「下津(おりつ)入口」信号を海岸方面に曲がります。
まもなく踏み切りという左側に
鹿島神宮 末社「潮社(いたのやしろ・いたみや)」があります。
「潮社(いたのやしろ)は潮宮(いたみや)とも呼ばれ、鹿島神宮の末社で、高倉下命(タカクラジノミコト)を祀っています。神話の中で、神武天皇が日向を発ち東へ進み大和へ向かったとき、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗にあい、熊野山中で危機に陥りました。このとき高倉下が神武天皇のもとに師霊剣(フツノミタマノツルギ)を持参したとされ、その霊力により軍勢は毒気から目覚め、活力を得て戦に勝利、日本の建国に大いに貢献したとされます。荒ぶる神を退ける力を持つ、この剣は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が葦原中国(あしはらなかつくに)を平定したときの剣です。
ところで、鹿嶋の隣まち潮来の地名ですが、古くは伊多久(いたく)とか板久(いたく)と称し、その後に板来と称していたのですが、1698年に水戸藩主徳川光圀の命で潮来に改称しました。それは光圀が鹿島に潮宮があって常陸の方言で潮を「いた」と読むことに関心を示したことによるものです。
江戸時代の初めには「板来」と書かれていた「いたこ」に、水戸光圀公がこのお社と同じく「潮」の字を当てて「潮来」と名付けて下さいました。そのいわれも、説明の看板に書かれています。
小美玉市にも「潮宮神社」があり、こちらから遷宮されているとお聞きしています。しかし、両方とも在るのが不思議で、詳しく解らないかと「鹿嶋神の道運営委員会(鹿嶋人ギャラリー)」に問い合わせてみましたが、この看板に書かれている以外の事は解らないそうです。
お杜の森は小さいながら清々しく続いています。
その奥に・・
「潮社」
祭神 高倉下命(タカクラジノミコト)
神武天皇に、師霊剣(フツノミタマノツルギ)と勝利をもたらしました。
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