これまでツイッターでは何度となく話題に挙げてきていることですけど、纏めたことがなくて何が問題で何をどうするべきなのかとか要望があったので本ブログエントリで纏めてみました。
まず、私の本音としては高額転売は容認するスタンスです。資本主義における自由経済の在り方として変に理想論を取り入れ規制してしまうよりは、需要がある物を需要に則した金額で取引する方が合理的であると思います。
とは言え、一部のチケ取り巧者に良チケを奪われて、その分のツケを払わされていると思えば愉快でないのもわかります。
現在の興行主の巧妙なところはこう言った大衆の心理を利用して、自分たちにとって都合のよいルール作りを行い既成事実化し標準として定着させてきていることです。
私としてはここが非常に不愉快で、またこういう風に利用されているのにそれを感じ取らずに迎合している消費者にも腹立たしく思っています。
健全な法治国家では犯罪は立証されないと無罪という原則があります。
日本も一部で明らかにおかしい部分はある物の、原則としては立証されない物は犯罪として扱われない運用となっています。
この原則に則って運用すると【高額転売したチケットは違法なので無効】とする事に対して【入口で身分証を提示させ名義の人間でないと入場させない】とする措置の矛盾が見えてきます。
申込者本人でなくても、都合が悪くなって行けなくなったから他の人にあげるとか、定価以下の金額で譲るというのは日常的にある事ですし、先の国会で採択された俗に言う高額転売規制法でも定価以下での譲渡を違法の対象とはしていません。
つまり、チケットを持ってきた人が購入者とイコールである必要はなく、それだけであれば入場を拒む理由にはなり得ないのですが、現実には高額転売されたチケットである【可能性がある】という法治国家ではあるまじき理由で入場をさせないという私刑を行っているのです。
法律に基づかない私刑が違法なのは法治国家の常識です。
本来、主催者側が入場を拒否して良いのは【高額転売されたことが客観的な証拠を用い立証されたチケット】と【偽造チケット】だけのはずです。
しかし、昨今では当たり前のように購入者の名義の身分証を持っていない人間を一律に入場させないという措置を行っているのが見て取れます。
この手のことを言うと「規約には転売したチケットを禁止する内容の事が書いてある」と言う人がいますが、その考えは大いに間違っています。
他の国ではどうか知りませんが、日本には憲法という最も遵守しなければならない法の幹があり、財産権について29条に「財産権は、これを侵してはならない。」と明記されています。
興行チケットは財産のひとつであり、興行主と言えど社会性が認められる理由なく授受について規制してはならないのは明白です。
むしろ、何らかの事情があって行けなくなったから無駄にしないために他の人に譲るというのは財産の有効活用のひとつであり、これを阻害するのは財産権の侵害と言わざるを得ません。
ここまで読んで不思議に思った方もいるかと思いますが、興行主団体がここまで強行に憲法に抵触するとも思える強行的な施策を行うのは何故なのか仮説を立ててみました。
当たり前の事ですが、興行主はほとんどが企業であり、砕けた表現をすれば「お金を儲けることが存在意義」の組織です。
更に砕けて言えば「お金儲けに必要な事」だからやっているのです。
表に出ている看板としてやっているのは「転売屋によって不利益を被っているファンのため」と言うのも少しはあると思いますが、本当にファンを見てるのかというと首をかしげざるを得ません。
他の部分を見てファンのためになることをやっていないことが多いからです。その内容についてはここでの本筋から外れますし、多岐に渡ってしまうので割愛します。
別の側面を見ると高額転売規制の名の下に行っている身分証本人確認によって大幅に減っている事があります。
それは、定価以下での転売チケットの流通です。
特に1000円とか2000円の少額でチケットが融通されて入場したという話を全然見聞きしなくなりました。
そして、少額転売によるチケット流通が滞ることで利益を得ることができるのが主催者なのは説明の必要もないと思います。
定価以下でチケットが買えるなら正規販売で売れ残っている定価のチケットを買わずに定価以下の二次流通チケットを買う人は少なからずいると思います。
発売されてしばらく経ってから参加したいと思っても、安く買える可能性がある二次流通をCHECKして二次がないなら正規で買うという買い方をしていた人もいると思いますが、身分証による本人確認をチラつかせることによってこの二次流通を阻害し、正規販売へ誘引することができるのです。
高額転売規制を隠れ蓑に、売れ残りチケットの販売を邪魔する不人気公演の二次流通を阻害し正規チケットを売りつける機会を増やしていた・・・これこそが興行主が無理筋でもやり遂げたかったことで、嫌転売の世論は迎合して既成事実としてまかり通らせていると思います。
仮説ではありますが、シナリオとしては筋が通っていると思います。
本当に高額転売を抑制したかったら一部公演で行われている入場時座席付与を行うべきです。
高額転売の規制がされる前のデータになりますが、最前列が定価の10倍を超えるような公演でも最後列は定価で取引されるかどうかという事は割りと多く、入場する時まで座席が不明のチケットであれば、極端な値上がりはほとんど起こらないと思われます。
例外的にトップクラスの人気コンテンツだと、会場に入れるだけでも御の字と最後列でも定価を超えるコンテンツもありますが、そんな公演でも最前列と最後列で同じ値段という事はありませんでしたから、極端な高額化への抑止効果は高いです。
であるにも関わらず何故普及しないのか?
多少の人員やシステムの負担が増えるというのもあると思いますが、当日まで座席がわからないチケットの価値が低いからだと思います。
人間の心理として不確定な物やわからない物は軽んじる傾向がありますし、リスクヘッジを考える性格の人だと最低の価値で仮置きして判断します。
この場合の最低の価値は最後列ですし、リスクヘッジを考える性格の人が10%いたら最後列分の価値として考える人が10%いるという事になり、相当に目減りして計算されてしまいます。
また、先行抽選は除いて早ければ早い分だけ前の席が確保できるとなれば、とりあえずで早めに購入しようという気持ちを起こさせる事ができますが、入場時完全抽選なら直前まで購入判断を引っ張る人が出てくるでしょうし、ともすれば購入するか迷っている内に「やっぱり買わない」って判断も起こるでしょう。
つまり、売り手側にとって都合の悪いシステムだから採用したくないのです・・・おそらく。
また、座席ごとにチケットの値段に差を付けることについて #転売No の団体は「大金を出せない若い人達にも本物の音楽に触れてもらうために手の届く金額で買えるようにしておかなければならない」とか宣っていますが、これも無理筋の屁理屈に思えます。
中高校生にとって現在のライブのチケットの価格は安いのでしょうか?
大人(アラフォーのおっさん)の私から見ても好きなアーティストでもものすごく迷うくらいには高い水準だと思います。
本当に若い人達に本物の音楽に触れて欲しいと思っているのならば、むしろ大枚はたいてでも前で見たいというファンからガッツリお金を出してもらって、それを原資に後ろ席へ学生対象の無料招待などで見せてあげる方がよほど本物の音楽に触れる機会があると思います。
結局は興行主たちの怠惰の言い訳にしか見えません。
話が色々な方向へ行きましたが、本質として現在興行主がしばしば行っている「身分証による本人確認」は高額転売の抑止効果以上に本来不利益を被ってはいけない人達へ不利益をもたらす違法行為であるので、これに対しては即刻止めさせる必要があると思っています。
なぜかと言うと、政治的な言い方をすればアジテーションによって世論を誘導したら違法行為でも行って構わないという価値観を企業に持たせてはいけないと思うからです。
音楽業界だけが無法者の巣窟とは思えません。
他の業界でも世論をアジテーションによって操作し自分たちの都合のよいルール作りを行っていく動きができてきてもおかしくないと思います。
私が消費者である方々にお願いしたいのは感情論に踊らされずに、それが「本当に正しいのか?」をよく考えて欲しいと言うことです。
一部消費者の感情論で企業が上手く立ち回り、結果として消費者全体が不利益を被るのと言う繰り返されてきた歴史を見つめていただきたく存じます。
まず、私の本音としては高額転売は容認するスタンスです。資本主義における自由経済の在り方として変に理想論を取り入れ規制してしまうよりは、需要がある物を需要に則した金額で取引する方が合理的であると思います。
とは言え、一部のチケ取り巧者に良チケを奪われて、その分のツケを払わされていると思えば愉快でないのもわかります。
現在の興行主の巧妙なところはこう言った大衆の心理を利用して、自分たちにとって都合のよいルール作りを行い既成事実化し標準として定着させてきていることです。
私としてはここが非常に不愉快で、またこういう風に利用されているのにそれを感じ取らずに迎合している消費者にも腹立たしく思っています。
健全な法治国家では犯罪は立証されないと無罪という原則があります。
日本も一部で明らかにおかしい部分はある物の、原則としては立証されない物は犯罪として扱われない運用となっています。
この原則に則って運用すると【高額転売したチケットは違法なので無効】とする事に対して【入口で身分証を提示させ名義の人間でないと入場させない】とする措置の矛盾が見えてきます。
申込者本人でなくても、都合が悪くなって行けなくなったから他の人にあげるとか、定価以下の金額で譲るというのは日常的にある事ですし、先の国会で採択された俗に言う高額転売規制法でも定価以下での譲渡を違法の対象とはしていません。
つまり、チケットを持ってきた人が購入者とイコールである必要はなく、それだけであれば入場を拒む理由にはなり得ないのですが、現実には高額転売されたチケットである【可能性がある】という法治国家ではあるまじき理由で入場をさせないという私刑を行っているのです。
法律に基づかない私刑が違法なのは法治国家の常識です。
本来、主催者側が入場を拒否して良いのは【高額転売されたことが客観的な証拠を用い立証されたチケット】と【偽造チケット】だけのはずです。
しかし、昨今では当たり前のように購入者の名義の身分証を持っていない人間を一律に入場させないという措置を行っているのが見て取れます。
この手のことを言うと「規約には転売したチケットを禁止する内容の事が書いてある」と言う人がいますが、その考えは大いに間違っています。
他の国ではどうか知りませんが、日本には憲法という最も遵守しなければならない法の幹があり、財産権について29条に「財産権は、これを侵してはならない。」と明記されています。
興行チケットは財産のひとつであり、興行主と言えど社会性が認められる理由なく授受について規制してはならないのは明白です。
むしろ、何らかの事情があって行けなくなったから無駄にしないために他の人に譲るというのは財産の有効活用のひとつであり、これを阻害するのは財産権の侵害と言わざるを得ません。
ここまで読んで不思議に思った方もいるかと思いますが、興行主団体がここまで強行に憲法に抵触するとも思える強行的な施策を行うのは何故なのか仮説を立ててみました。
当たり前の事ですが、興行主はほとんどが企業であり、砕けた表現をすれば「お金を儲けることが存在意義」の組織です。
更に砕けて言えば「お金儲けに必要な事」だからやっているのです。
表に出ている看板としてやっているのは「転売屋によって不利益を被っているファンのため」と言うのも少しはあると思いますが、本当にファンを見てるのかというと首をかしげざるを得ません。
他の部分を見てファンのためになることをやっていないことが多いからです。その内容についてはここでの本筋から外れますし、多岐に渡ってしまうので割愛します。
別の側面を見ると高額転売規制の名の下に行っている身分証本人確認によって大幅に減っている事があります。
それは、定価以下での転売チケットの流通です。
特に1000円とか2000円の少額でチケットが融通されて入場したという話を全然見聞きしなくなりました。
そして、少額転売によるチケット流通が滞ることで利益を得ることができるのが主催者なのは説明の必要もないと思います。
定価以下でチケットが買えるなら正規販売で売れ残っている定価のチケットを買わずに定価以下の二次流通チケットを買う人は少なからずいると思います。
発売されてしばらく経ってから参加したいと思っても、安く買える可能性がある二次流通をCHECKして二次がないなら正規で買うという買い方をしていた人もいると思いますが、身分証による本人確認をチラつかせることによってこの二次流通を阻害し、正規販売へ誘引することができるのです。
高額転売規制を隠れ蓑に、売れ残りチケットの販売を邪魔する不人気公演の二次流通を阻害し正規チケットを売りつける機会を増やしていた・・・これこそが興行主が無理筋でもやり遂げたかったことで、嫌転売の世論は迎合して既成事実としてまかり通らせていると思います。
仮説ではありますが、シナリオとしては筋が通っていると思います。
本当に高額転売を抑制したかったら一部公演で行われている入場時座席付与を行うべきです。
高額転売の規制がされる前のデータになりますが、最前列が定価の10倍を超えるような公演でも最後列は定価で取引されるかどうかという事は割りと多く、入場する時まで座席が不明のチケットであれば、極端な値上がりはほとんど起こらないと思われます。
例外的にトップクラスの人気コンテンツだと、会場に入れるだけでも御の字と最後列でも定価を超えるコンテンツもありますが、そんな公演でも最前列と最後列で同じ値段という事はありませんでしたから、極端な高額化への抑止効果は高いです。
であるにも関わらず何故普及しないのか?
多少の人員やシステムの負担が増えるというのもあると思いますが、当日まで座席がわからないチケットの価値が低いからだと思います。
人間の心理として不確定な物やわからない物は軽んじる傾向がありますし、リスクヘッジを考える性格の人だと最低の価値で仮置きして判断します。
この場合の最低の価値は最後列ですし、リスクヘッジを考える性格の人が10%いたら最後列分の価値として考える人が10%いるという事になり、相当に目減りして計算されてしまいます。
また、先行抽選は除いて早ければ早い分だけ前の席が確保できるとなれば、とりあえずで早めに購入しようという気持ちを起こさせる事ができますが、入場時完全抽選なら直前まで購入判断を引っ張る人が出てくるでしょうし、ともすれば購入するか迷っている内に「やっぱり買わない」って判断も起こるでしょう。
つまり、売り手側にとって都合の悪いシステムだから採用したくないのです・・・おそらく。
また、座席ごとにチケットの値段に差を付けることについて #転売No の団体は「大金を出せない若い人達にも本物の音楽に触れてもらうために手の届く金額で買えるようにしておかなければならない」とか宣っていますが、これも無理筋の屁理屈に思えます。
中高校生にとって現在のライブのチケットの価格は安いのでしょうか?
大人(アラフォーのおっさん)の私から見ても好きなアーティストでもものすごく迷うくらいには高い水準だと思います。
本当に若い人達に本物の音楽に触れて欲しいと思っているのならば、むしろ大枚はたいてでも前で見たいというファンからガッツリお金を出してもらって、それを原資に後ろ席へ学生対象の無料招待などで見せてあげる方がよほど本物の音楽に触れる機会があると思います。
結局は興行主たちの怠惰の言い訳にしか見えません。
話が色々な方向へ行きましたが、本質として現在興行主がしばしば行っている「身分証による本人確認」は高額転売の抑止効果以上に本来不利益を被ってはいけない人達へ不利益をもたらす違法行為であるので、これに対しては即刻止めさせる必要があると思っています。
なぜかと言うと、政治的な言い方をすればアジテーションによって世論を誘導したら違法行為でも行って構わないという価値観を企業に持たせてはいけないと思うからです。
音楽業界だけが無法者の巣窟とは思えません。
他の業界でも世論をアジテーションによって操作し自分たちの都合のよいルール作りを行っていく動きができてきてもおかしくないと思います。
私が消費者である方々にお願いしたいのは感情論に踊らされずに、それが「本当に正しいのか?」をよく考えて欲しいと言うことです。
一部消費者の感情論で企業が上手く立ち回り、結果として消費者全体が不利益を被るのと言う繰り返されてきた歴史を見つめていただきたく存じます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます