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SGI会長 チョウドリ国連事務次官と会談(上)

2006-09-05 00:46:52 | 対談
【SGI会長】  平和への近道は国連憲章に
           ―― 世界のリーダーは「平和の哲学」をもて

【国連事務次長】 民衆が各国の指導者を動かせ


 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は8月30日午後、国連のアンワルル・カ
リム・チョウドリ事務次長と約2時間にわたり、東京牧口記念会館(八王子市)で会談。
「世界が期待する国連たれ ── 地球平和の基軸・国連の大使命に活力を」と題す
る提言を手渡すとともに、国連強化の必要性を、その成立の淵源、開発と平和、教育
等の観点から多角的に論じ合った。
                 ◇


【池田SGI会長】 ご来訪を歓迎します!
【チョウドリ事務次長】 お会いできて光栄です。2003年以来ですね。
【会長】 前回は創価大学で講演していただきました。十分に懇談する時間がなく、心
残りに思っていました。
【事務次長】 いえ、素晴らしい思い出に、私と妻から、池田会長ご夫妻に、謹んで感
謝申し上げます。
 残念ながら今回は妻が一緒ではありませんが、妻は「池田会長と会う時は、心に私
も一緒にいると思って」と言ってくれたんです。
【会長】 うれしいお言葉です。奥さまに、私と妻からの最大の尊敬をお伝えください。
【事務次長】 あれ以来、アメリカ創価大学をはじめ、会長が創立された創価教育のシ
ステムと深く交流させていただきました。
 きょうは、静穏で、緑に包まれ、平和の心にあふれたこの建物でお会いできたことを、
特にうれしく思っています。この建物は、牧口初代会長の功績に捧げる意義を込めた
ものと、うかがいました。
【会長】 深いご理解に感謝します。きょうは、人類のため、国連の未来のために大い
に語り合いましょう!

◆平和を望むなら平和の準備を!
  ── 3年ぶりの再会を喜び合った二人。
 事務次長は昨年5月、アメリカ創価大学の第1回卒業式で記念講演を。
 本年2月には、国連改革をテーマにした戸田記念国際平和研究所の国際会議に出
席するなど、創価教育とSGIの平和行動の現場に触れ、SGI会長の思想・哲学への
共感を語ってきた。
 前回の出会いは2003年3月19日。創価大学・創価女子短期大学の卒業式。イラ
ク戦争開戦の前日であった。
 平和への努力をあきらめてはならない。平和を望むなら平和の準備を ── そう論
じ合った。
 しかし、世界は今も、テロと戦争の混沌のなかにある。一方で、貧困、疾病(しっぺ
い)、開発、環境といった「人間の安全保障」の問題への関心は相対的に薄れ、国連
の再生と改革も進まない現状がある。
 「きょう事務次長にお渡しするために、ここ1週間、全力で取り組みました」
 「国連の取り組む具体的な課題について、私たちは私たちなりの立場で、これまでも
支援してまいりましたし、これからも、真剣に努力することを明確に申し上げます」
 そう述べつつ、SGI会長は国連提言を手渡した。

◆「国連支援の不断の努力に感謝」
【事務次長】 国連を代表して受け取るのは、名誉なことです。国連に活力を与える提
言をいただき、光栄です。読むのが非常に楽しみです。拝見したら必ず、感想をお送
りします。
【会長】 ありがとうございます。国連がもっと強力になり、世界がもっと融合し、一体
になっていかなければ、未来の完全なる平和は保障できません。そのために何をす
べきか ── さらに研究してまいります。
【事務次長】 池田会長、今、私は深い感慨をもって申し上げたい。
 世界の指導者の中で、池田会長ほど、「国連を強化せよ」「国連に力を」と主張し、そ
のために建設的かつ不断の努力を注いでこられた方はいません。
 池田会長は毎年の提言(「SGIの日」記念提言)で、国連の強化と多国間の枠組み
の尊重を主張しておられる。しかも、そうした提言を二十数年間も継続しておられる。
 私も毎年、会長の思想、構想に強い関心を持って読んでいます。
 国連は、池田会長に深い恩があります。

◆戦争の克服を!
【会長】 あまりにも寛大なお言葉です。深く理解してくださる真実の友人がいることに、
私のほうこそ感謝したい。
 国連を大事にしなければ、人類は必ず後悔します。敗北します。悲惨が待つだけで
す。
 今までの歴史を見ても、国家と国家の間には必ず利害の対立が生じます。それを調
和させる方途(ほうと)として、国連という多国間のシステムが考えられ、樹立されたの
です。
 国連は、人類が築いた「平和の塔」です。
 いわば、“地球民族の魂”であり、“地球民族の生命の源”なのです。
 政治にせよ、経済にせよ、外交にせよ、あらゆる次元で国家の主権を超えて、人類
は、国連を守り支える道を選ばなければならない。
 国連にさまざまな問題はあるにせよ、もっと国連に参加するべきです。国連の本来
の精神に則(のっと)っていくべきです。
 国連は予算不足で苦しんでいますが、一方で、戦争にどれだけのお金がつぎ込ま
れているか。お金の問題以上に、どれほどの人が死ななければならないか。
 これほどの不幸をつくり出す人間は、理知的に見えて、あまりにも愚かな存在です。
 仏法は、この争い合い、殺し合う人間社会の愚かさを鋭く指摘し、それを克服する道
を説いています。
 SGIが平和の問題に関心を持ち、国連を支えるゆえんが、そこにあります。
 厳しいようですが、今の世界の政治家には「平和の哲学」がない。平和を築いていく
ための展望も行動もない。目先のことしか見えていないのではないでしょうか。
 国連の諸機関を活用し、強化していくことが、自国を平和に導くことであるのに、自
国の利害しか見ていなかったり、自国の方が国連より上と思っている。
 しかし、地球があって自国がある。自国のために地球があるわけではい。
 国連はいわば、“地球という国”を持っていると考えるべきです。
 国連中心主義の道をつくり、広げたいというのが私の信念です。私は国連を支持し
ます。戦います。SGIは永遠にこの道を進みます。

◆「人類の議会」
【事務次長】 今のお話に大変、啓発を受けました。
 私も同じ信念を持っています。私は、生まれながらの国連の信奉者です。「多国間
の枠組みによる問題の解決こそ平和への近道」という信念を持っています。
 池田会長は、「国連は地球民族の生命の源」と言われましたが、その考え方を借り
れば、国連は空気のようなものとも言えるのではないでしょうか。
 人間は空気を吸って生きている。なのに、空気に感謝することはない。逆に、いろい
ろ文句を言っている。しかし人間は、空気がなくなれば、息ができず、生命を維持する
ことはできないのです。
【会長】 言い得て妙ですね。全くその通りです。
【事務次長】 国連がなければ、世界は、まさにカオス(混沌)です。現実には、どんな
国も、国連という「人類の議会」から恩恵を受けているのです。
 「人類の議会」 ── 池田会長は、国連をそう位置づけ、真摯(しんし)な国連支援
の取り組みをしてこられました。
 私も、会長の言われる「人類の議会」という言葉を、スピーチで使わせていただいて
います。
 
 国連は、池田会長のような献身的な支援者を持ったことを誇りに思うべきです。
【会長】 温かいご理解、恐縮です。
【事務次長】 多くの政治家が、平和の文化のための活動の重要性を深く認識してい
ない。
 それはなぜかと言えば「票にならないことは、努力する必要がない」と思っているか
らです。
 ですから、「平和の文化構築のための活動は、政治的にも意味のあることだ」という
ことを、政治家たちに認識させていくことが大事です。
【会長】 よく理解できます。そのために事務次長が、どれほど苦労し、努力されてい
ることか。私には、本当によくわかります。
 事務次長のお言葉を、すべての政治指導者は傾聴すべきです。
 人類は、2度の世界大戦をはじめ、数々の戦争、激突、内紛を経て、“こんな悲劇が
起こらないようにしよう。人間が、本当に人間らしく幸福に生きられる正義の世界をつ
くろう”と深く誓いました。
 そうやって創設されたのが国連です。
 この国連を守り、時代に合わせて改革していけば、人類は進歩していきます。
 国連を支え、国連憲章をもとに進んでいく。そうすれば、幸福、正義、安泰です。そ
れが一番の早道です。真理は簡単なのです。
 「国連中心主義」は、私の師匠の遺言でした。そして、「地球民族主義」の理念を披
歴したのは、若き青年たちに対してでした。
 「国連を守る」ことは、「自分たちを守る」ことです。
 これが私たちの思想です。持論です。
【事務次長】 池田会長は、本年1月の平和提言(「SGIの日」記念提言)で、「新民衆
の時代」をテーマにされましたが、これこそ、私たち国連の戦略でなければなりませ
ん。
 政治家に任せるのではなく、民衆が立ち上がってこそ、この世界を、よりよき人間の
世界へと変革していけるのです。
【会長】 そうです。「民衆」です。民衆が主役です。


◆ <事務次長>「大変だからこそやりがいが。毎朝、新しい決意で出発!」
         ―― 開発途上国の支援を担当

◆平和と開発は表裏一体
【事務次長】 「平和」と「開発」は表裏一体です。
 平和なくして開発はできない。開発なくして平和はつくれない。
 平和と開発が「両輪(りょうりん)」となって、社会の改革は推進されます。
 現在、私は、最も貧しい、弱い国、開発の遅れた地域を担当しています。
 〈事務次長は国連において、後発(こうはつ)開発途上国・内陸開発途上国・小島嶼
(しょうとうしょ)開発途上国のための高等代表を務めている〉
【会長】 お仕事の内容は、よく存じ上げています。また、そのことを深く尊敬していま
す。
【事務次長】 私は、国連として新しい試みに挑戦しました。
 それは、開発の遅れた地域に、国際社会がどれだけの支援を提供しているか監視
するという取り組みです。
 これらは、大変に困難な仕事です。時には、やりきれない思いに駆られることもあり
ます。
 しかし私は毎朝、「貧しい国々のために、何かほかにできることはないか」と思って
目を覚ますのです。
 大変な仕事だからこそやりがいがあります。課題それ自体が励ましを与えてくれる
のです。
 恵まれていない国々に「活力」を与え、「声」を与え、他の国々と肩を並べて国際社
会に参加させていく。そういう尊い仕事をやらせてもらっている。
 大変な仕事ができるということは、“恵まれている”ということだ ── こう思っていま
す。
【会長】 素晴らしい言葉です。そのような生き方を、仏法では“菩薩”と呼びます。
【事務次長】 先日、ブータンの国王に会う機会がありました。
 国王は、社会の進歩は「GNP(Gross National Product=国民総生産)」でなく「GN
H(Gross National Happiness=国民総幸福量)」で計るべきだと主張されています。
 この「GNH」の概念は、次第に広い注目を集めています。
 「開発」の究極の目的は、民衆をどう「幸せ」にするかです。
 経済的効果だけが、幸福をもたらすわけではありません。
【会長】 非常に重要な視点です。開発は、あくまで「手段」だということですね。
 究極の目標を忘れ、手段の追求に走れば、本末転倒です。


◆◆◆ 国籍は世界! 我らは地球民族!

◆◆ <SGI会長> 2度の大戦を経て生まれた「平和の塔」
      ―― 国家主権を超えて国連中心主義の道を
◆ <国連事務次長> 女性の「草の根の力」に期待
      ―― SGIの190カ国の連帯は「平和の光」

◆婦人部・女子部の平和活動に感謝
【事務次長】 きょう(8月30日)の午前、婦人部の女性平和委員会、女子部の女性平
和文化会議の皆さんと懇談をさせていただきました。〈東京・新宿区の戸田記念国際
会館で〉
 皆さんが、どのような活動を行っているかを報告してくださったので、私は次のように
申し上げました。
 “皆さんは幸せです。池田会長のように平和に対する女性の役割の大きさを訴え、
女性を信頼し、理解し、励ましてくださる方をリーダーに持っておられるのですから”
と。
 会長は、女性平和委員会や女性平和文化会議の活動を、よくご存じだと思います
が、国連としても「平和の文化」や「子どもの権利」、「女性の役割」などについての皆
さまの取り組みに、大変に感謝しております。素晴らしい仕事をしておられると思いま
す。
【会長】 温かなお言葉、本当にありがとうございます。女性こそ平和の最大の担い手
である ── これが私の信念です。
【事務次長】 私は1990年に、ユニセフの駐日代表事務所所長として日本に赴任し
ました。来日した直後に、創価学会の皆さまによる、「子どもの権利」のための展示の
開幕式に参加させていただきました。
 〈1990年7月、婦人平和委員会(現・女性平和委員会)などが主催し、広島市で行
われた「世界の子どもとユニセフ展」に出席。記念講演を行った〉
 これが私と創価学会との最初の出あいでした。
 このことは午前の懇談の際にもお話ししたのですが、その後、池田会長の著作を読
むようになり、会長の思想に深い感銘を受けました。
 なかでも会長の詩に感動しました。本当に素晴らしい。深い思想があふれていま
す。
 詩を読んでいると、まるで会長に直接お会いして、その心に触れているような感じが
しました。
 さらに池田会長が撮影した数々の写真を拝見し、会長への尊敬の念がふくらんでい
きました。
 また、各国での大学講演などの内容も知り、さらに会長への敬愛の思いが大きくな
っていったのです。
【会長】 過分なお言葉をいただき、本当に恐縮です。
 ところで、「平和の文化」推進の活動を、さまざまな形で支えてこられたのが、事務次
長の奥さまですね。高名な医師の娘として生まれ、長年、人道的なボランティア運動
に献身してこられました。
【事務次長】 その通りです。心強い伴侶です。そして、伴侶というより、友人です。

◆市民が中心に
  ── 続いて、国際社会におけるNGO(非政府組織)の役割が話題に。
 チョウドリ事務次長は、「どうやって民衆に活力を与えていくか、また権限を委譲(い
じょう)していくかこれが、現在、私たちが直面している大きな課題です」と強調。
 「市民団体は、世界の中で果たすべき大きな役割を持っています。平和と開発の運
動において、その中心的存在となりうるだけの可能性を持っています。民衆が、世界
の指導者たちに働きかけることです」と語り、190力国・地域に広がるSGIへの強い
期待を表明した。
 その際、各国を訪れた折に、見知らぬSGIのメンバーから、「チョウドリさんのことを
SGIのニュースレターや機関紙で読みました」と、たびたび声をかけられたエピソード
を紹介。
 世界各地で活躍するSGIメンバーが、「平和の文化」の重要性を訴えていけば、国
際世論をも大きく変えていくことができる。
 国連総会で決議された「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力の国際10
年」(2001年から10年)もすでに後半に入った。その意味からも、「平和の文化」の
建設へ、SGIの皆さまの最大の協力と尽力をいただきたい、と強く要望した。
 SGIへの深い信頼と期待に感謝を述べるSGI会長に対して、事務次長は、さらにこ
う語った。
 「私は池田会長とこうして語り合いながら、平和のために働きたいとの思いが、ふつ
ふつとわき上がってくるのを感じています。
 確かに私は肉体的には年齢を重ねていますが、精神的には“もっと頑張りたい”と
の意欲が、ますますわいてくるのです。
 国連に関わり、最も恵まれない人々のために働ける ── 偶然かもしれませんが、
こうした運命を与えられた私は、世界で一番幸福な人間であると思っています」
 SGI会長は「本当に素晴らしいことです」と述べ、崇高な理念を胸に、人類に尽くしゆ
く事務次長の行動を心から讃えた。

◆平和闘争の原点
  ── チョウドリ事務次長にはこれまで、国際社会での貢献が讃えられ、「ウ・タント
平和賞」「ユネスコ平和の文化のためのガンジー金メダル」などが贈られている。
 事務次長の出身はバングラデシュ。若き日、同国はまだ、東パキスタンと呼ばれて
いた。
 この東パキスタンによる、パキスタンからの独立運動が急展開したのは1971年。
事務次長が、パキスタンの外交官として活躍していた時のことである。
 東パキスタンの人々は、経済格差や差別の撤廃(てっぱい)を求めて、自治要求運
動を展開。
 一方、パキスタン政府は激しい弾圧を加え、市民との間に大規模な武力衝突が発
生。内乱状態となった。
 この年、独立が実現し、バングラデシュ人民共和国が誕生するまでに、約300万入
が犠牲になったと言われる。
 事務次長は後に語っている。
 「もし私たちが、最初から平和的な解決の方法を選んでいれば、あんなにも多くの人
命を失わなくて、すんだのではないか」
 この痛恨(つうこん)の思いが、国連を舞台に平和のために戦う、事務次長の原点と
なった。
【会長】 事務次長は、故郷の独立運動の際、人々を弾圧する政府と関係を絶ち、あ
えて外交官の地位をなげうたれたそうですね。
 世界各地の同胞の外交官と連携をとり、国際世論を喚起(かんき)する活動を展開
して、愛する同胞のために戦われました。
【事務次長】 あのころは、それぞれの国の人々にとって、とても不幸な時代でした。
 私がバングラデシュの独立運動への参加を決めたら、父も母も亡命しなくてはいけ
ません。パキスタン政府と関係を絶つことは、国家に対する反逆罪になるからです。
 パキスタンの軍隊が、私の両親をとらえることになる。しかし事前に、私の友人が両
親に、情報を知らせてくれたのです。
 おかげで、家が押さえられる前に、両親は難を逃れることができました。
 いずれにしても、私が外交官をやめたために、両親は苦しまなければなりませんで
した。
 しかし、私の決断を、両親は大変に尊重してくれました。
【会長】 貴重なお話です。歴史的な証言です。
 当時、お父さまとは、何か言葉を交わされましたか。
【事務次長】 私はそのころ、駐インドのパキスタン大使館に赴任していました。一方、
父はバングラデシュ(当時、東パキスタン)にいました。
 すでに、パキスタンによるバングラデシュへの軍事行動も始まり、国は内戦状態に
ありましたから、父とは連絡を取り合えませんでした。
 ただ、父は、公務員であると同時に、すぐれた文筆家でもありました。
 イギリスによる植民地支配からの、インドやパキスタンの独立についての文章も残
しています。青年の果たす役割に関する文章もあります。
 こうした父の強い思いに影響を受け、私の心にはすでに、人々のために独立を求め
る気持ちがありました。
 父の“遺伝子”が私の中にもあった。そして、父の人生そのものが、私の人生の励み
になったのです。
【池田SGI会長】 事務次長も、亡きお父さまも、ともに読書が大変にお好きだったそう
ですね。
 事務次長は語っておられます。
 「今でも、父の残した本を通して、気持ちを通わせているように思います」と。
 事務次長が一番大切にされている書物は、何でしょうか。
【チョウドリ事務次長】 父は、実に多種多様な文献を残してくれました。
 父以外の人が書いた本では、とくに、各国の指導者や思想家、哲学者、自由のため
に戦い、殉(じゅん)じていった闘士などの伝記から、私は啓発を受けました。
 それらすべてのなかで、あえて一書を選ぶなら、やはり父が書いた『バングラデシュ
の独立』という本を挙げたいと思います。


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 正義の心を父から学んだ
   尽くす心を母から学んだ
     敬う心を父母から学んだ
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◆忘れ得ぬ一言
【会長】 偉大なお父さまです。
 お母さまも、大変に素晴らしい女性であられたそうですね。
 お母さまの忘れ得ぬ一言は、どんな言葉でしたでしょうか。
【事務次長】 まず、池田会長のご質問に、感謝を申し上げたいと思います。
 両親に関する、とても大事な思い出の数々を、懐かしく思い出すことができるのです
から。
 質問を受けて、感動しています。本当にありがとうございます。
 私は、母を心から愛していました。
 私は父から、真摯(しんし)な献身の生き方を学びました。
 そして、人々のために尽くす生き方、人々と対話したり、さまざまな文化と接する開
かれた精神性を、母から受け継ぎました。
 母はいつも、私を励ましてくれました。
 「尊敬される人になりなさい」と言うこともありました。またあるときは、「他の人々か
らは学ぶことが多い」「多様性を認められる人に」とも教えられました。
 これらの言葉は、いつも私の耳の中でこだましています。
 世界中の国々の人々と仕事をする今も、いつも耳から離れない言葉です。
 私は母から、常に心を大きく開くことを学んだのです。
【会長】 感動的なお話です。
 「平和の文化」といっても、まず「家庭」から、そして「地域」から始まります。その出発
点は、女性です。
 お母さまが亡くなられたときは、事務次長はどこにいらっしゃいましたか。
【事務次長】 残念ながら、母の側にいることはできませんでした。
 母は、心臓の病のため、ロンドンの病院で治療を続けていました。
 見舞いにも通いましたが、母が亡くなった11月は、国連での仕事が最も多忙な時期
にあたっていたのです。
 逝去(せいきょ)の時、母の枕元にいた姉から、朝4時ごろ電話を受けました。
 私は、飛行機ですぐに駆けつけました。そして、母の棺(ひつぎ)が故郷へ移送され
る前に、母と対面しました。
【会長】 どれほどお悲しみになられたことでしょう。
【事務次長】 母を看取れなかったことは、今でも後悔しています。
 しかし、これはまさに、外交官としての運命なのだと思います。
 父が息を引き取る時には、幸いにも、側にいることができました。私の腕の中の父は、最後に私を見上げてから亡くなりました。 私にとって、せめてもの幸運でした。