ブログ「こころの薬箱」品川心療内科SMaPG381

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認知療法 新しいダイアリーを一冊買う

2007-10-19 01:10:39 | インポート

来年の手帳や日記が出回る季節になりました。

ダイエットしたい人

禁煙したい人

勉強したい人

資格試験に受かりたい人

不眠を治したい人

節約したい人

みんな、まず、日記を買いましょう。

一ページに一日ならとても使いやすいです。

これはむしろ日記帳ですね。

下の日記のように、

二日で一ページでも、使いやすいと思います。

時間の刻みが入っているといいですね。

見開きで一週間分というのも、分かり易く、目的によっては好適です。

エクセルで作ればもっと自由ですが。

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日記を手に入れたら、

まずは必要最低限の記録を始めます。

ダイエットなら、体重。食事やストレスは、だんだん書き加えていけばよいのです。

禁煙なら、タバコを吸った時間と本数。ストレスとの関係は、徐々に加えることにします。

資格試験にチャレンジする人は、勉強した時間。どうして勉強に集中できなかったかは、徐々に書き加えます。

不眠を治したい人は、睡眠日誌をつけます。ストレス要因は徐々に加えます。

節約したい人は家計簿です。最初は感想はいりません。
数字だけ記入し続けましょう。

慣れてきたら、そのときの感情や、言い訳や、次からの方針などを書き加えますが、
最初はそこまでは必要ありません。

単純に、睡眠時間や体重、金額を記録していきましょう。

商売繁盛を願う人なら、日々の売り上げでも、来客数でもいいのです。

このようにして、レコーディングします。

認知療法の第一歩を始めましょう。

自動思考の訂正に取り組むのはその後で結構です。


「子は親の鏡」ドロシー・ロー・ノルト

2007-10-16 22:21:29 | インポート

あの有名な「子は親の鏡」を紹介します。
いろいろと難しい批判もあるのですが、
それも踏まえて、いいところを受け取れば、それでいいと思います。


詩 「子は親の鏡」 ドロシー・ロー・ノルト

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張りやになる

分かちあうことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、

子どもは、この世はいいところだと思えるようになる

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解説部分から抜粋。

はじめに - 詩「子は親の鏡」の生い立ち ドロシー・ロー・ノルト

 詩「子は親の鏡」を書いたのは、1954年のことです。当時わたしは南カリフォルニアの新聞に、豊かな家庭生活についてのコラムを連載していました。わたしには、12歳の娘と9歳の息子がいました。地域の公開講座で家庭生活に関する講義を行い、保育園で子育て教室の主任を務めていました。後に、この詩が、世界中の人々に読まれることになるとは、まったく予想だにしていませんでした。

 わたしは、詩「子は親の鏡」で、当時の親御さんたちの悩みに答えたいと思っていました。どんな親になったらいいのか、その筈えをこの詩に託したのです。50年代のアメリカでは、子どもをきびしく叱ることが親の役目だと思われていました。子育てで大切なのは、子どもを導くことなのだと考える人はあまりいなかったのです。

 子どもは親を手本として育ちます。毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響力を持つのです。わたしは、詩「子は親の鏡」で、それを表現したかったのです。

 この詩は、長い間、様々な形で人々に親しまれてきました。アポットラボラトリー支社ロスプロダクツによって、詩の短縮版が病院で配布されました。そして、新しく親になる何百万人というお母さん、お父さんに読まれてきました。この詩はまた、10ヵ国語に翻訳されて世界中で出版されました。そして、子育て教室や教員セミナーのカリキュラムの一部として、教会や教室で使われてきました。この詩が、親御さんたちのよき道案内となり、励ましとなってくれればとわたしは願ってきました。わたしたち親は、子育てという、人生でいちばん大切な仕事に取り組んでいるのです。

「中略」

 わたしは、最終的に、この行を「親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る」と書き直しました。今の世の中では、常に正直であることは不可能でしょう。しかし、正直であることの大切さだけは、子どもに伝えなくてはならないのです。

 この本の冒頭には、詩「子は親の鏡」が掲げてあります。これは、このような経緯を経て完成した最新のものです。

「中略」

 子どもは、本当に日々親から学んでいます。そして、大人になったとき、それを人生の糧として生きていくのです。

子どもが育つ魔法の言葉 PHP文庫
ドロシー・ロー ノルト (著), レイチャル ハリス (著),
Dorothy Law Nolte (原著), Rachel Harris (原著), 石井 千春 (翻訳)
価格: ¥580 (税込)

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大切なことですね。
親・子→先生・生徒と読み替えれば、学校での指針になります。

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この考え方からは世代間連鎖の理論が派生します。「親がわたしをこのように育てたから、わたしも子供をこのように育ててしまう。仕方がない。」これはある種の決定論で、外部責任論です。

この詩で語っていることは、「子供のために、まず親が変わろう」ということです。子供のためになら変わることができるのではないでしょうか。

先日も、この子のためなら、わたしは強く生きると、語っていた人がいました。
わたしもこんな風に育てられたのだとも思ったものです。ありがたいことでした。

人間は、いいものです。


サイード「遠い場所の記憶 自伝」

2007-10-12 12:23:27 | インポート

驚くべき言葉。
たとえば、

これほど長いあいだ孤独と不幸を味わったものの、最終的にはわたしは自分のことを幸福と考えるようになった。いまでは、「ふさわしく」あること、しかるべきところに収まっている(たとえば、まさに本拠地にあるというような)ことは重要ではなく、望ましくないとさえ思えるようになってきた。あるべきところから外れ、さ迷い続けるのがよい。決して家など所有せず、どのような場所にあっても決して過度にくつろぐようなことのないほうがよいのだ。

というのである。
そして本書のタイトルは、「Out of place」である。

またたとえば、このように語る。

不眠は、わたしにとって、どんな代償を払っても確保したいほど
好ましい状態である。
流れ続け、離れ、ずれていて、つねに動き続けるのがよい。
これほど多くの不協和音を人生に抱え込んだ結果、かえってわたしは、
どこかぴったりこない、何かずれているというあり方のほうを、
あえて選ぶことを身につけたのである。

このような言葉を読んでしまえば、
多分、男よりも女がサイードを嫌悪するだろう。
貧乏人よりも金持ちが彼を嫌悪するだろう。
現在の幸福を手放したくない人は彼を嫌悪するだろう。
人の親である人は彼を隠蔽しようとするだろう。

Out of place を さまよい続けよというのだから。


サケ茶漬けパスタと病院食

2007-10-10 00:00:51 | インポート

お久しぶりです。
右の、リストの項目に、新橋心療内科関連を追加しました。
よろしくお願いいたします。

最近、白いご飯に、
永谷園のサケ茶漬けをかけて、
お湯を注いで食べるのが何よりの楽しみだという、
臨床心理士の女性と話をしまして、
たらこでも、納豆でも、白米に合うものは、パスタにも合うと思っている私は、
パスタをゆでて、お湯を少し残しておいて、
サケ茶漬けをかけたらいいのかなと思いつきました。
検索してみたら、いろいろと出ていて、
You Tubeでは お父さんの鮭茶漬けパスタ という親切な映像がありました。
関連して、お家でパスタレシピ というページがあり、
簡単でありがたいパスタがいっぱいです。

最近は1.4ミリのパスタを使うことが多いのですが、
やや細めは、バスタだけではなく、うどんでも同じで細い方が好きです。

無印良品で売っている、一食分を丸く巻いた、半生のパスタは、
それ自体にかなり塩味があり、わたしはゆでるときに塩を入れません。

うどんでも、そうめんでも、そばでも、それ自体に塩味がついています。
わたしはそばつゆもうどんつゆも必要ないと思っています。
ゆでてそのまま、何も味付けしなくても、塩味がちょうどよく、充分においしいと思います。

私のようなタイプの味覚だと、
外食時に、かなりの塩味を強要される場合が多く、
しみじみと、自分勝手な味で食べたいと思うのです。

世間でいう標準的な味付けも分かります。
レストランはおいしいものがあります。
インスタントやレトルトもおいしいですし、
冷凍食品にもおいしいものがあることを理解しています。
しかし、わがままを許してもらえるなら、
自分勝手な味付けで食べたいのです。

病院で勤めていると、当直があります。
当直すれば、夕食と朝食は検食をして、検食簿に記録しなければなりません。
人間関係が大切ですから、
いつも、「よい」にだけ丸をつけることになります。
患者さんが食べるものと同じものを食べるのも、当直医師の仕事なのです。

患者さんが入院をすると、食事が味気ないと嘆くことがあります。
私も最初に当直を始めた頃は薄味を通り越して、味気ないと思ったものでした。
カロリーも少なめで、脂肪分も少ないものです。

ある日の惣菜は、てんぷらが一本だけでした。
チラッと見て、イカのてんぷらかと思いました。
そっけないものですが、てんぷらの衣も食べるとすれば、
これ一本でカロリーとしては充分なのだと思いました。
実際食べてみて、一口目。
それはイカではなく、ちくわでした。

一日、昼間、外来と病棟で仕事をして、夕食は、
ちくわ半分のてんぷらなのでした。

当直はいやおうなしに義務としてまわってきますから、
次第に薄味にも慣れていきます。
その結果が現在のわたしだとおもうのです。

他人がおいしいと思うものを、わたしは「しょっぱい」とか「あぶらっこい」などと
感じることが多いのです。
おおむね、街の中華屋さんは、塩と脂が過剰なことが多くて、
敬遠することが多くなっています。
フランス料理も、私なども食べられるような安いフランス料理では、
ソースがあまりにもしつこいようです。

たとえば、納豆は好きなのですが、それ自体にかなり味がありますから、
普通のしょうゆをかけたのではおいしくありません。
昆布しょうゆを使うのですが、これだけは妥協できません。
マイ昆布しょうゆを手放せないのです。

例外は、牛丼です。
昔からの習慣で、普通の牛丼を注文して、七味をかなり多く入れ、さらにしょうゆもかけます。吉野家でも、すき屋でも、これは変わりません。

もう一つはとんかつで、ソースなしだと、つらいと思います。
ちょうどいいくらいに塩と香辛料で下味を整えてから、衣をつけて揚げるのが、
私の好みです。その場合には、ソースは要りません。
しかしそれだと、ポークソテーでもいいわけです。
ただ、ジューシーな感じを保持したままでソテーにして仕上げるのは、
私の腕では、偶然にしかできません。
多分、肉を選ぶ時点で、ジューシーか否か、決まってしまうのだと思います。

というわけで、話はサケ茶漬けパスタに戻りますが、
これだと、塩加減をいくらでも薄くできます。
私にとってこんなにうれしい食材はないのです。