この国の首都にミサイルが投下されてからすでに3ヶ月が経過していた。
ミサイルによってこの国の首都は壊滅。それ以外の地域でもパニックが起こり、
かつて平和を謳歌していたこの国も、死の恐怖に怯えた者たちの吹き溜まりと化してしまっている。
通常、国の首都が武力で壊滅させられたのであれば、それは即、戦争という状態に突入するものであろう。
しかし、この国はとても優しい心の持ち主の集まりであった。
ミサイル投下の翌日、早速この国の元首はミサイル発射国の総書記と面会。対話による問題解決を働きかけた。
対話によってである。
その元首の動きを、国では賛美する者は少なくなかった。
「かつての戦争で我々の先祖はかの国に多大なる苦痛を与えたのだ。再び争いを起こして、いったい何になるというのだ?」
「人間同士、対話を重ねれば必ず解かり合える」
大方、このような考えを持つ物が溢れていた。
もちろん、中には武力行使を辞さず・・・という考えの物も居た。
自分の国が滅ぼされようとしているのである。
「悠長に綺麗事をのたまっている場合か?我々は漏れなく消し去られてしまうのではないか?」
だが、そのような者たちは大多数の「対話派」から「非国民」として罵られることとなる。
「かつての軍国主義を復活させようとしている者たちは断罪するべきだ」
その考えの下、多くの「武力行使派」は弾圧されることとなった。
人命擁護局に連行されたまま戻ってこなかった一家の主は後を絶たず
本来ならば唾棄されるべきであろう女性に対する犯罪も、「武力行使派」の関係者であれば野放しにされ
学び舎に出かけた「武力行使派」の子供たちは、下校時には洋服も身体も精神もボロボロにされていた。
「対話派」は、なぜこれほどまでに対話に固執をしているのか?
それはもちろん、かつての戦争のような悲劇を起こさないためである。
挙国一致体制となって戦争に突入し、
多くの人々を苦しめ
多くの人々の命を奪った
あの戦争が再び姿を見せる事を何より避けたかったのだ。
そのため、ミサイル投下から丁度3ヶ月経過した5月11日、対話派の後押しによりこの国に新しい動きが出ることとなる。
「戦いでなければ解決はない」とする武力行使派が存在する限り、対話による平和は訪れない・・・
その信念から、武力行使派を指導するための法律「治安維持法」が制定されることとなったのである。
ここで「対話派」は安堵した。
この法律によって、対話による隣国との平和的問題解決をより円滑にすることが出来る・・・・。
すでにこの国の人口は7割程まで減少していた。
さて7月ゥゥゥゥゥ!!!!
でも疲れたから、7月を振り返るのはこんどにしよう。ぷぷっ!!