さ」を抱くことが大切だということです。

そして今は、あらゆる物に対して「謙虚」になるということは、あらゆる物に「愛」を感じることであり、これまで述べてきた「足るを知る」も「誠心誠意」も「報恩感謝」も、とどのつまりは形を変えた「愛」の表現であると思えるようになりました。

私の場合「謙虚に生きる」ことを意識し始めてから30年以上が経ちましたが、最近やっと、あらゆる人、あらゆる物、あらゆる事に「愛」を注いで行こう、と思えるようになりました。

まだまだ道半ばですが、これからも「謙虚」に生きて行きたいと思います。





好きな言葉その3

2013年04月04日 | 日記
仏教の教えに「報恩感謝」という言葉があります。
本来の意味はとても奥深く、広大無辺な宇宙の真理にも通じる言葉だと思います。

難しい事はさておき、読んで字の如く「恩に報いて感謝する」という意味で、私はこれまで戴いた沢山の恩に感謝しながら日々暮らしているつもりです。

でも、知らず知らずのうちに、戴いた恩を仇で返すようなことも多々あったのではないか、と自問自答の日々でもあります。

一方、自分が何気なくした行為を恩と感じて戴いて、思いがけず感謝されることもあります。

「報恩感謝」とは本当に奥の深い言葉だと思います。
当事者間だけの事にとどまらず、巡り巡って、他の人達にもいろいろな影響を及ぼしたり、普遍の真理でありながら人によって感じ方が違うなどなど...

「今ここに生かされている事に日々感謝し、一日一日を精一杯、愚直に生き抜く」
これが私なりの「報恩感謝」です。


好きな言葉その2

2013年04月03日 | 日記
「誠心誠意」という言葉が好きです。
「誠心」「誠意」ともに真心の意味で、打算的な考えをもたず、相手の立場に立って真心を込めて接する心のことを「誠心誠意」と言います。

しかし、これを実践することは私にとって至難の業です。
言葉の意味として理解はできても、いつでもかつでも「誠心誠意」でいられるほど人間ができていません。
可能な限りそうありたいと思っていますが、それが相手に伝わらない場合には正直腹が立ちます。

でも、相手にどのように受け止められようと、常に「誠心誠意」でいることが本当の意味するところでしょうね。
相手から良く思われたいと考えることが既に打算が入っているわけですから、その時点で「誠心誠意」ではなくなります。

私もまだまだ修行が足りませんね。
意識しなくても常に「誠心誠意」でいられるようになりたいものです。

好きな言葉その1

2013年04月02日 | 日記
私の好きな言葉の一つに「足るを知る」というのがあります。

老子の「道徳経」第三十三章からの出典で、その意味は「欲に惑わず、自分というものを尽す人であれば富んでいるのだ」ということであり、 「真の富とは財貨や名利ではなく、その人間のあり方による」ということになります。

言うは易しですが、なかなかこの境地に辿り着くのは難しいです。
凡人ですから、金も名誉も地位も権力もできることなら欲しいですね。
でも、生きているうちに「足るを知る」という心境になりたいと常々思ってます。

実は亡くなった義父や義兄が「足るを知る」タイプでした。
なので家内もそれを受け継いでいます。
当然、私とは性格が合いません。
私はどちらかというと見栄っ張りで派手な生き方を好むほうなので、ひっそりと目立たないように生きてきた家内とは水と油のような関係です。

でも、私は義父や義兄を尊敬していましたし、自分もあのようになりたいと思って生きてきたので、家内とも何とかやって来れたんだなと、今はそう思えるようになりました。

義父と義兄は親戚や職場の人達からとても人望があり信頼されていました。
義父は60代前半、義兄は50代後半で亡くなり、残念ながら長生きはできませんでしたが、お葬式の時には沢山の人がお参りに来てくれました。
特に義兄は、建設業者として役所の仕事をしていたことから、市役所の職員が沢山お参りに来て、口々に大変お世話になりましたと深々と頭を下げ手を合わせていたのを覚えています。
普通、建設業者の従業員が亡くなった時に市役所の職員が大勢お参りに来るというのはあまり考えられません。

2人とも、どんな時にもおもねることなく自分の信念に従い考えを述べ、そして真面目によく働く人でした。
仕事の出来栄えは素晴らしく、人望の厚い人達でしたが、決して多くは望みませんでした。
いつも今のままで十分と思っていたようで、まさしく「足るを知る」日々を送っていました。
残念ながら長生きできませんでしたが、その分、いつまでも家族の心の中に生き続けています。

私は「憎まれっ子世にはばかる」を地で行ってますし、この世に未練があるので、残念ながらまだ「足るを知る」境地に達することはできません。
でも、少しでも「足るを知る」境地に近づくことができれば、自分も、周りも、本当の意味での幸せな人生を送ることができるような気がします。



新年度の気候

2013年04月01日 | 日記


今日から新年度ですが、4月に入ったとたん急に日差しが春らしくなったような気がします。
会社の周りは相変わらず雪が残ってますが、車道はほとんど融けました。

2012年度の北海道の気候を振り返ると、昨年の春の長雨に始まり、夏の猛暑、秋の真夏日、遅い初雪、今年に入ってからは、連続真冬日の更新、最大積雪量の更新、そして遅い雪融けと記録ずくめの連続で、観測史上最も多い○○とか、最も少ない●●とか、最も早い△△とか、最も遅い▲▲というニュースが頻繁に飛び交った1年でした。

このような記録ずくめの気候の年は、市民生活や企業活動に与える影響も大きく、私にとっても、自宅の雪かきとクルマ通勤にこれほど難儀した経験は初めてです。
さて、今年度はどんな気候になるでしょう?
2012年度が大変な年だった分、2013年度は穏やかな年になって欲しいと願ってます。