原爆と戦争責任

なぜ核兵器はなくならないのでしょう?なぜ日本人は非常識なのでしょう?

アメリカに原爆被害の賠償金を請求します(日本テレビ大田総理より)

2007-08-18 23:39:31 | 原爆

2007年8月10日 日本テレビ「太田光の私が総理大臣になったら」より

<原爆はしょうがなかったのか?>
マニフェスト「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」、それによって
Aアメリカが賠償金を支払う事で原爆投下は犯罪であると認識させる
B戦争への意識が高くなり平和に役立つ
C日本は原爆の愚かさを訴え核兵器を無くすリーダー国としての役目をはたせる
に賛成か反対か?

[背景情報]
1戦後原爆についてアメリカ政府からの謝罪の言葉は一切ない
22007年7月3日 ロバート・ジョセフ核不拡散担当特使の言葉
「原爆投下が戦争に終わりをもたらし結果的に何百万人もの日本人の命を救った」
31951年のサンフランシスコ平和条約で
米英は「日本への賠償請求権を放棄」日本は「連合国への賠償請求権を放棄」している
41932年国際連盟平和軍縮会議で「一般市民に対するあらゆる空襲の禁止」が決議されている

[賛成派]
大村秀章(自民党)、小野寺五典(自民党)、原口一博(民主党)、吉井英勝(共産党)、東ちずる(広島出身)、島倉千代子(戦争体験者)、鈴木敏明(歴史家)、山本モナ(被爆三世)、鈴木沙理奈、海川ひとみ(アイドル)、金美齢(台湾人)、三宅信雄(被爆者)
[反対派]
石破茂(自民党)、東順治(公明党)、笹木竜三(民主党)、保坂展人(社民党)、王曙光(中国人)、池田清彦(早稲田大)、中川八洋(筑波大)、ケント・ギルバート(弁護士)、サム・ジェームソン(元LosAngelsTimes記者)、パーリット・セービン(記者)、ケビン・クローン、ふかわりょう、川島明、田村裕

(討論)
太田:賠償請求することで原爆の風化を防げる
ふかわ:1951年に請求しないと決断した
太田:1951年にその時の被爆者の感情をきちんと受け止めていたか不明だ
中川:逆だ、久間氏の考え方は1960年頃までは多数派だった、例えば昭和天皇もそう言っている →【脚注①】
東:原爆は実験だったという真実を明らかにできる
小野寺:なぜ実験かというとアメリカは1ヶ月前から広島空襲をやめて準備をしている
鈴木:ポツダム宣言を受け入れなかったから原爆投下されたと言うが、トルーマン大統領に皆が天皇の地位を補償すれば日本は降伏するだろうと進言している。トルーマンはわざとそれに従わなかった →【脚注②】

(石破の反論)
石破:サンフランシスコ条約で請求を放棄したのを原爆だけやめると言うことか?
太田:原爆に限らない
石破:すると東京大空襲、そして日本に対する他国からの請求などを可能にして、パンドラの箱をあけたようになる
太田:あけましょう
石破:賠償金は国民の税金だ、収拾がつかなくなる
太田:それは「しょうがない」と言っているのと同じだ →【脚注③】
石破:次を確認すべきだ、①1945年日本がもし原爆を持っていたら使っていただろう②当時アメリカからみて日本が勝算がないのに抵抗を続けるのは理解できない
太田:アメリカからみて日本は狂っていたと言いたいのですね
石破:②(続き)そのまま行ったら本土決戦になると思っていた=戦争を終わらす為に投下した
東:ならばなぜ警告をしないのか?
石破:無人島でデモをしても日本は言論統制があったからダメ③日本政府は冷静に判断すればアメリカに勝てる訳ないと開戦前からわかっていた、なのに予算をとって戦争にすすんだ。当時の日本とは何だったか検証すべきだ。④ソ連は北海道を欲しがった、ソ連をおとなしくさせる為だった →【脚注④】

 原口:原爆は実験だったというのはアメリカは兵器の能力として直接放射線データのみ取った、だから今も間接被爆(入市被爆者など)を無視した意図的なデータになっている。賠償請求することで実相にせまりたい。 →【脚注⑤】
クローン:戦争はひどい事するのが当たり前
池田:原爆はひどいがそれが賠償請求とは飛躍ありすぎ、理由は実効性がない、日本が自分で始めた戦争で賠償を請求するなんてありえない
太田:俺は実効性があると思っているから提案している
笹木:賠償請求はいろんな国がやっていてそんな低レベルな国と一緒と思われちゃう。金で解決すべきじゃない
山本:ではそのままにするのか?なぜ日本の政治家は国会でこれを明らかにしないのか?
笹木:日本を降伏させるためというのは嘘だ、スティムソン陸軍長官が「20億ドルの原爆開発費の成果を得たい」と言っている。これは国会決議に書けるが金じゃないだろう
吉井:サンフランシスコ条約で賠償請求権は消滅したというが、被害者個人が請求する権利は消滅していない →【脚注⑥】
小野寺:原爆被害は今も続いている。1951年の条約締結時には原爆被害の継続は予期していなかったから今請求できる根拠がある。また被害を理解してもらう為に請求する事の意味がある[拍手] →【脚注⑦】

(アメリカ人の反論)
ジェームソン:日本は<核の傘>の下。アメリカの核兵器による反撃を期待している[東ちずるの激しい否定の身振り] →【脚注⑧】
大村:原爆を国際的にアピールすべきだ、ジョセフ氏のような考え方はおかしいと世界に言うべきだ
ギルバート:戦勝国が敗戦国に賠償金を支払った歴史はない
太田:今までの歴史は関係ない、これから何ができるかだ
ギルバート:アメリカの日本への戦後の経済支援にそうした意味があった →【脚注⑨】
賛成派:そこには反省の意図はない
ギルバート:それで平和になった、それを言わずにお金を請求するなら誤解されるだろう(どんな意味に?)アメリカ人にとっては、原爆のおかげで戦争が早く終わって多くのアメリカ人も日本人の命が救われたという認識だ
セービン:アメリカの教科書にはそう書いてありそれ以外の考え方はないだろう、だからアメリカ人は賠償金を払おうとは思わない。日米には意識のギャップがある。教育のせいでもある。 →【脚注⑩】
大村:教科書にそう書いてあるのは問題だ
島倉:私が思うのは原爆が再び落ちる事がないようにしたいだけです →【脚注⑪】
ギルバート:原爆が投下されるのは運命だった、人間は科学の怖さを知らない、だから1回目はある意味ではやむを得ない、だが2回目は許せない →【脚注⑫】
沙理奈:アメリカ人は「原爆は怖いものだ」と感じていないのね! →【脚注⑬】
ギルバート:若い頃初めて原爆資料館に行った時には「自分が何も感じていない」のに気がついた、自分とは関係ない事と思った。その後たくさん勉強した。

(戦争論)
王:原爆は歴史の1ページだ他を忘れてる。重慶の爆撃の被害者は広島より多い。日本は重慶の被害者の賠償請求を退けながら米国に請求するのか?それは国家の品格が問われる。 →【脚注⑭】
太田:その通りだ。日本人は(60年前の)戦争は「しかたがなかった」という感覚がある。それも全部検証し直そう。
石破:賛成だ。自衛戦争だ、太平洋戦争に突入したのはしかたがないという意見がある。それを総括すべきだ。コアな議論を回避し認識のギャップがあるまま同盟国と言ってもそれは脆いものだ。 →【脚注⑮】
太田:戦争に必然などないということだ
石破:自衛戦争(急迫不正の武力攻撃を受けた場合)は認めるべきだ。 →【脚注⑯】
太田:違う。戦争は自衛からはじまる。日本は中国に侵攻し、アジア全体が欧米の経済的・政治的侵略を受けており、それへの自衛意識から戦争が始まったと思う。自衛の戦争も否定しないと、どっかに隙間があって戦争が始まる。 →【脚注⑰】
石破:日中戦争は自衛戦争ではない。しかし自衛戦争はしてもいいものだ。
金:賠償請求の意味を論じずに枝葉末節が多すぎる。アメリカは人道問題として慰安婦非難決議をした、原爆は最大の人道問題だ。賠償請求は非現実的だが、原爆は最大の非人道的行為という意味を論じるべきだ。 →【脚注⑱】

(被爆者(三宅信雄)の被爆体験陳述)約3分
海川:アメリカ人の事をどう思いますか?
三宅:その時はアメリカを恨んだがその後いろいろ知ると、アメリカの指導者には深い憎しみを感じるが一般人としてのアメリカ人には恨みを抱いてはいない。 →【脚注⑲】
太田:海川がアメリカ人は悪い奴だと思ったのは無理はない。「感情的に相手を許せない!」となってしまうと突き詰めると戦争になってしまう。例えば日本も中国人に酷いことをしてる。もっと戦争について知るべきだ。 →【脚注⑳】
保坂:被爆者は26万人(被爆者手帳所有者)、原爆症認定者は2300人。日本政府は何してる?
三宅:我々の思いはアメリカへの恨みにはない。我々は核兵器は使われてはいけない、なくさなくてはいけないと運動してきた。
池田:核兵器はなくならない、科学技術はより高度のものが登場しないとなくならない。なくならないのを前提に考えるべきだ。
東:大事な事は、地球から核兵器をなぜ廃絶できないのか?
山本:今の私たちにできるのは知ること、戦争について勉強することだ


投票結果:賛成14/反対13
視聴者の投票結果:賛成72%/反対28%

視聴者:賠償金は謝罪の表現の一部であって、請求すること自体が主張なのではないか
視聴者:日本の平和は核の傘のおかげ、賠償を求めるのは自殺行為だ
視聴者:賠償を求めるよりアメリカの子供に核兵器は絶対使用すべきではないと教えるべきだ

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【脚注】
①原爆投下で戦争が終わったと言う感覚は、日米とも当時の兵士・市民にはあるようである。投下のすぐ後に日本の降伏が行われているためである。しかしアメリカでは1946年に原爆の被害の大きさがしれるとすぐに正当だったのかという世論が一部に起こり、これを抑えるため「上陸作戦時の100万アメリカ兵士の命を救うため」という論文が陸軍長官の名で発表されている。しかし日本では戦後10年近くはGHQの報道規制により原爆について一般的にはほとんど知られておらず、その被害の惨状は知られていない。これが初期のしかたがないという感覚の背景であろう。

②原爆投下の経緯。即ちトルーマン大統領の意志決定過程についてはアメリカ人による多くの研究があり詳しい事情まで明らかにされている。

③石破は賠償請求は金銭的に日本人の大きな負担になるからダメだと主張している。討論ではこの賠償請求の意味は実は金銭の問題ではないことが明確になっていく。即ち戦争といえども原爆使用は正当なのか、正当な戦争はあるのか、核兵器廃絶の可能性などが真の焦点である事が明らかになる。

④石破は4つの論点をあげているが彼はそれを正当化できていない、反論は以下だろう
1 1945年当時日本軍も原爆を持っていれば使っただろうから米を非難できない→日本の戦争犯罪(重慶爆撃など)も反省・賠償し、同時にアメリカの原爆も反省謝罪すべきだ
2アメリカから見て原爆以外では日本は降伏しそうになかった→当時の米の軍首脳はほぼ全員通常兵器で降伏に追い込めると考えている(アメリカの研究による)
3論点がずれている
4原爆は北海道を欲しがるソ連に対する牽制→戦争終結の為ではなく、既に戦後の米ソ対立を見越したアメリカの利益の為であり日本が納得できるものではない

⑤原口氏のこの意見は非常に注目に値する。科学的見地から見て被爆量を爆心からの距離だけ(直接放射線だけ)で算定する現在の方法は明らかにおかしい。そのおかしい理由が実験目的であったアメリカの被爆者からのデータ採取の事情によると見ているのであろう。

⑥日本政府に対する中国人の賠償請求裁判などで今も争われている。最高裁判決(2007年西松判決)は被害者に賠償請求権そのものはあることは認めている。

⑦小野寺氏のこの意見も注目に値する、原爆の放射能による長期の被害という人類が今まで予想し得なかった現実、という指摘には説得力がある。

⑧日本は核の傘の下にあるから原爆に関して批判すべきではないという非常によく見られる意見。この反論は実際には無意味なのだが一般的にはあまり知られていない。理由は
Aこの反論が日本政府への場合。日本政府はNPT(核不拡散条約)を推進している。この条約の考え方はもともと米ソなどには核兵器の所有を認め他の国には認めない<矛盾>した考え方にたっている。日本が核の傘の下にあるまま他国の核兵器廃止を求めるのはNPTの考え方そのままであり、その点ではなんら矛盾したものではない。
Bこの反論が核兵器廃止運動をしている日本人への場合。そうした日本人は他国へも、また日本政府へも核兵器の禁止を訴えているのであり、なんら矛盾していない。スタジオの東ちずるの悲しげな表情はこれを表現していた。

⑨戦後のアメリカの日本への経済援助には原爆への反省と補償の意味があるとは考える人は少ないだろう。しかし戦後の日米関係が結果として平和で経済発展した日本を支えたのは事実であり、結果としてよかったではないか?というアメリカからの主張はあるだろう。しかしそれは論点を広げすぎである。

⑩原爆に限らず戦争に関してのアメリカの教科書や一般的な認識の違いは大きい。戦後62年たってもこうした歴史認識の差は日本-中国だけでなく、日本-アメリカでも大きい。

⑪TVでは島倉のこの発言はただ泣き言を言っているだけで無意味に見える。しかし、これは日本人の総意であり完全に合意の得られる、日本人の最大の熱意の源である。逆に言えばアメリカなどの国は今現在も必要なら戦争をするべきだという考え方であり、この「戦争は嫌だ」という感情は世界的には大変貴重なものである。

⑫アメリカは朝鮮戦争でも、ベトナム介入初期でも原爆使用を検討している。原爆は大変悲惨な事態を招くという経験・データとそれに基づく使用時の他国からの批判がなければ、再び使用したと指摘する人は多い。原爆を1回も使用しないままそれが抑止力になるかはたしかに疑問である。

⑬沙理奈の言葉は簡潔だが深い。実際これを受けてケント・ギルバートは深く知らないと原爆の恐ろしさはわからないと答えている。日本人以外は被爆者の残酷な写真を見ても深くは感情移入しない、あるいは罪を回避しようと敢えて感情移入を避けているのかも知れない。そもそも多くのアメリカ人は原爆はこうした悲惨な状況をつくることを知らない可能性が大きい。アメリカ人や他国の人間が核兵器廃絶に冷淡なのは、「原爆が恐ろしい事を知らないから」である可能性が大きい

⑭アメリカが日本に原爆を使用し非人道的行為をしたように、日本も中国などに非人道的行為をした。それを認めるべきだという指摘。実際中国人の原爆への反応は、原爆は悲惨だがそれは日本のした行為(中国での残虐な行為)のお返し、自業自得だろうと言うものである。従って中国での日本での残虐行為を認めないと、他国からは広島・長崎の原爆への非難には同意は得られないと思われる。事実太田は認めている。
 しかし空爆自体を批判するには更に大きな合意段階が必要だろうし、また死者数だけで惨劇の意味を考えるべきではないだろう。

⑮この部分の石破の意見はもはや原爆から離れており、日米同盟を堅固なものにするため歴史認識を改めようと言っている。

⑯この自衛戦争に関する石派の定義は、自衛戦争に関する日本政府の説明の引用からきている。

⑰「自衛戦争は危ない」というこの太田の意見は注目に値する。憲法改正に伴う議論では自衛のためなら軍隊が必要だという意見がよくみられるが、自衛と侵略は実は紙一重だと太田は指摘している。

⑱原爆の議論で最も大事なのはそれが「どれほど非人道的な兵器であるか」にあると金は言っている。一般的に議論はすぐに条約、裁判の話になるが、突き詰めると「原爆は絶対的に非人道的である」とアメリカ人と世界の多くの人間が同意すれば、廃止条約が成立できると思われる。

⑲日本の被爆者がアメリカ人一般に恨みは抱いていないのは、この証言者に限らず一般的だろう。同時にそれはアメリカ人には理解されていないと思われる。しかし被爆者である三宅氏が原爆投下を決定したアメリカ指導者にはっきり怒りを表明したのは珍しい。

⑳注目すべき太田の発言。平和のためには怒りなどの感情ではなく理解が必要だとしている。

http://www.ntv.co.jp/souri/program/index.html


日本人の戦争への意識(2007年8月NHKTV調査より)

2007-08-10 14:34:44 | 原爆
現在の日本人の戦争と平和に関する考え方がわかるもの。以下は子供の考え方だが、日本には徴兵制度がなく、その日常生活では戦争に関し考えたり、情報を得る機会がない事を考慮すれば、以下の子供たちの考え方をそのまま延長したところに日本人の考え方があると言ってよいだろう。
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2007年8月5日放送 NHK『土曜かきこみTVスペシャル~戦争と平和を考えよう』
 
10代前半の子どもたち(小5~中3)を対象にした番組『土曜かきこみTV』のインターネット掲示板に寄せられた意見から。3000人の番組メンバーに戦争と平和に関するアンケートを実施。また掲示板では子ども同士で議論が行われた。

A<戦争と平和に関するによるアンケート(紙)から>
Q1:第2次世界大戦について知ってる?
 ある程度知ってる64%、あまり知らない23% →街頭で8/15が何の日か知らない子供多し
Q2:戦争はなくせるか?
 いいえ51%、はい26%、わからない23%→なくせない=皆好きこのんでやっているように見えるから、
Q3:日本は軍隊を持つべきか?
 持つべきではない53%、持つべき21%、わからない16%
Q4:日本は核兵器を持つべきか?
 持つべきではない91.1%、持つべき1%、わからない5%
Q5:自分が生きている間に日本が戦争に巻き込まれると思うか?
 わからない48%、はい37%、いいえ15%
Q6:戦争に行けと言われたらどうするか?
 拒否する63%、行く18%、わからない19% →街頭では従う、ばっくれる、逃げ回る、他の国に行く、など

B<掲示板の意見から:多いもの、注目されるもの、子供同士議論になったもの>
1戦争は悲惨か
 悲惨だ、沖縄戦や特攻、原爆とか
2戦争に負けてよかった
 戦争に負けなかったら今も戦争をしていただろう、戦争はいけないというのは敗戦のおかげ、日本とアメリカが今仲がよいのは敗戦のきっかけのため
3戦争で悪いのは誰?
 アメリカは日本も悪いことをしたと言うのでわからない、日本は戦争について隠している所がある戦争アニメとか被害ばっかり、日本は外国のたくさんの人を苦しめた
4日本は悪かったのか?(中2男・対面取材)
 戦争がおきたのはハルノートのせい日本は悪くない→対面取材:教科書だけでは戦争の事は判らない、ネットで調べればそこから判ってくる、情報を完璧にして嘘に惑わされたくない
5テロや紛争はなぜ起こるのか?
 一部の大人の事情だ、利口な大人が集まって考えてそうなるのは不思議だ、戦争は弱肉強食、大人が馬鹿だから
6大人はあてにならない
 大人は目を閉じている、戦争はなくならないのを解決しようとしない人間になるべきではない、
7自分たちに出来ることは何か
 募金や援助もできる、まず世界について知ること、宗教について知ること、人への思いやりを持つこと、隣の人を愛すこと
8現実はそんなに甘くない、理想と現実は違う(中1女・対面取材)
 戦争はなくならない、自分の事しか考えない大人はばかりではとてもだめだ、北朝鮮の核保有があっても日本の政治家は醜い争いをしている、これではとてもダメだ。→戦争について考え始めた時に戦争はなくならない、とぼんやり思った。日本の指導者は醜い、いくら戦争はいけないと言っても誰も聞かないだろう、虐めとか何もわかっていないで平気で言う大人が多い、それが現実。大人はまともじゃない、だから子供もまともになれない、日本を信用できない、これが現実。理想は言えない、冷めて諦めている。
9あきらめたらダメだ
 どうせダメだと考えたら何も変わらない、小さな力が集まって大きな力になる
10憲法改正について
 戦争から生まれる平和などない、日本は過去人命を軽くしたのになぜ?、平和憲法を改正しようとするのか戦争したがっているとしか思えない
11自分たちの意見もきいてほしい
 誰が戦争に行くのか?今の子供だ中学生にも投票させるべきだ
12憲法改正を支持する
 憲法改正=軍事国家というのは固定観念にすぎる
13日本は武装すべきか?
 北朝鮮が怖い、紛争が起きるかもだから武装すべき、いや北朝鮮をそんなに恐れるべきではない、→街頭:いきなりきたら困るから備える、安保に頼るべき、隠し持つ、
14いつか戦争に巻き込まれるかも知れない
 今日本は戦争への道を歩んでいるのでは?
15戦争には行きたくない
 戦争には行きたくない、戦争していない外国に亡命する、
16戦争と教育
 戦争にいきたくないのは日本の教育の成果だ、もし戦争になったら泣きながら戦争に行くのか?もしかして戦争万歳の教育を受けていた方がよかったのか?わからない
17自分は戦争に行く
 戦わないと平和がこないなら戦う、(中1男)原爆跡を見て、北朝鮮の核実験のニュースを見て戦わないといけない、やられるだけなら戦う、今の生活を守りたいから(中3女)

【まとめ】
これらの意見は子供でものを知らないとあしらうべきではなかろう、なぜなら戦争に関する知識。またそうした報道や活動は少ないからである。彼ら子供がそのまま知識は増えず、そのまま大人になっているのが現在の日本社会であろう。すなわち日本人の考え方は、

1基本的には戦争反対、軍備反対、戦争には行きたくない
2日本の過去の戦争には、日本が悪かったと思っている
3しかし戦争はこれからもなくならないと認識しており、それは馬鹿な指導者や大人が意図的に戦争をしているから
4近い将来日本は戦争に巻き込まれるかもしれないと感じている
5しかしどうやって平和を保てばいいかわからない、身近な小さな所からするしかないと感じている
6一方、兵隊に行かされるのには強い拒否があるが、戦争になれば戦うともする

これを突き詰めれば、

 1戦争は嫌だ

 2しかし武力以外で平和を守る方法がわからない

でしょう。

原爆に対する各新聞社の態度(社説まとめ)

2007-08-09 14:22:12 | 原爆
【全体まとめ】
・読売を除き全ての新聞が核兵器廃止を訴えている
・ほとんどの新聞が、①日本人は原爆の恐ろしさを忘れかけている、②核保有論への憂慮、③アメリカでも原爆の恐ろしさを知りつつあるとし、核兵器廃絶へもう一度努力すべきとしている
・核兵器の拡散、NPT体制が崩れかけている事を憂慮

【目立ったこと】
1読売新聞は日本は核の傘に守られているからジレンマがあって、核兵器反対とは言えないとしている。即ち政府の本音を代弁している。他の全ての新聞が反対しているのに異様である。

2産経新聞だけは原爆の悲惨さにまったく触れないのも異様だ、その上で北朝鮮の核兵器を取り上げ広島市長らの反核運動ををイデオロギー的だと批判しているのも異様である。(南京大虐殺はないとする彼らにとっては、原爆も政治宣伝の道具なのであろう)

3多くの新聞は、久間元防衛大臣の「原爆はしょうがない」発言の意味は、それに対し主に感情的な批判しかなく、日本人が原爆を容認している・一部には核保有まで考えているという点に危機感を抱いている。
→日本人は「なぜ原爆が禁止されるべき」か確認すべきであろう

4論の中に日米の原爆映画、マンガ、小説が引用されている


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朝日新聞
・原爆の悲惨さをもう一度確認しよう、人間を間にする悪魔の兵器だ
・原爆は日本の侵略の結果であった事を確認し、日本人も核兵器反対を怠けていたのを反省・もう一度核廃絶の為に努力しよう
・9.11により核への関心が今米国で高まっている、米国人も原爆の恐ろしさを知ろうとしている

読売新聞
・世界は核の恐怖の下にあり久間大臣の言葉も一理ある。
・日本は核兵器廃絶といいながら核の傘の下にあり矛盾している。反核運動も共産主義国に廃絶を訴えるか否かで分裂し、今日の広島市長の平和宣言でも米国は批判するが北朝鮮には注文をつけない。
・核廃絶はしたいが難しいだろう。

毎日新聞
・久間発言でより一層核兵器廃絶の思いが強い、が被爆者への連帯と核兵器廃絶への願いが薄らいでいるのは確かだ。
・日本人のかなりに実は核兵器を持ちたいと考える人がいる、自民党参院の24%は場合によっては核兵器をもつとしている。核兵器を欲しがる指導者がいるが、それは人類への脅威だ。もう一度原爆の悲惨を思い核兵器廃絶で努力しよう。
・北朝鮮に対しても少しだが道が見え、米国にもキッシンジャー氏が核廃絶の声明を出している。

日経新聞
・核兵器廃絶をしたいが今問題なのは米国のNPTをゆるがせにする姿勢だ。北朝鮮、インド、パキスタンに次々に譲歩している。
・アメリカは制裁の代わりに管理をしようとしているが、地球規模の核拡散になりかねない。

東京新聞
・原爆作家大田洋子の文、映画「夕凪の街 桜の国」の情景を引用しながら、原爆の恐ろしさと平和への願いを情感的に訴える。

産経新聞
・北朝鮮の核兵器が最も脅威であり現実的な平和運動をすべきだ、広島市長の平和宣言に北朝鮮への核廃絶の訴えがないと(日本の反核運動)を批判。
・原爆投下は日本が侵略した一つの帰結であるとする意見に反対し、ほとんどが民間人が死んだので許されない事だとして絶対的に批判。

中国新聞
・今、核保有論が頭をもたげている、ある人はヒロシマの訴えを「あまりに情緒的だ」と切り捨てるが原爆の惨状をきちんと知れば核廃絶以外あり得ない。
・日本が核の傘の恩恵にあるとの批判には、1997年には広島市長は違う平和維持の枠組みを政府に訴えたが無視されていると指摘。
・日本はもっとNPT体制維持、核兵器廃絶に努力すべきだ。

西日本新聞
・米国のドキュメンタリー映画を引用し、日本人はやはり原爆の悲惨さを忘れかけている
・原爆は決定的に非人道的な兵器であり使った兵士は後悔している。
・核の脅威は拡大していている、日本は原点に立ち返って廃絶に努力すべきだ。

琉球新報
・被爆者の苦しみは今も続いている、原爆の悲惨さは言うまでもない、核兵器は廃止すべきだ。
・世界では核拡散の動きが加速しており、憂慮すべきだ。
・日本では久間大臣の発言への反応など核兵器への今すぐの問題という意識はない、もっと考え努力すべきだ。

2007年8月6日原爆への各新聞社説(1)

2007-08-08 16:10:56 | 原爆
【原爆の日―「しょうがない」の罪深さ】(朝日新聞社説・8月6日)

 原爆の日が、まためぐってきた。6日に広島、9日に長崎へ原爆が落とされ、62年がたつ。今年の被爆地は昨年までとは、いささか様相が異なる。長崎県出身で防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しょうがない」と述べたことが、さまざまなかたちで影を落としているのだ。久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っている」

■人が虫になった
「原子爆弾を炸裂(さくれつ)させた時、ひとは神さまを捨てて、みんな虫になってしまったのだとわたしは思います」被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。 天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だった。
 自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じられない。人間ではなく、きっと虫になってしまったのだ。そんなあきらめにも似た思いが伝わってくる。だが、それは「しょうがない」という気持ちとは違う、と長崎市の平和推進室長を務める青来氏は言う。「多くの被爆者は長い時間をかけて過去の傷をのみこんできた。もうこの先、地球上で核兵器を使わないようにするのならと、心の中で決着をつけてきたんです」 被爆者には、仕返ししたい気持ちや恨みに思うことがあっただろう。だが、自分たちのような悲惨な体験はこれで最後にしたい。そう考えることで、多くの被爆者は、仕返しや恨みの気持ちに折り合いをつけてきたのだ。
そうした複雑な感情も知らないで、被爆体験のない人から「原爆投下はしょうがない」などと安易に言われてはたまらないということだろう。

■「非核」をどう訴える
病理学者で原爆投下の歴史に詳しい土山秀夫・元長崎大学長は、むしろ久間氏が「しょうがない」の後に続けた言葉に注目する。「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」という部分だ。直接的には過去のことを語っているが、現代でも場合によっては、核兵器を使うことができるとも聞こえる。現職の防衛相の言葉だけに、被爆者は怒りを増幅させたというのだ。世界を見渡せば、インド、パキスタンに続き、昨年は北朝鮮が核実験をした。核保有5大国の核軍縮は進まず、核不拡散条約(NPT)の信頼が揺らぐ。国内では麻生外相らが核保有の議論をすべきだと説く。そこへ、久間発言である。核兵器への抵抗感が、政治家の間で薄れているのではないか。そんな不安にかられたのは被爆者だけではない。
 だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだろうか。そんな自問もしてみたい。日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落とされた原爆なのだ。一方、戦後の日本はといえば、圧倒的な軍事力を持つ米国と安保条約を結び、「核の傘」に頼ってきた。それでいて、「非核」を訴えるという居心地の悪さもある。
 そうした事実を直視し、考えるきっかけにしなければいけないのではないか。問題は、だからしょうがないではなく、世界に同じ悲劇が起きないように、日本が何を訴えていくかだ。過去の歴史を反省し、アジアの国々と手を携える必要があるのはいうまでもない。

■米国にも変化の兆し
 久間発言を支持したのは、多くの米国民だったかもしれない。米国では「原爆投下で戦争が終わり、100万の米兵が救われた」というような正当化論が依然、根強いからだ。だが、その米国にも変化の兆しがないわけではない。この夏、日系米国人のスティーブン・オカザキ監督の映画「ヒロシマナガサキ」が日本で公開されている。
 この映画が画期的なのは、米国で4000万世帯が加入するケーブルテレビが、制作資金を出したことだ。そのケーブルテレビで6日から全米に放映される。映画は被爆者14人と、原爆を投下した米軍機の乗員ら4人の証言でつづられる。投下の瞬間や、治療を受ける被爆者の映像が生々しい。500人の被爆者から話を聞き、完成まで25年を費やした。オカザキ監督は「9・11のテロ以降、米国人は核兵器が使われるのではないかということに現実味を感じている。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はない」と語る。広島では14万人が犠牲になり、長崎の死者は7万人に及んだ。生き残った人や後から被爆地に入った人も放射能の後遺症に苦しんだ。その恐怖を米国も共有する時代になったのだ。
 久間発言によって鮮明になったことがある。日本の国民には、核を拒否する気持ちが今も強く生きているということだ。それを世界に示したことは、思わぬ効用だったかもしれない。この怒りを大切にすること。それは日本の使命である。

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【ヒロシマ 原爆の罪と核抑止力のジレンマ】(読売新聞社説・8月6日)

 広島はきょう6日、長崎は9日に被爆の日を迎える。両市は毎年、この日に平和式典を開き、被爆体験の継承と、人道に反する核の廃絶を訴えてきた。しかし、世界はいまだに核の恐怖の下にある。昨年10月、核実験を強行した北朝鮮は、日本にとって最大の脅威だ。核廃棄を迫る6か国協議でも、それを実行させる道筋は不透明なままだ。イランの核開発についても疑惑が増している。
 今年6月30日、久間防衛相(当時)が、原爆投下は「しょうがない」と発言した。原爆投下を正当化するもの、との批判が渦巻いたが、感情的次元の反発が中心で、複雑な“核状況”をめぐる論議にはならなかった。20万人以上の無辜(むこ)の民の命を奪った広島、長崎への原爆投下は、日本として決して容認することはできない。だが、米国内には、原爆投下を肯定する意見が根強くある。原爆の投下が、戦争終結を促し、日本本土侵攻作戦を回避した結果、多数の米軍兵士の命を救ったというのである。しかし、米国は、日本の継戦能力の喪失を認識していながら、事前警告もせずに残虐な核兵器を使用した。原爆投下には、ソ連の参戦を阻止する狙いがあり、米国内にそれを裏付ける証言も残されている。
 民主党の小沢代表は、参院選公示前の党首討論で、原爆投下について、米国に謝罪を求めるよう安倍首相に迫った。首相は、北朝鮮の核の脅威に対抗するためには、「核の抑止力を必要としている現実もある」と答えた。原爆投下は肯定できない。他方、日本は、国の安全保障を米国の核抑止力に頼らざるをえない。これは、戦後日本が背負い続けている“ジレンマ”である。

 日本の反核運動は、1965年、共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)と、旧社会党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)とに分裂した。社会主義国の核は防御的とする共産党と、いかなる国の核にも反対と主張する社会党との対立が主因だった。米ソ核対決の時代から、北朝鮮の核の脅威に直面している現在も、「核廃絶」を唱えるだけで、こうした日本の“ジレンマ”に向き合わずにいる。広島市の秋葉忠利市長が6日に行う平和宣言では「米国の時代遅れで誤った政策にはノー」としながら、北朝鮮の核については直接、言及がないという。

 「核廃絶」の訴えを空回りさせないためには、どうしたらいいのか。難しい課題である。

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【原爆の日 核廃絶の信念を揺るがすな】(毎日新聞社説・8月6日)

 原爆の日が巡ってきた。広島は今日6日、長崎は9日に鎮魂と平和の祈りに包まれる。私たちはこの日、改めて「核兵器廃絶」の決意を確認したい。今年は例年以上に、その思いを強くする。長崎市の今年の平和宣言は「政府の核兵器廃絶への考え方が揺らいでいる」との認識に立ち、被爆国としての自覚を強く促し、核兵器廃絶に向けたリーダーシップの発揮を政府に求める。私たちも同じ思いだ。背景には、久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言がある。唯一の被爆国の国民として共有すべき思いがあれば、口に出るはずがなかった。

 残念なのは、国民の間にも単なる失言あるいは説明不足との受け止め方があったことだ。被爆者への連帯と核兵器廃絶への願いが薄らいでいることの表れだろう。広島市の秋葉忠利市長は平和宣言で、原爆被害の実態と、被爆者が語り部として苦しみの中から発したメッセージの意義を改めて訴える。特に若い人に真剣に受け止め、考えてほしいという願いを込めてのことだ。一方、毎日新聞が行ったアンケートでは、参院選の自民党当選議員のうち日本の核武装検討容認派が、「今後の国際情勢によっては」を含めて24%にのぼった。北朝鮮の核実験以降、対抗措置としての核保有を念頭に置いた短絡的な声が幅を利かすようになったことを憂慮する。

 原爆の惨禍と、今なお続く被爆者の苦しみを今一度思い起こしたい。都市を根こそぎ破壊し、市民を無差別に殺傷するだけでなく、生涯にわたる後遺障害を引き起こす兵器が、三たび使われることがあってはならない。核兵器がある限り、広島、長崎の惨劇が繰り返される恐怖は消えないのだ。世界には、核兵器を持つことで存在感を増したり、より優位な交渉力を得ようと考える指導者もいる。しかし、「非核三原則」を掲げる日本は毅然(きぜん)として、そうした考えを排除しなければならない。その上で、核兵器の非人道性と平和の大切さを訴え続けることこそ被爆国としての責務だ。
 全人類を何度でも滅亡させるだけの核が依然として存在し、核兵器廃絶への道のりは遠い。だが、私たちは核拡散防止条約(NPT)体制の下、知恵を出し合い、未加盟国も含めた核兵器の不拡散と削減・廃棄に向けた取り組みを粘り強く進めなければならない。朝鮮半島の非核化に向けた関係各国の一層の努力も必要だ。

 北朝鮮では、予断を許さないものの、核放棄に向けた動きが見え出した。原爆投下を正当とする世論が支配的な米国でも、キッシンジャー元国務長官らが世界の核兵器廃絶を米国が主導するよう訴える声明を出した。政府は「核兵器のない平和な世界の実現を目指し、核軍縮努力を続けていく」と強調する。今こそ、国民と一体となって核兵器廃絶の訴えを強め、その一歩となる核兵器削減にも積極的に取り組むべきだ。

2007年8月6日原爆への各新聞社説(2)

2007-08-08 16:10:37 | 原爆
【現状是認の外交では核拡散を防げない】(日経新聞・8月6日)

 ことしもヒロシマの日がめぐってきた。核の脅威はなお世界に広がり続けている。責任が重いのは、新たな核保有国を甘やかすかのような超大国、米国の対応である。これでは核保有への誘惑は止まらない。この1年間の核をめぐる状況で最大の変化は、昨年10月の北朝鮮の核実験だろう。国連安全保障理事会は、大量破壊兵器関連の禁輸、貨物検査を含む制裁措置を盛り込んだ決議を採択した。核実験発表からわずか5日後、全会一致の採択だった。北朝鮮の核実験に対する国際社会の厳しい反応を見せつけた。ところが今年1月の米朝ベルリン協議で空気は変わる。米政府は「制裁ではなく規則だから解除はできない」との理由で凍結してきたマカオの銀行の北朝鮮資金の扱いをめぐる交渉に応じ、最終的に解除した。

 制裁の代わりに報酬を与え、それによって北の核を管理する方針に転じた格好だ。核保有を狙う国や勢力は北朝鮮に続こうとする。特にイランに影響しても不思議ではない。制裁解除などを見返りにして核保有を断念させた「リビア型モデル」の実例もあるが、核開発の初期段階だったリビアと核実験まで実施した北朝鮮は同列には扱えないだろう。先月末に合意した米印原子力協定は、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドにNPT上の核保有国とほぼ同等の資格を与えた。たとえインドの核関連施設の一部が国際的な査察の対象になるとしても、協定自体は核不拡散の枠組みを大きく揺るがす動きだ。インドの核保有はパキスタンに影響を及ぼし、さらなる拡散の危険をはらむ。

 米国は「テロとの戦い」で連携が必要なパキスタンの核保有も、事実上容認してきた。イスラム過激派は米国が支持するムシャラフ政権に揺さぶりをかけており、核が過激派の手に渡れば、テロの脅威は一段と高まる。世界で最も危険なパキスタンの核の廃棄への道筋は見えない。北朝鮮やパキスタンの核保有は、どんな国でも核を保有し、政治的な脅しに使いうる現実を示す。最も脅威を受けるのは最大の核保有国でもある米国だが、北朝鮮やインドなどに対する姿勢は、逆に地球規模の核拡散を促す結果になりかねない。

 日本でも原爆投下を「しょうがない」と述べた久間章生前防衛相の失言があった。ナガサキ出身でもある防衛相がこう語ったことは、核廃絶を求める被爆地の訴えを弱めかねず、国際的文脈でも不適切だった。きょうは核の惨禍と現在の危うい状況を改めて真剣に考える日である。

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【希望の種子を風に乗せ 原爆忌に考える】 (東京新聞社説・8月6日)

 六十二回目の八月六日。ヒロシマはまた、深い祈りに包まれます。でも、夕凪(ゆうなぎ)のあとの風に乗り、広島で生まれた希望の種子が、ほら、あなたの手元にも。落日の気配がほのかに周囲を染めて、夕凪が始まりました。昼間が夜に交代の準備を促すその間、太田川の川面を滑る風がやみ、せみ時雨もどこか遠くに聞こえます。「午後の三時をかなりすぎていた。この時刻にやってくる、この街特有の夕凪がはやくもはじまっている。風はぴたりととまっていた。一滴の風もなかった。蒸れるような暑さのために、手の甲にまで、汗の玉がふき出た」

■アカシアの木の下で
 東京から疎開中に被爆した作家大田洋子が、「夕凪の街と人と」で描いた通りの暑さです。広島は快晴でした。城南通りの空鞘橋から川上へ、葉桜の並木が縁取る堤防の緑地を歩いていくと、日傘のように形良く枝を広げたアカシアの木が立っています。公開中の映画「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)の重要な舞台になった場所でした。文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞した、こうの史代さんの同名漫画を原作に、被爆者三代の日常や生と死を映画も淡々と描きます。
 物語前半のヒロイン皆実は、父親と幼い妹を原爆に奪われました。 それから十三年、皆実自身も原爆症で若い命を失います。同じ職場の恋人と、疎開して被爆を免れた弟に見守られ、「原爆スラム」と呼ばれたバラック集落の前に立つ、そのアカシアの木の下で-。緑陰に腰を下ろして、ヒロインの最後のセリフをかみしめました。
 「なあ、二人とも、長生きしいね。ほうして忘れんといてえなあ…、うちらのこと…」
街角で偶然耳にした、観光ボランティアの女性の言葉がそこに重なりました。
 「父と兄が原爆の犠牲になりました。母は当時二歳の私を防火水槽に突っ込んで助けてくれました。母は七十歳を過ぎるまで、その時の模様をいっさい語りませんでした。私にも直接の記憶はほとんどありません。でも永らえた命に感謝を込めて、母の言葉を語り伝えねばなりません-」

 すべてはこの街で現実に起きたことだと、念押しをするように。気が付くと、幹の途中から萌(も)え出たばかりの若い枝葉が小さく風に揺れています。映画の中のアカシアは、繰り返す死と再生の象徴なのかもしれません。夕凪が終わり、たそがれに街が沈んでいきました。

■被爆の木が伝えるもの
 広島は「被爆樹木」を大切にしています。旧中国郵政局から平和記念公園に移植された被爆アオギリは、爆風に深く幹をえぐられながら、手のひらのような青葉を毎年元気に翻し、童話や歌にもなっています。爆心地の近くで生きながらえた広島城二の丸跡のユーカリは、被爆後二十六年目に襲来した台風に倒されました。それでも根元から新たな若芽を吹いて、今ではすっかり元通りの姿になりました。原爆ドームに代表される「原爆を見た建物」が核兵器の悲惨を歴史に刻み、浄国寺の被爆地蔵や元安川の灯籠(とうろう)流しが鎮魂の思いを世界に示す一方で、被爆樹木は限りない命の強さ、希望の深さを象徴します。
 昨年の平和記念式典で、日米の小学六年生が「平和への誓い」を読み上げました。「一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものでもあり、その人を必要としている人のものでもあるのです」夕凪のように風のない、停滞した時間に紛れ、私たちは、今生きて、暮らしていることの尊さを、つい忘れがちになるようです。いたずらに日々を憂い、刺激を求め、美しい姿形や勇ましい言動に、魅せられてしまいます。

 「平和への誓い」は続きます。「『平和』とは一体何でしょうか。争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も『平和』なのです」ヒロシマが、ナガサキが、本当に語り伝えたいものは、「日常」の中にたたずむ「希望」なのかもしれません。

■生きていてありがとう
 映画の前半で、ヒロイン皆実の恋人が愛する人を抱きしめながら、しみじみとつぶやきます。
 「生きとってくれて、ありがとうな」
ヒロシマが日本や世界に届けたい、「心」のようにも聞こえます。八月六日。それぞれの場所からヒロシマへ、鎮魂の思いに乗せて答えを返してみませんか。

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【広島平和宣言 なぜ北の核には触れない】 (産経新聞社説・8月7日)

 広島が62回目の原爆の日を迎えた。秋葉忠利市長は平和宣言で、「日本国政府は世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきです」と訴えた。だが、今年も昨年と同様、北朝鮮の核には言及がなかった。北朝鮮は昨年7月、計7発の弾道ミサイル発射実験を行い、10月には核実験まで強行した。日本にとって当面の最大の核脅威は北朝鮮であろう。秋葉市長の平和宣言はなぜ、北朝鮮の核の脅威には言及しないのだろうか。

 6カ国協議で、北は寧辺の核施設の稼働停止に応じ、非核化へ向けて第一歩を踏み出したかに見える。だが、核計画の完全申告や核施設無能力化などの問題は先送りされ、実施のメドすら立っていない。北は軽水炉をはじめとする要求を拡大することで、時間稼ぎを図る可能性も残る。そうした時期だけに、北朝鮮に対して完全に核廃棄を求める強いメッセージが必要だった。国際社会も日本国民もそれを期待していたはずだ。

 今年の広島の平和宣言は、4月に凶弾に倒れた伊藤一長前長崎市長にも哀悼の意を表した。伊藤前市長が昨年8月9日の長崎原爆の日に読み上げた平和宣言は、「核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています」と北の核の脅威にも触れていた。秋葉市長は伊藤前長崎市長から、現実を踏まえた平和宣言のあり方を学ぶべきである。6月末、久間章生前防衛相は千葉県内での講演で、米国の原爆投下について「しょうがない」と発言し、大臣を引責辞任した。日本は侵略したのだから原爆を投下されてもやむを得ないという考え方は、今も日本の一部の教育現場に残っている。

 だが、広島や長崎で原爆の犠牲になった人々のほとんどは、非戦闘員だった。米国でも戦後、アイゼンハワー氏やリーヒ氏ら元将校が原爆投下を疑問視する発言をしている。「原爆はソ連との政治戦争に使用された」(米の女性歴史家、ヘレン・ミアーズ氏)といった見方もある。現在も多くの被爆者が後遺症に苦しみながら亡くなっている。原爆の悲劇を繰り返さないためにも、バランスのとれた平和教育が必要である。

2007年8月6日原爆への各新聞社説(3)

2007-08-08 13:44:58 | 原爆
【ヒロシマ62年 体験は風化していない】 (中国新聞社説・8月6日)

 仏事でいう五十回忌をとうに済ませ、半世紀の節目も去った。還暦の六十年も過ぎている。一九四五年八月六日、広島市への原爆投下で始まった核時代。犠牲者を悼む大小のつどいがきょうをピークに、ことしも市内外で繰り広げられる。一方「いつまで原爆、原爆と言わんといけんのかのう」と疑問のつぶやきも漏れてくる。市内で建物疎開中に被爆死した旧制高等女学校の同級生二百二十三人をしのぶ初めての追悼集が今月、発行された。編集に奔走した七十五歳の女性は「向こうで、おかっぱ頭のままの友だちに会った時に『あんたら、長生きしながら何しとったん』と言われたくない。その思いからでした」と明かす。
 被爆者の無念が晴らされているのなら、いつまでも原爆にこだわる必要はあるまい。熱線、爆風、そして放射線。通常爆弾をはるかに上回る威力で人体を極限までさいなみ、一気にあるいは後障害で苦しめた末に生命を奪う。「水をください」「死にとうない」という叫びは「核兵器はもう決して使わないで」との願いに昇華したのではないか。被爆者の悲願がかなうどころか、遠のくばかりの状況が続く限り、私たちは原爆についていつまでも「言わんといけん」のである。

■核保有論議再び
 北朝鮮が昨年十月九日に強行した初めての核実験が、「核の脅威にさらされている」と日本国民の不安を増幅させたのは間違いない。政府与党内に以前からくすぶっていた核保有論議が不安に乗じて再び頭をもたげてきた。「一つの考えとしていろいろな議論をしておく」とか「やられたらやり返すという論理はありうる」との物言いは巧妙だ。一九九九年十月、小渕恵三内閣の防衛政務次官が品位のない文言も交えて核武装の必要性に言及して批判を浴び、事実上更迭されたのは記憶に新しい。今回発言した政治家らは「論議そのものを否定するのか」と逆襲。安倍晋三首相は自身もかつて「小型なら憲法上問題ない」と述べたとされており、発言すること自体は容認する姿勢を示している。
 この種の主張にたいしては論議を封じるのではなく、立論を徹底して検証することが大切だ。その前提となるのが被爆体験である。核保有論者はヒロシマの訴えをしばしば「あまりに情緒的」と切り捨てる。誤解しないでほしい。私たちは被爆の事実を直視するよう求めているのである。惨状を再び繰り返さない。この命題から出発すれば、核保有論が成り立つ余地はほとんど見いだせないのではないか。

■揺るがぬ非核を
 核保有論にはいわゆる保守陣営内部からも反論が出された。米国の核抑止力に頼る「核の傘」から外れると、核拡散防止条約(NPT)体制からも離脱して核燃料などをめぐる国際協力が得られず、原発も稼働できなくなる―。日米安保条約を存続させる現状維持の立場からの指摘である。米国とも一致しており、現実政治ではこれが大勢かもしれない。現実論といえば、国是としてきた非核三原則の「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」のうち、第三項は在日米軍の存在で現実に空洞化しているとの解釈もある。この際、公然と受け入れ、米国の核搭載艦船が常時寄港した方が抑止効果が高まるとの主張につながりかねない。
 日米同盟堅持と非核三原則見直しという二つの議論に対しては、安全保障を米国任せにする無責任な路線だとの批判がある。そればかりでなく、現状を固定化して容認する見方ともいえる。日米安保体制は永続的な枠組みなのか、自国内にいつまでも他国の軍隊を配備するのか。日米関係も含め、現時点での国際関係は将来変わり得るし、変える必要も起こり得る。そう考えないと、核廃絶の訴えは貫けまい。

 現状を少しでも打開しようと、九七年の平和宣言で平岡敬前広島市長は「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力を求めた。自治体として精いっぱいの表現だったろう。当時の橋本龍太郎首相は米国の意向に気兼ねして否定的だったと聞く。日本政府の姿勢が残念でならない。NPT体制はインド、パキスタンに続く北朝鮮の核実験で、ますます不安定になった。米国は北朝鮮の核放棄に向けて六カ国協議を生かしながら対話重視の姿勢を強め、イランの核問題でもイラク情勢安定化につながる方策を模索している。日本は非核保有国として、核軍縮の促進を軸にしたNPT体制再強化に尽力すべきだろう。

■語っておかねば
 被爆体験の風化がいわれて久しいが、ことしは少し違う。被爆者の間で「今、語っておかなければ」との思いが強まっているように感じられる。数々の証言を盛り込んだ映画やドラマ、書籍が新たに登場するのもそのためだろう。しっかり学びたい。原爆症の認定基準をめぐる訴訟では原告の被爆者側勝訴、被告の国側敗訴の判決が相次ぐ。いったん決めた行政の基準を改めるには、もはや政治判断しかないとも目されている。安倍首相はきのう、広島市内で被爆者団体代表らと面会。首相としては六年ぶりの直接対話の席で、認定基準見直しについて検討する意向を初めて明らかにした。解決につながるよう期待したい。
 できるだけ多くの人がきょう一日、平和記念公園をはじめ広島の街をわずかでも巡ってほしい。ここかしこで六十二年前の痕跡と出合えるだろう。核問題を考えるよすがになれば幸いである。結論は急がなくていいから。

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【被爆体験が平和国家の礎だ 広島原爆の日】(西日本新聞・8月6日)

奇抜なファッションの若者たちが行き交う東京・渋谷。「1945年8月6日に何があったか知っていますか」。返ってくる答えは「知らない」「分かんない」。日系米国人のスティーブン・オカザキ監督の記録映画「ヒロシマナガサキ」はこんなシーンから始まる。62年前のきょう、広島に原子爆弾が落とされた。人々は、白い光に包まれ、黒い雨に打たれ、その年のうちに14万人が亡くなった。広島から3日後には長崎も核の劫火(ごうか)に焼かれ、7万人が命を奪われた。映画は、被爆者14人が語る壮絶な体験を中心に、原爆開発や投下にかかわった米国側関係者へのインタビューも交え、原爆の悲劇を証言でつづる。
 米国では「原爆投下は戦争の早期終結のためにやむを得なかった」との考え方が一般的だ。原爆を使用しなければ戦争は長引き、米兵100万人、日本側はそれ以上の犠牲者が出たという主張を多くの人が信じている。オカザキ監督は、原爆投下の正当性論争に陥ることなく、核兵器の非人道性と、それによって家族を失い、体と心を傷つけられた人たちの人生をあるがままに描こうとした。米国映画としては画期的な試みだ。6日にはケーブルテレビで全米に放映される。
 監督は「原爆被害に対する認識と関心を世界中に呼び起こしたかった」という。最大の核保有国である米国の市民に、核の真実を知ってほしいという思いがうかがえる。イラク戦争などで示された米国の「力による正義」への警鐘なのかもしれない。同時に、唯一の被爆国の日本ですら原爆の記憶が薄れつつあるという危機感が、スクリーンからひしひしと伝わる。冒頭の渋谷の場面は、今を生きる日本人への痛烈なメッセージだ。

■「何てことしてしまった」
 若者の無関心ばかりが問題ではない。原爆投下を「しょうがない」と言った防衛相が引責辞任したのは先月のことだ。昨年は、北朝鮮の核実験をきっかけに外相や自民党幹部が核保有論議の必要性を主張し、物議を醸した。北朝鮮の核開発は、日本にとって深刻な脅威だ。対抗策や抑止力が必要という声が高まるのも分からないではない。だが「目には目を」と、安直に防衛力の拡大均衡に走るのは愚かなことだ。道は険しくとも、核廃絶へ、一歩一歩、愚直に努力を重ねることが、被爆国である日本がこれからも進むべき道ではないか。
 映画の中で、原爆を投下した爆撃機の乗組員が「何てことしてしまったんだと思った」と、胸の内を明かす。どんな理屈を並べても、大量殺りくに正当性などない。人類は「何てことしてしまったんだ」という、人としての率直な思いを、若い世代に語り継ぐことこそが本当に必要なことだ。

    ×   ×   ×   

 この夏、広島を訪ねた。平和記念公園の「原爆の子の像」には、ことしもたくさんの折り鶴が届いていた。外国の子供たちが折った、不格好だけど心のこもった鶴も翼を広げていた。2歳で被爆し、12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死をきっかけに、像は建立された。禎子さんが回復を願って病床で折った千羽鶴にちなみ、原爆の犠牲となった子どもたちを悼み、平和を祈念する無数の鶴たちが、像を取り巻いている。折り鶴をシンボルに、ヒロシマ・ナガサキの核廃絶の運動は世界に広がった。だが、核の現実はどうだろう。

■揺らぐ「核の安全保障」
 世界には今も約3万個の核兵器がある。国際社会は核拡散防止条約(NPT)を結び、核保有国は核兵器削減を約束した。しかし核軍縮は停滞し、米国は新型核兵器の開発を進めている。一方で、NPTに参加していないインドとパキスタンは核保有を宣言し、イスラエルも核保有国とみなされている。さらに北朝鮮が昨年核実験を行い、イランも核開発を続けている。
 国際ルールに縛られない核保有国の出現で、核の安全保障体制は大きく揺らいでいる。イランが核武装すればサウジアラビアやエジプトなども核を持とうとするだろう。北朝鮮の脅威には、韓国や台湾でも核保有論が台頭しかねない。「核のドミノ倒し」が起こる可能性は否定できない。

 核拡散の「負の連鎖」は何としても断ち切らなければならない。日本は10年以上、国連総会に核廃絶決議を提出してきた。毎回採択されているが、米国などの反対で実効は上がっていない。「非核三原則」を国是とする日本として何ができるのか。戦略を練り直す時ではないか。「(北朝鮮の核放棄に向けた)6カ国協議は広島で開くべきだ」。広島で開かれた国際平和シンポジウムで、姜(カン)尚中(サンジュン)・東大大学院教授が提案した。ヒロシマ・ナガサキで始まった核の物語に終止符を打つためには、原点に立ち返ることも大切だ。恨みや憎しみを、平和への願いに昇華させてきた被爆地の人々の強さは、世界を揺り動かす力があるはずだ。
 被爆体験を非核・平和国家の礎とした私たちの戦後の歩みを振り返り、その重みをかみしめる。きょうはそんな日にしたい。

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【原爆の日 核廃絶こそが人類の使命】(琉球新報・8月6日)

広島、長崎は原爆被爆から62年の夏を迎えた。広島は6日、長崎は9日の「原爆の日」にそれぞれ平和式典を催し、核廃絶への誓いを新たにする。未曾有の惨禍で、おびただしい犠牲を払ったにもかかわらず、今日なお核兵器保有国が存在し、被爆者たちの声を受け止めようとしない。
 そんなエゴがいつまで許されるのだろうか。少なくとも日本は、唯一の被爆国としてこれ以上、核保有国のエゴを許すわけにいかない。核廃絶が絶対に譲れない一線であることを、核保有国を含む世界各国に対し、一段と強く訴えねばなるまい。

■続く被爆者の苦痛
 原子爆弾は第二次大戦末期の1945年8月6日、広島市の上空で米国のB29爆撃機から投下された。爆心地の地表温度は4000度に達し、大量の放射線が発生。市内の建物の9割以上が焼失または全半壊し、その年だけで推定約14万人が死亡した。
 3日後の9日、今度は長崎市に原爆が投下され、市の上空で爆発した。爆風と放射線で、同年末までに約7万4千人が死亡した。翌年以降に亡くなった被爆者も数万人規模に上り、生存被爆者の多くは、がんなど放射線が原因の健康障害に苦しんでいる。被爆は決して過去の出来事ではない。極めて今日的問題である。

 中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」は、原爆のすさまじさを描き出す。全身にやけどを負い、皮膚が垂れ下がったまま苦しむ人たち。倒壊した家屋に圧死した家族ら。どれも“地獄絵”だ。激しい地上戦に巻き込まれた沖縄県民にも通じる光景であり、こうした体験・教訓を風化させることなく、次世代に継承していく必要性をあらためて痛感する。
 ところが世界に目を向けると、未曾有の惨禍を教訓とするどころか、格段に威力を増した核兵器が開発され続けている。米国、ロシア、英国、フランス、中国の五カ国に加え、インド、パキスタン、イスラエルが事実上の核保有国とされ、北朝鮮も「核保有」を宣言した。

 確かに、米ソ冷戦時代は「抑止力」としての核の役割が強調された。いわば、使うことを基本的に想定しない核であった。しかし、冷戦後も核は“居座り”続ける。イランや北朝鮮が大国に対抗する政治カードとして核開発をちらつかせてきたこともあり、米国などは従来の抑止力から用途を広げ、核を「ならず者国家やテロ組織」に対して使うことも辞さない兵器と位置付け始めた。
 実際、ブッシュ米政権が核テロ対策の一環として、広島と長崎の原爆被爆者やビキニ水爆実験被ばく者の調査を続ける邦人研究者らの技術協力を受けていたことが分かっている。

■「抑止力」の変質
 これは看過できない。危うい事態である。1970年発効の核拡散防止条約(NPT)は核兵器の保有を米国、ロシアなど五カ国に限り、他の国の保有を禁じているが、一方で「核軍縮交渉の義務」を課した。その義務をないがしろにしてはいないか。五カ国以外の核保有を禁じるのは当然だが、保有国が核軍縮への取り組みを怠っていいはずがない。肝心な部分を忘れてもらっては困る。
 翻って日本はどうか。長崎出身の久間章生前防衛相が、米国の原爆投下を「しょうがない」と発言し、当初、安倍晋三首相も擁護した。原爆投下は多くの市民の命を奪い、今なお被爆者を苦しめる残虐行為だ。発言は被爆国の閣僚として非常識で、被爆者の気持ちを踏みにじる暴言と言わざるを得ないが、これを首相が擁護してしまったのでは、被爆国の意識が薄れたと言われても仕方がない。

 久間発言を念頭に置いてか、広島市の秋葉忠利市長は6日の平和記念式典で、日本政府が「被爆の実相と被爆者の哲学」を謙虚に学ぶよう訴える。長崎市の田上富久市長も9日の式典で、核兵器使用が正当化されないことを政府が世界に訴えるよう求めるという。
 被爆地の訴えを日本政府、そして各国は真剣に受け止めてもらいたい。国際社会が結束して非核運動のうねりをつくり出せば、核保有国のエゴをただせるし、道も開けよう。核廃絶は人類に与えられた使命であり、喫緊のテーマである。核の恐怖から脱するために、日本が果たす役割は大きい。各国をリードし、ことしの原爆忌を平和構築への再出発点としたい。

2007年8月6日 広島原爆投下の日 TV各局の放送内容

2007-08-07 21:08:54 | 原爆
2007年8月6日 広島原爆投下の日 TV各局の放送内容

1NHK
8:00(35分)広島平和記念式典 
導入で被爆者の姿を伝え、広島市長、安倍首相の発言をまま流す
14:00(7分)お元気ですか日本列島
広島の外人若者むけホテルで原爆について知り意見交換する様々な外国人の様子
21:00(10分)ニュースウォッチ9
原爆式典を短く、記録がない被爆直後の10年を被爆団体が調査している様子を伝え、ひどい火傷姿が記録フィルムに残るA氏の現在の生々しい傷跡を写す。

2テレビ朝日
21:54(5分)報道ステーション
久間発言をひき原爆は絶対悪であるで入る。式典を短く伝え、広島市長から政府へ厳しい注文があった事を軽く対比構図で示す。原爆症認定基準見直しをやや否定的に伝え、訴訟との関係は避けられぬ、安倍首相が国民に向かい合っていない、日本の政治家の原爆への認識がおかしいのではなどのコメントを古館と加藤が話す。

3TBS
22:54 筑紫哲也NEWS23
(13分)式典を短く伝え、広島市長から政府へ厳しい指摘があったとコメント安倍首相の嫌そうな顔で対立を示す。原爆症認定のは人気取りか?のコメント。新しく発見された1945.9.5撮影の広島の映像を伝える。侍従が来るのでやらせで遊戯をする孤児、病院で死者を焼く生々しい様子。病院で働いた人の証言。久間元大臣にしょうがない発言の真意を聞くがしらじらしく否定。原爆の恐ろしさを知るには「しょうがない」ではダメとまとめ。
(約5分)米国の原爆投下の認識。学校で原爆投下を正当化する教育を変えようとしても圧力がかかるとの証言、一方イラク戦争などで考え直す事が必要との市民の声。式典に参加する外国大使が47カ国に増えた意味が大きくなっているとコメント。
(23分Monday+枠)原爆症認定訴訟をしている被爆者を追うドキュメンタリー。遺族の骨を堀に行き爆心地に住んでいた、現在の認定基準では外れても明らかに原爆症になった被爆者。国の認定基準は直接放射線のみで残留放射能や内部被爆は考慮していない事を説明。被爆者を治療した医師が1s週間後入市した人が被爆者と同じ症状で死んだ例を語る。被爆後看護のために入市した女学生で、脱毛、発ガンしている。当時のまま残る救護所となった学校を訪れる。認定争う裁判での国の敗訴を伝え被爆者の体験を元に認めるべき。

4NTV
22:54 NEWS ZERO
(9分)式典を短く伝え、広島市長から厳しい指摘があった事を字幕と対比した映像で示す。認定基準見直しを伝える。体験者の老人による学校での聴かせ教育を日米対比して示し、米国では原爆輸送船の乗組員だった老人が原爆投下は正しいと伝えているのを示す。教科書、教師も同じ。アメリカ人の57%が正しかったとのアンケート。アメリカは悪かったとは考えたくない、なかなか変わらないだろうとのコメント。キャスターは日本政府が抗議したことはない、抗議すべき、正当化する理屈はないと明言。
(約5分)映画「夕凪の街桜の国」紹介、田中麗奈インタビュー。原爆の恐ろしさ平和の尊さを身近なものとして知った。若者キャスターが原爆を身近に知った体験をコメント、世界の人に原爆の恐ろしさを知って欲しい。

久間発言に対する各国人の反応(2007年8月)

2007-08-06 10:58:50 | 原爆
久間氏発言、原水禁大会でも話題に 各国で見方に違いも
朝日新聞 2007年08月05日00時44分
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200708040257.html

久間前防衛相が原爆投下は「しょうがない」と発言した問題は、広島などで開催中の原水爆禁止世界大会でも話題になった。戦争中に日本の敵だった国、植民地支配を受けた国では、日本への原爆投下を評価し自国の核保有を支持する声も根強い。核廃絶をめざす日本の運動にとって重い課題となっている。

4日、原水爆禁止日本協議会(原水協)が広島で開いた国際会議で、全インド平和連帯機構のラリット・スルジャン副会長は「日本の防衛大臣の発言を聞き、驚いた」と発言。「原爆は人間の創造物。『しょうがない』はずがなく、正当化できるものではない」と述べた。一方で「インドでは核保有が必要とする意見は根強い。『米国が北朝鮮に甘いのも、核を持った北朝鮮には攻撃できないからだ』と国民は思っている」とも明かした。

中国人民平和軍縮協会の牛強(ニュウ・チアン)秘書長は「『罪のない市民の殺害は正しくなく、原爆は正当化できない』という考え方が中国では一般的だ。だが、原爆投下は『一部の日本の軍国主義者が戦争に固執し続けた代償』とみる人もいる」と語った。

韓国の「社会進歩連帯」の林弼秀(イム・ピルス)執行委員長は「韓国では『原爆は日本の侵略と植民地支配に対する罰』との認識が浸透している。日本の核武装を警戒し、韓国も核保有が必要と考える人も多い」と懸念を語った。

原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が3日に大阪で開いた国際会議でも韓国「参与連帯」の陳永鍾(チン・ヨンジョン)市民委員会委員長が「久間氏の発言はナンセンスだと思うが、韓国では『米国の原爆投下のおかげで戦争が終わり、日本から独立できた』と教育しているのも事実。広島、長崎の悲劇が幅広く知られているとはいえない」と語った。

米国の平和団体ピース・アクションのリーバ・パトワルダンさんも「米国では『原爆投下で多くの兵士の命が失われずに済み、ほかの国も救われた』との認識が一般的。原爆被害の強烈なイメージを学ぶ機会はない。私も原爆の残虐さは広島、長崎に来るまで知らなかった」と発言した。