34歳、学生です

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2024-08-06 07:17:00 | 日記
実務者研修の授業を受けつつ、たまに畑仕事の手伝いをしていました。



畑を耕したり、草刈りをしたり。

今までは父親がやっていたものの、入院しちゃいましたからね。



そんな中、月日は流れ授業も終わりに近づいてきました。



 




…そうなると、就職活動をしなければいけません。

他の受講者さんと、ハローワークの求人票を見せ合い『ここの事業所よくない?』『ここは給料が妙にいいけど、怪しくない?』
などと話しつつ、どうしようか考えていました。





ただ、どうせなら利用者様を第一に考えて利用者様が明るく過ごされている事業所で頑張りたいと思ったわけです。






色々と事業所見学をみんなで行き、『あそこは雰囲気よかったよ』『ちょっとあそこは従業員の人の対応があんまり…』などと意見交換したりしました。






そうした中、父親に度々お見舞いにいっていたのですが(まだコロナが流行る少し前なので、面会は自由でした)、ある日父親とこんな話をしました。



私『お父さんは、仕事は大変だった?』



父親『タクシー会社の仕事は、勤務時間不規則だしあんまり人に勧められる仕事じゃないなあ。でも、お客さんからありがとうって感謝されることも多かったから、悪くはなかったよ』


とはっきり話していました。






が、それから一ヶ月も経たないうちに病院から連絡がありました。
どうにも、父親が背中の痛みを訴えるなど様子がおかしいとのこと。



母親と一緒に病院に向かいました。意識はしっかりしているものの、相変わらず背中の違和感を訴えたりして眠れない様子。



担当医も急遽駆けつけて診察したものの、特に異常はないとのこと。




ひとまず、『父親にゆっくり休んで』と伝え母親と一緒に家に帰りました。















翌日、病院から再び連絡がありました。
父親に狭心症の発作が出たので、詳しく説明したいとのこと。




母親と一緒に病院に行きました。説明されたのは、『今のところかなり厳しい状況でこのまま自然な死を迎えるかそれとも人工心肺をつけて治療をつづけるか、どうしますか?』






ついこの間元気に話していて、退院までもう少しだと思っていたのに…。




母親も私も人工心肺をつけてもらうようお願いしました。





それから治療は続けられましたが、進展がないまま1週間ほどして病院からすぐに来てくださいと連絡がありました。












病院に着くと、父親の血圧か脈拍どちらか忘れてしまいましたが0の表示。




一目みて、説明されるまでもなく父親が亡くなったことがわかりました。









仕事を始めて、ボーナスもらったら両親を温泉にでも連れてってあげようと思っていましたが、夢が叶わないままでした。






私が実家に帰ってから、わずかに半年ほどで父親が亡くなってしまいました。



それだけに、父親の仕事は人に勧められないけど悪くはなかったと言う言葉が心に残りました。

 


介護は大変だけど、いつか施設長になっていい事業所を運営出来るくらいに頑張ろうと夢を見たわけです。





色々とそんな簡単じゃないと思い知らされる訳ですが、それは次回のお話。




次回は『焦り』。こんなにまで上手く行かないとは思わなかったのです…。















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