菜の歳時記

JW復帰への奮闘記

不安になる時。。。菜のCoffee break

2007-05-23 16:03:06 | Weblog
今年の夏で
耕平さんと私が排斥になって
3年になります。

3年。。。3年もたったんだぁ。

桃栗3年って言うから
排斥になって、もしも桃を植えてたら
今年は、実をつけちゃうくらい成長できる
月日が過ぎたんだぁ。。。

って、改めて思いました。

でも、時折、こんなコト
思う時があるんデス。

もしも、いつの日か復帰できたら
きっとそれは、すごぉく嬉しいコト。
でも、復帰したら
長い間排斥となって生活してたから
“排斥だった兄弟姉妹”って
みんなが思わなくても
自分の中で、レッテル貼っちゃって
ちゃんと、JWとして
社会復帰できるかなぁ。。。って
心配になっちゃう時が、ホントはあるんデス

以前見た映画で
長い間服役していた囚人が
いざ、世間に出る日を前に
いろんな怖さを感じ
その小さな刑務所の中から
出たくないって泣いてたケド。。。

菜も、そんなキモチが
わからなくもない気がして
心配になったりするんデス。

でもっっ!!

そんな不安がよぎる時は
こう思うコトにしてるんデス。

そんな不安お感じなくちゃいけないような
罪を犯してしまったってコト
そして、そんな不安を乗り越えなくちゃ
復帰は出来ないコト
そして。そして、なにより

エホバのもとに帰れるコトは
どんな不安も塗り消して
ほかのどんなものにも勝る
平安と喜びを得られるんだ。

って。思うんデス

だから、桃栗どころか
柿がなる8年かかったろしても
それ以上だったとしても
がんばりつづけなくちゃ。


書籍やこのまえのものみの塔の
あの、羊飼いに抱っこされてる
羊みたいに、なれる日まで。


それでは、またネ  菜より







プチ奇跡。。。菜のCoffee break

2007-05-14 15:44:23 | Weblog
JW現役のコロから今もずっと
菜がコッソリ

“プチ奇跡”

と思ってるコトがあります


それは。。。

自分がめぃる送信した相手から
まさに、同時にめぃるがきた時

菜は、これを“プチ奇跡”と言って
HAPPYな気分になったりします

一日って、あっという間だけど
24時間あって
“分”になおすと、1440分もあって
その中で、自分がお友達のコト考えてるまさに同じ時間
考えてるそのお友達もまた
自分のコト考えてくれてて
1440分の1の確率で
お互いを思い合ってるって
すごぉい!!って思うんデス。

聖書の中に記された奇跡みたいに
すごぉい奇跡じゃないから
“プチ奇跡”

でも、プチじゃないくらい
ウレシイ気持ちになるのでした。


それでは、またネ  菜より




耕平さんの涙

2007-05-08 23:08:12 | Weblog
耕平さんが、審理委員会の日。
携帯電話が鳴りました。

“菜?いよいよだ。
審理委員会、今から行ってきます。”

“うん。”

電話を切る直前、もう一度
このコトだけ、伝えました。

“耕平さん。。。審理委員会
エホバの愛をいっぱい感じて
やっぱり菜とは一緒になれないって思えたら
その気持ちを大切にしてくれていいから。”

そう言うのが、精一杯でした。



そして、2時間ほど過ぎた時
携帯が、鳴りました。

耕平さんからの電話。

“もしもし。耕平さん?”

“。。。うん。”

その声は、涙声だったのを
今も忘れません。

“終わったよ。。。委員会。
排斥を選んだんだ。。。
。。。でもね、でも、。。
最後は、当然だけど、握手もなかったケド
でも、菜の言うとり
エホバと兄弟たちの愛を感じた。”

耕平さんが、その後
審理委員会でのコトを
話してくれました。


耕平兄弟が、電話の向こうで
泣いてるのを
どう言ったら、一番いいのか
わからずにいました。

物心つくころから、集会に行き
JWとして、いろんなコトを
目指してた“耕平兄弟”を
“耕平さん”にしてしまった。。。

耕平さんは、電話の中で
一度も菜を責めず
“自分が菜を選びたかったから、排斥になったんだから。”
って、気遣ってくれてた。

耕平さん。ごめんね。

私は、その時、こん風に言ってくれた
耕平さんと、耕平さんの涙を
絶対忘れないようにしよう。
感謝を忘れないようにしよう。
って、思ったのでした。


なのにぃ。
今、部屋の中に
一日はいた靴下がほかってあるのを見て

“もぉ~、耕平さぁん、
ランドリーBOXに靴下いれてよぅ”

って、言っちゃた菜でした

。。。どんなコトがあっても怒らないって
あのとき、心に決めたのに。。。
ゴメンネ、耕平さん


それでは、またネ  菜より







友達に。

2007-05-02 17:16:30 | Weblog
排斥の発表がある集会まで
数日の猶予がありました。

小さいコロから集会に行き
いろんな人たちに支えてもらって
毎日を過ごしてきました。
排斥になるコトを
どうしても前もって伝えなくちゃ。。。
と思う人たちがいました。

友達全員に逢うわけにはいかない。
その中でも、数人には
直接逢って、ごめんねとありがとうを伝えなくちゃ。。。

その中に
高校生活の3年間、同じクラスになった
姉妹がいました。

彼女とは、価値観みたいなものが似ていて
学生時代から、ほんとにいろいろ話し
楽しいコトも悲しいコトも
分け合ってきました。

卒業しても、時折逢って話しをし
しばらく逢う時間がなくても
逢えば、時間を超えすぐに学生のコロに戻るような
そんな友達でした。

彼女に、今回の結果を話し

「ごめんね。ホントにありがとう。」

と言いうと、彼女は泣きながら

「JWとして答えるのと
JWではなく友達として答えるのと
どう言っていいか、わかんないよぉ。」

と言ったあと

「菜がいなくなって、もぉ恨むからぁ!
だから、必ず帰ってきて。」

と、彼女は言いました。




後日、彼女から手紙が届き
その手紙は、今も部屋に貼ってあり
くじけないよう、励ましになってます。


それでは、またネ  菜より