あるボウリング場での2年あまりの出来事

ボウリングへの愛情とボウリング場の未来を憂う気持ちを込めて

昔はレジャーボウラーだった

2016-12-25 01:26:32 | 回想録
俺は今でこそマイボウラーとしてボウリングを愛好しているが、
昔どころか数年前まではレジャーボウラーに過ぎなかった。

はじめてボウリングをおこなったのは小学生の頃だと思う。
今のように「ガーターガード」などなかった時代である。
スコアはあまりよくなかったと思う。

だが、「右側優先」(隣り合ったレーンが同時に投球するのは禁止)
ということは守っていたし、ファールラインを越えたら0点ということも知っていた。
親はボウリングブーム世代であり、教えてくれたのだと思う。

ちょっと前までは、レジャーボウラーでもほとんどの人が
このルールやマナーを知っていて、きちんと守っていたと記憶している。
俺が大学生の頃や、数年前に友人とプレイしたときだってみんな守っていた。

いつからだろうか? これを知らないレジャーボウラーが当たり前になってしまい、
みんなが守らないのが当たり前になってしまったのは?

中学2年生の頃にだした160点ぐらいが長らくの自己最高得点だった。
だが、たまにプレイをすることはあっても、あまり上手くはなかった。

数年前にあるところの親睦会でボウリングをしたところ、
それにしてもあまりにもひどいスコアになってしまい、
周囲の人から失笑されてしまった。
そんなことに悔しさを感じ、「本気」でボウリングをはじめることにしたのだ。
それ以前もPリーグは何度か見たことがあったが、
この奥深い世界に足を踏み入れたのである。

ある有名なボウリング場に通いはじめたのはそんな頃で、
「駐車場があるから頻繁に通いやすい」というのがそこをホームに選んだ理由だ。
ちなみにそのボウリング場は、ラウンドワンではない。一応それを書いておく。