あるボウリング場での2年あまりの出来事

ボウリングへの愛情とボウリング場の未来を憂う気持ちを込めて

感謝している人達

2016-12-29 22:19:58 | 回想録
多い時には週5回通い、その度3~7ゲームぐらいのプレイをしており、

そんな練習の成果もあって、アベレージは150点台に達していた。

ボウリング場のスタッフ曰く、「レジャーボウラーの域を脱しましたね」

という持論(?)を唱え、俺にはそれが「激励」に聞こえた。

古参のスタッフらしきこの人からは随分といろいろなアドバイスを受け、

それらには今でも大いに役立っていることがある。

この方は、ボウリングを愛しており、スタッフチャレンジも開いている

それなりの腕前のようで、現在でもボウリングに対する意識姿勢などを

尊敬している。長らく会ってはいないが、今もそれは変わらないだろう。



この頃つかっていたのは、安いマイボール。

本来は「スペアボール」につかわれるものだが、まだまだストレートで

コントロールの練習をしている時期だったので、これで十分であった。



だが、さらなる上達を目指して、このボウリング場に専属している

女性プロボウラーのレッスンをうけることにした。

レッスンは日中しかおこなわれていないので、会社の有給休暇を使って

たまに参加するぐらいであったし、このプロは人気があって

レッスン受講者が多く、アドバイスを受ける回数も少ないのだが、

今現在でも役立っている基本を教えてもらったと思っている。

活躍しているのをメディアで見ては今も応援している。



その他にも、若くてキビキビしている男性の仕事ができるスタッフや、

巨漢のマメにボウラーを気遣った整備をしてくれるスタッフなど

この頃になると仲良くなった方々もボウリング場にたくさんいた。



巨漢の方はある時からみなくなってしまった。

何等かの理由で退職したのかもしれない。

疲れのとれる温泉施設を教えてもらったこともあったな。

また、そのボウリング場での重職らしき地位にいた方が急死している。

いろいろと話せる方だった。この場を借りて合掌瞑目。

ボウリング業界

2016-12-29 01:20:45 | 回想録
子供の頃、レジャーボウラーの頃から

ボウリングにおけるマナーやルールなどを

当たり前のように守ってきたし、守ることが当然だった俺にとって

それらを無視した(もしくは知らないで守っていない)連中には

いらだつことも少なくなかったし、ボウリング場がロクすっぽ

注意も教える事もしないという現状が信じられなかった。



ある時に男性スタッフの一人に「うるさい人には注意をして欲しい」

と要望したところ、「あまりにもうるさいと注意してます」と

不機嫌そうな顔での返答をされたこともあった。



そんなボウリング場に対するいらだちも感じていた頃に、

ボールリターンがなにかしらの不調をきたしているようで

何度も何度もボールが戻ってこないという日があった。

機械の不調は仕方がないこともある。

ちゃんと整備してほしいものだが、営業時間中だけではなおせない

ということもあるのだと思う。



その事を前述の同じスタッフに「ちゃんと整備をしてほしいです」と

要望をしたところ、その者は「でも」と言い訳を言いだそうとした。

こちらが客として店側から聞きたいのは言い訳ではない。

前回の言い訳と相まって怒りを爆発させた。

本人 そして その上司と思われる人にも文句を言わせてもらい、

とりあえずは上司らしき人が私に謝ってくれたので、矛をおさめた。



ボウリング場もサービス業である。

だが、なんとなく「殿さま商売」というカラーがあるように思えるし、

「すみません」の一言もいえないスタッフがいる事に呆れてしまった。



多くのボウリング場が、高度経済成長期の終わりになる1970年代

前半につくられたと聞く。いわゆる「ボウリングブーム」の頃である。

その頃の栄光のようなものをひきずっているおかしな業界であることが

常連になって通い、必死になって猛練習をしていると感じられてきた。

どこか一般社会とは隔絶したものだと思える事も見えてきたのだった。



ちなみに、俺が怒りを爆発させたその男性スタッフは、

その後はなんとなく俺のことを避けるようにしていたが、

後々には、きちんとした接客や対応をしてくれるようになっていった。

もしかしたら、上司などが態度を注意や叱責をしてくれて、

その者も「成長」をしてくれたのかもしれない。

マナーとルールと練習と

2016-12-27 23:48:00 | 回想録
最初はハウスボール・レンタルシューズからはじめた素人同然で、

まったくの我流で練習をしていった。



そして、練習を重ねるうちに次第にコントロールが向上していき、

なんとか120点台・130点台まで出せるようになり、

Youtubeなどの動画類を参考にして練習を重ねて行った。



途中、「サムレス」という安易な方法に頼ろうとしたが、

サムレスをしている多くのレジャーボウラーがDQNっぽい事に

この方法をやめることにした。ドスンと落下音がうるさいことも

あるのだが、ボウリング場のマナーの悪さが嫌になる事もあった。

いつからこんなにマナーの悪い場になってしまったのだろうか?



それを注意しない・マナーやルールを教えもしないボウリング場の

スタッフに憤りを感じる事も多々あったし、センターのリーグに

参加しているマイボウラーの中にも、大きなボールケースを邪魔に

放置して我がもの顔にふるまったり、喫煙ルームの扉も締めずに

平気でタバコを吸う輩や、大きな声で騒ぎ立てる「主」ともいえる

年輩の常連もいて、集中力を阻害され嫌な気分になる事も多かった。

昔はレジャーボウラーだった

2016-12-25 01:26:32 | 回想録
俺は今でこそマイボウラーとしてボウリングを愛好しているが、
昔どころか数年前まではレジャーボウラーに過ぎなかった。

はじめてボウリングをおこなったのは小学生の頃だと思う。
今のように「ガーターガード」などなかった時代である。
スコアはあまりよくなかったと思う。

だが、「右側優先」(隣り合ったレーンが同時に投球するのは禁止)
ということは守っていたし、ファールラインを越えたら0点ということも知っていた。
親はボウリングブーム世代であり、教えてくれたのだと思う。

ちょっと前までは、レジャーボウラーでもほとんどの人が
このルールやマナーを知っていて、きちんと守っていたと記憶している。
俺が大学生の頃や、数年前に友人とプレイしたときだってみんな守っていた。

いつからだろうか? これを知らないレジャーボウラーが当たり前になってしまい、
みんなが守らないのが当たり前になってしまったのは?

中学2年生の頃にだした160点ぐらいが長らくの自己最高得点だった。
だが、たまにプレイをすることはあっても、あまり上手くはなかった。

数年前にあるところの親睦会でボウリングをしたところ、
それにしてもあまりにもひどいスコアになってしまい、
周囲の人から失笑されてしまった。
そんなことに悔しさを感じ、「本気」でボウリングをはじめることにしたのだ。
それ以前もPリーグは何度か見たことがあったが、
この奥深い世界に足を踏み入れたのである。

ある有名なボウリング場に通いはじめたのはそんな頃で、
「駐車場があるから頻繁に通いやすい」というのがそこをホームに選んだ理由だ。
ちなみにそのボウリング場は、ラウンドワンではない。一応それを書いておく。

ブログを開設しました

2016-12-24 01:36:06 | 回想録
東京都内在住のボウリングを愛する
ストイックなボウラーです。

以前、あるボウリング場に通っていました。
だが、残念ながら数年前にそのボウリング場へは
二度と足を運ぶことはなくなってしまった。

その理由は、このブログの最終回において語ることになるだろう。

これは、ボウリングの未来を憂う気持ちから書いたブログだが、
ボウリング場でのよもやま話も混ざってくる予定である。