おはようございます。
現在、近江鉄道近江八幡駅の2番線となっている線路が、当時は国鉄近江八幡駅の貨物ヤードと繋がっていた。
兵庫県の別府から「多木化学」の肥料を積んだ貨物列車が新八日市駅までと、東洋カーボンの
比較的長い編成で運行されていた。
最後部の車掌車に再度連結。
機関車を中に挟んだ状態で、残った後半分の貨車を八日市方面に押し出し
今度は後ろ半分の貨車ごと機回しして、再び編成を組成する。
そうしてやっと、貨車を東洋カーボン滋賀工場専用線に押し込み
工場の敷地内に貨車を運び入れていた。
武佐駅で全て行われていた。
東洋カーボンに続く専用線も姿を消した。
今朝の近江八幡は、快晴 気温2℃。
Yahooを見ていたら、「鉄道チャンネル」が配信した記事が目に入った。
「JR東海道線と近江鉄道八日市線の接点、近江八幡で東海カーボン滋賀工場専用線を想いながら近江牛を喰らう!」
昔は「東洋カーボン」だったが、当時の写真が手元にあるので、この機会に紹介したいと思う。
現在、近江鉄道近江八幡駅の2番線となっている線路が、当時は国鉄近江八幡駅の貨物ヤードと繋がっていた。
近江八幡駅のすぐ東側に、国鉄と近江が並ぶ踏切があり、それでなくても「なかなか開かない踏切」と地元で
悪評だったが、近江鉄道の貨車の入れ替えが始まると、「開かずの踏切」になって道路渋滞を引き起こすので
当時から問題となっていた。
近江鉄道八日市線の貨物列車は
兵庫県の別府から「多木化学」の肥料を積んだ貨物列車が新八日市駅までと、東洋カーボンの
原材料を積んだ貨物列車が武佐駅までの、合わせて2本が設定されていた。
新八日市までの貨物列車は、途中の交換駅が最大3両しか対応出来なかったため、
機関車ー貨車ー車掌車の短い貨物列車だった。
一方、武佐駅までの貨物列車は、近江八幡駅から一駅だけなので
比較的長い編成で運行されていた。
しかし、東洋カーボン専用線に貨車を入れるには、武佐駅で機関車を付け替える「機回し」が必要だった。
なので、武佐駅に到着すると貨物列車を途中で分割して、前半分を貨車ごと機回しして
最後部の車掌車に再度連結。
機関車を中に挟んだ状態で、残った後半分の貨車を八日市方面に押し出し
今度は後ろ半分の貨車ごと機回しして、再び編成を組成する。
そうしてやっと、貨車を東洋カーボン滋賀工場専用線に押し込み
工場の敷地内に貨車を運び入れていた。
この一連のポイント操作や、踏切信号の操作は、
武佐駅で全て行われていた。
当時、武佐駅は24時間駅員が配置されていたが、貨物列車の廃止とワンマン化による合理化で
その後は無人駅となり
東洋カーボンに続く専用線も姿を消した。
現在、専用線横にあった農協の倉庫も取り壊され、武佐駅の裏には広大な
更地が広がっている。
以上 今朝たまたま目にしたYahoo記事に便乗して、昔の写真を紹介した。
今日は、久しぶりに希望が丘文化公園に行って、少しウォーキングをする予定。