春の朝

途中寄り道をしながらそれぞれの季節を楽しみたいと思います

砲台に消えた子どもたち

2024年06月22日 | 2024年6月の記録

今日は逗子のさざなみホールで「砲台に消えた子どもたち」の講演会(対談)が「逗子の歴史を学ぶ会」主催で開催しました。

私が、この悲劇を知ったのは、野村昇司先生の著書「砲台に消えた子どもたち」を読んでからでした。今もなお地球のあちこちで戦争が起こっています。砲台に消えた子供たちの尊い命の死は80年前の昔話であってはいけないということです。

終戦間もない1945(昭和20)年10月20日、小坪小学校の子供たちは運動会の練習を終えた日の午後、小学生ら十数人が犠牲になった砲台跡で爆発事故があったのです。

豪の内部には、終戦後、砲台としての機能を失ってはいたものの、火薬などが残されていたという。大人がロウソクを落とした」「子どもがマッチを擦った」とも言われているが、真相は分かりません。警察や市役所に記録はなく、報道管制下で報じられることもなかったため正確なことはわかっていない。報告書は外交機密文章として30年以上公開されず、公開後「昭和51年8月14日の毎日新聞湘南版」に事件として報告された。何も知らされていなかった人々に驚きをもたらした。

当時の事をご存じのお一人草柳 博氏(87歳)はお兄様をこの事故で亡くしております。今日の唯一の生き証人のようなお方ですがご高齢になっております。娘さんのお婿さんである丸山治章氏は、付き添いでのご参加となりました。しかし、丸山治章氏は市議会の本会議で「砲台に消えた子どもたち」の慰霊碑建立に一役かって下さっています。

「逗子の歴史を学ぶ会」では今秋、慰霊碑建立に合わせて講演会を企画しました。戦争とは無縁ではない不幸な歴史を語り継ぐことで平和を考える機会となればと思います。参考文献「小冊子や市報など」


今日のお弁当

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