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家族との生活記録です。宜しくお願いします。

2013/07/13(土)

2013年07月13日 | 2013年
5年ぶりのジブリ作品「風立ちぬ」が7月20日(土)に公開されます。
学生のときに「ジブリがいっぱいコレクション」のビデオを集めたな~と思いだしました。

同時に、主題歌が松任谷由実さんの1stアルバム「ひこうき雲」になり、テレビやラジオでもよく耳にするようになりました。
「生」や「死」を考えさせる曲というと自分の中では直近で稲葉浩志さんの「Okay」で、現在を大事にしたいという想いを受けましたが、この「ひこうき雲」は対極的であるのと同時に、最初この歌詞を読んだ時、色んな受け方をして考えてたなぁというのを思い出しました。

自殺の歌、戦争(特攻)の歌、病死した子への歌・・・。
作詞した人の意図もありながらも、その歌詞をどのように受け取るかも聴き手の自由ってことで・・・。

この歌詞が誕生したのは、松任谷由実さんが高校3年生の時。
近所の高層団地で高校生同士が飛び降り心中自殺をして、そのニュースを知ったのと同時に、
小学校の同級生の男の子が高校1年生のときに亡くなったことを思い出したそうです。
彼は筋ジストロフィだったそうですが、死因については明言されていません。
ただ、葬式での彼の写真には面影がなくなっていたことを言及しています。

その上で、自分はきっと自ら「死」を選択し心中した高校生と、
生きようと頑張ってきたけど、その命が尽きた筋ジストロフィの彼を重ねて、
「死に方」についてこの歌詞を書いたのかなと思いました。

歌詞でも「今はわからない ほかのひとにはわからない」と
歌詞にある「あの子」が死を選択した理由や想いの真相はわからないとした上で、
「あの子」は幸せを求め「死」を選択したのだろうと第三者的に歌ってます。

「死」の先にあるものを「憧れ」と表現し、その憧れを求め飛び降りることを
「空をかけていく」と表現し、
さらに、憧れを求め空をかけて消えていった「あの子」を「あの子の命はひこうき雲」
と表現し、「あの子」の死を前向きに捉えようとしながらも儚さを含めた表現に泣けてきました。

決して「死の選択」を美化した曲ではないと自分は思います。
同時に、自分はこの曲は切なさすぎると思います。
何より、10代のときにこんな歌詞を書ける松任谷由実さんはすごい♪

と、私みたいに自殺をイメージする人は少数派で、ほとんどが病死など若くして亡くなってしまった方へのレクイエムとしての曲と受け取っているそうです。
「高校生同士が飛び降り心中自殺」というエピソードを聞かなければ、自分もそのように受け取っていたと思います。

「高いあの窓で あの子は死ぬ前も 空を見ていたの」という歌詞から、
「その子」は、なんらかしらの病気(エピソードだと筋ジストロフィを連想)で自由が利かずに自由な空に憧れを抱いていたと思われます。
そして、息を引き取った後、残された皆は若くしてこの世を去ったと偲ばれる中、
その子は、空への白い坂道を駆け上がり自由を感じている様をイメージ出来ます。
この曲での「その子」にとっては、自由になれた瞬間なのでしょう。

どっちの解釈に立ったとしても、松任谷由実さんの歌詞としては「死」は最終地点ではなく、その先があり、そこは現在よりも「憧れ」として素敵なところと表現しています。

「自殺」か「病死」かの捉え方の違いは、恐らく歌詞の
「死ぬ」という言葉ではないでしょうか。
病死だと「この世を旅立つ」とか「亡くなる」とかの表現をするのかなと思いますが、
あえて能動的にも捉えられる「死ぬ」という表現、
「何もおそれない そして舞い上がる」という自殺する者からの立場にも違和感のない表現からと自分は思いました。

いずれにしても、どの受け方で聞いても何ら違和感のない多様性を持たせたこの歌詞はとても素晴らしいと思います。
人は遅かれ早かれ必ず死ぬときが来ます。
病気や事故ではなく、自らの意思でそのときを早く迎えること、
それを美化・肯定するつもりはないですが、10代の多感な少年少女からすると、
そういう見方もあるのかもしれません。