鈴木卓の気の向くままに 

「ああ、いっぺん言うてみたかった」、「日常のたわいない出来事」など、皆様へのお便りを発信いたします。

憲法はどこの国の言葉?

2015年05月24日 | Weblog

憲法は容易には変えられないからと言って条文を曲げに曲げ、「解釈憲法」などと言って苦し紛れの対応をしなくてはならない。この状態にはとても不自然に感じている。すでに日本語になっていない。70年近く前に発布された条文を大きく変化した現代にそのまま適応しようとするのだから当然なのかもしれない。

とくに第9条には相当に違和感を覚える。“武力を保持しない”とか“武力による解決は永久に放棄する”と書いてあるのに自衛隊を組織し武器を持ち、戦車も戦闘機も軍艦も備えている。この事を 「自衛権…」だとか「集団的自衛権…」などの権利を有するのだから違法ではない。また「武力は使うために持っているのではなく抑止力として機能する」などと説明されているがどうしても無理がある。これがまかり通るならば日本語って訳のわからない言語だということになる。もしそうであるならばそのように条文に付け加え明記すればすっきりした日本語になるはずです。この様なことをしていると「泥棒も三分の理屈!」とか武器を持ちたい人の詭弁にさえ受け取れるようになり、また法律に対して疑い深くなるばかりである。私本人は自衛隊の存在は賛成でも反対でもなく、どうしたら良いのかの判断もできない状態であります。

それにしても第九条の条文は人類の理想である事には間違いない。しかしこの理想はいつになったら実現されるのでしょう。実際に軍備を持たない国は世界中で存在しないようである。たとえ自国で持たなくとも必ずその国を守ってくれる他国が居る。実際に21世紀を迎えた今も地球上のどこかで戦争は起き、武力の衝突が続いている。そして「平和を保つためにも軍備が必要…」との理屈で武器を棄てることはまだまだ至らない。はるか遠くの夢なのかもしれない。