昔、18歳の学生が、華厳の滝で自殺をしたという話を聞いたことがあります。
そのときに遺書として残したものが
『萬有の真相は唯一言にして 悉す。日く「不可解」。』
という文を含むもの。
これは当時、相当な話題になったらしいですね。
18歳の若き青年が書いたものとしては、確かに含蓄を含むもんです。
時は明治であるから、やっぱり現代の18歳とは頭の出来が違うのでしょう。
また、マラソンランナーであった円谷幸吉の
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました...」
という言葉で始まり、
「幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」
という言葉で結ばれる遺書も、聞いたことがある人は多いと思います。
この2つの文章は、死の前にある緊張感からなのか
非常に印象的なものになっています。
初めて耳にした時から、忘れることのできない二人なのです。
苦悩を味わった人間の言葉というのは、とにもかくにも印象的になるのでしょう。
広島カープの前田選手は、2000本安打を達成したときにこう言っていました。
「こんな選手を応援してくださって、ありがとうございます。」
多くの怪我をし、戦線離脱も経験した自分を自嘲しながらの言葉なのでしょうが、
やはりこれも印象的なものでした。
僕もやはり自分を振り返ると、くだらないものだなあ、と思えてきます。
もちろん、前田先生の人生とは測るレベルが大違いなのですが。
「こんな人間を相手にしてくださって、ありがとうございます。」
と、みんなに言わなければなりませんね。
そして、それを僕の遺言にしたいと思います。