2 環境――子どもの五感と衣食住
感覚的印象と想像力が脳を形成していきます。穏やかな感覚的印象と、想像力を刺激する素朴なおもちゃが大事です。完成されたもの(本物そっくりにできている玩具)だと、想像力がせき止められるし、知育目的の抽象的な遊びは、子どもを生活から引き離していきます。想像力がないと、他人に敷かれたレールの上を歩むことしかできなくなります。あとでもお話しますが、遊びは大人の仕事の真似をして、生活能力へとつながっていくものがいいです。
幼児は全身で周囲の印象に没頭しているので、環境が安らかな印象を与えることが大切です。子どもは、きつい味付けのものを好むことがありますが、それが体によくないことは、だれでも知っています。同様に、けばけばしい色や騒々しい音は、子どもの心身を害します。すでに述べたように、まわりの大人の行為と思考が、落ち着きと愛情あるものであることも大事です。まわりの大人の行ないと思いに、落ち着きと愛情があることによって、子どもの心身は健やかに育まれます。幼年期の生活に愛情と善意が満ちていることによって、健康の土台が作られるのです。
五感
最初の大事な感覚は触覚です。どういう素材の衣服を身につけているかですが、子ども用の服に関しては綿一〇〇%が主流のはずなので、問題は少ないと思います。これだと着ていて気持ちがいいはずです。もちろん、シルクの肌着もよいです。
素材だけでなく、どういう色や柄の服を着るかにも注意したいと思います。残念ながら、一般に売っている子ども用の服というのは、子どもにとって好ましくないものが多いです。もっと穏やかな色がいいですし、柄も派手でない方が子どもにとっていいです。
衣服のほかにも、子どもの手が触れるものが気持ちいいものであるように気を配りたいです。大人も、プラスチックなどはあまり気持ちよくないですよね。大人は皮膚の表面で感じて判断できて、嫌なものからは手を離したいと思いますが、子どもの感覚は無防備で、大人の何倍も深く全身で感じてしまうので、体調に影響します。家具やおもちゃは天然のよい素材のものを選ぶのが一番です。
その次の感覚は、子どもにとっては耳、聴覚でしょう。大きい幼稚園の園庭で先生方が子どもたちの前でマイクやスピーカーを使って大きな声で話しておられることがあります。これは、よくないです。静かな音や穏やかな色調が、子どもを本当に元気にします。童話も、静かにしないと聞こえないくらいの小声で語ります。
視覚はどうでしょう。自然界の微妙な色の移り行きを楽しむ時間がたっぷりあるでしょうか。聴力がイヤホンの使用によって害されることがあるように、バックライトのもの(テレビやコンピュータの画面)を見ることによって視力が衰えます。また、あまりに細かな文字を目にするのも、視力に影響するそうです。
土の香り、木々の香り、花々の香りなど、嗅覚の楽しみも大きいものです。
新建材の匂いなど、嫌な匂いも多いのですが、その部屋にしばらくいると、匂いに慣れて、感覚が鈍ってくることがあります。嫌な匂いには邪悪なものが集まってくるといわれますね。健康によくない人工的な匂いに注意しましょう。
最後に、味覚を考えましょう。舌の機能は二つあります。一つは、無害か有害かを判断する機能。私たちも腐ったものを味や匂いで感じますよね。もう一つは、食べている量が適量かどうかを判断する機能です。
適量かどうかは、本来は舌で判断するものなのです。胃で判断しようとすると、満腹感が脳に伝わるのに時間がかかるので、食べすぎてから満腹に気づいたりします。舌に注意すると、食べすぎる瞬間から味が落ちてくるのでわかるのです。ですから、おいしくなくなったら、これはもう十分だと思ってやめる方がいいです。
砂糖は、天然のものだと適量で満足するのですが、人工的に精製したものは癖になって、度を越して欲しがるようになります。
おもちゃ・あそび
本物そっくりの自動車のおもちゃだと、空想のなかで飛行機にすることはできません。笑顔の人形だったら、空想のなかで泣き顔にすることはできません。拾った葉や小枝や石だと、いろんなものに見立てて遊べます。単純なおもちゃのほうが、ファンタジーと創造的な意志を豊かにするのです。想像で補う余地のない本物そっくりの玩具は、子どものファンタジーを堰き止めます。
幾何学的に作られた積木よりも、自然の枝のほうがファンタジーが広がります。ファンタジーは、くつろいでいるとき、気分のよいときに、のびのびと展開します。
さっき言いましたように、知育目的の抽象的な遊びは、子どもを生活から引き離してしまいます。大人の家事や仕事の真似をするのが、一番好ましい遊びです。子どもは遊びに熱中し、真剣に遊びます。ゲームばかりで遊んでいると、将来、「ゲームが面白いもの。仕事は面白くないもの」と思うかもしれません。
小さな子どもは、ひとり遊びが基本です。年長さんのころから仲間で遊びだします。仲間で遊ぶというのは、人間が社会のルールを学ぶ最初の機会です。遊びというのは遊びたいからやるものですが、ルールは決まっています。子どもは、進んでそのルールに従おうと思います。
TVのこと
テレビに親しんでいると、自分が努力しないでも楽しませてくれるものに慣れます。また単純な言語に慣れて、難解なものに取り組めません。一定時間以上、受動的にテレビを見ると、暴れたくなります。
そのように、テレビを見ていると思考が受動的・表面的になり、言葉が単純になり、集中力・創造性が低下します。意志が弱くなり、攻撃的になります。
テレビを見ても害がないのは一六歳以後です。一〇歳以降なら、害はいくぶん少なくなりますが、親が一緒に見て、番組の内容についてあとで話し合って消化する必要があります。
子どもは、人類が通過してきたことを、自分の成長につれて順に体験していくものです。たとえば、楽器はまず昔からあるもの(笛や弦楽器や打楽器)を手にし、近代の楽器(ピアノ)は、もう少し大きくなってからにします。現代の発明品であるコンピュータは、青年になってから習得するものです。
コンピュータは仕事に使うものであって、遊びに使うものではありません。遊びに使うと、没頭してしまって、受ける影響が多くなります。
しつけ
「しかる・ほめる」が、思春期に良心が目覚める準備になります。良心が目覚めるのは一〇歳ごろからです。外からの規範に合わせるのではなく、自分の良心から行動する人間が自由な人間です。
大人が感情的に怒ると、子どもは大人の怒りに反応し、叱られている内容を洞察できません。いつも叱られて、びくびくし、不安になると、子どもは不器用になっていきます。叱りすぎると、子どもは過敏になり、叱らないと、良心が欠如した人間になります。甘やかすと、断念を学べず、意志の弱い、無気力な人間になる可能性があります。厳しいしつけは、子どもを受動的にし、やがて外界に対する関心を失わせ、ついには暴力的な行動に走らせます。
叱るとき、「罰を与える」と言うと、自分の行為の善悪を考えないまま、罰を恐れて行動を控えます。それだと、教育になりません。
幼児期全般にわたって、子どもは親を模倣して育つものですから、真似をする見本なしに、自分で決定するように言われると、意志の方向を定めようがなくなります。
子どもを甘やかしすぎる、たとえば、子どもが「いや」と言えば、なんでもやらせずにすませていると、子どもは自制する力を持てません。放任主義にした場合、子どもは無気力になりがちです。逆に、しつけを厳しくすると、さきほど言ったように、子どもは受け身になって、自分からものごとに関心を示さなくなります。叱ってばかりだと、その怒りに反応して萎縮し、不器用になることがあります。感情的になるのではなく、威厳をもって落ち着いて諭すのが教育的でしょう。
また、おおげさにほめすぎるのも考えものです。手伝ってくれたときは、「ありがとう」で十分。ほうびは不要です。子どもは、親の手伝いをできることが嬉しいのですから、「これをしてくれたら、ほうびをあげる」と言う必要はありません。そのようにしたら、親の手助けをできること自体が嬉しかったのに、ほうび目当てに手伝うようになってしまいます。