幸福論

当たり前のように過ぎていく日常に「何か」を残したい。人生における気付きを独自の観点から提供していきます。

came back home

2008年08月24日 02時18分41秒 | 日記
日常の閉塞感をぶち破るためには、やっぱり自分が好きなこと、自分がやってて面白いと感じることをしなきゃいけないと思いました。
ただ、やっぱり稼ぎが伴わなければいけないという条件付きで。
好きなことだけやって生きていけるほど世の中は甘くないし、そこに成長もあまり期待できない。
だから「好きなことで、どうやって稼ぎを得るか」それをひたすら考えて行動に移さなければいけません。

そんな大それたことを友人を見ていて思ったわけです。

ただ、今の僕にはまだ具体的なネタを練れていません。
まだまだ宙に浮いた願望止まりです。
だから今はまだサラリーマンを辞める時ではないと思っています。
というか、サラリーマンさえも満足にこなせていないひよっこですから、
レベルの低い仕事しかこなせてないのに一人前に給料もらってるんですから、
偉そうなことは言えません。
ただ、本当に自分のやりたいことが今よりもっと明確になって、本当に自分を納得させたいと思ったその瞬間が最初で最後の勝負のタイミングであると思ったわけです。

久しぶりに大学時代の友人と会って、やっぱり毎日楽しいと思いながら、辛いけど今やってることは面白いと言いながら生きていきたいと思いました。

みんなを安心させれるように、
みんなと心から笑っていられるように、

もっともっとかっこよくなりたいと思いました。
もっともっとかっこよくありたいと思いました。

このままだとくそつまらない人間になってしまいそうで恐しささえ感じるからです。

福岡への小旅行は現状打破のための良い刺激になったようです。
1を2にする作業を、さらには0から1を生み出す作業をやっていきたい。
そのために、もっともっとクレイジーになっていきたいです。


絵日記に書いて、それで終わってしまうような夏じゃなく

2008年08月23日 11時06分00秒 | 日記
・・・というJRの広告にいちいち心を掴まれます。
サラリーマンが休日に抱く開放感に十分マッチした、かつその開放感の赴くまま博多行きの新幹線に乗っている今の僕の心境を忠実に表現したJRならではのいわゆる勝ち組のフレーズ。

最高だよ、JR。

という感じで大学時代の友人と会うべく福岡に向かっています。
この高揚感は、小学生が夏休みに旅行に連れて行ってもらえるあのワクワクドキドキした気持ちと同列の意味を持っています。

俺、小学生に戻ってるよ。

この何とも言えない胸の高鳴りが、最近の根暗な僕に足りなかった感情。
この瞬間のために生きていると言っていいほど、大学時代の友人に「何か」を求め新幹線の3両目にてタバコをふかしています。
その「何か」は、僕の心を満たしてくれる安心感であったり懐かしさであったりするのです。

心から笑う、それだけのために僕は福岡に行くのです。
それだけのために大学時代の友人に会いに行くのです。
それだけが僕の生きる活力なのです。

それだけのハードルを求めても、倍返しのプレイで応えてくれる友人が僕の誇りであり、それが僕の全てであり、僕はこういう瞬間が本当に幸せだなと感じるのです。

「あれもしたい、これもしたい」の願望をこの2日間に濃縮させたいと思います。
絵日記だけじゃ書ききれない「何か」を求めて。


見え過ぎるメガネ

2008年08月16日 13時34分14秒 | 日記
見え過ぎるメガネは疲れます。
たまに、そう感じます。

見えないものまで見ようと努力してしまうことに疲れるのです。
見なくていいものまで見えてしまうことに疲れるのです。

「見える」ことが必ずしも良いことかと言われれば、そうではないと答えてしまうかもしれません。
ただ、見えないことがストレスになるのなら、よく見えるメガネをかければいいだけの話です。

ぼやけて周りがあまり見えないくらいがちょうど良いときがあるのです。
その方が自然で心地良いときだってあるのです。

僕の心はそんな見え過ぎるメガネをかけているのかもしれません。
ただ、ものすごく度のキツいサングラスの可能性もありますが。


下方修正

2008年08月15日 22時33分11秒 | 日記
勉強してぇーーーーーーー
早帰りでも時間足りねぇよ。

でも、このストイックさが両刃の剣なんだよね。
息抜かないと病的な何かに苛まれることになるんだよね。

それは十分過ぎるぐらい分かってる。

だから、ちょっと足りないと感じるくらいがちょうど良い。
「もうちょっとやりたい」ぐらいで止めるのがちょうど良い。

この絶妙なタイミングによって一生を得ることになると思うのです。

当初立てた計画通りに事が進めばかなりの確率で目標は達成できる。
ただ、一寸の狂いもなく計画を実行することは針の穴に糸を通すくらい難しい。
何かを成し遂げたいとき、まずは計画を立てるのがセオリーであるが、忠実に計画を守り通すことが難しいから、随時修正し計画を練り直す。

今回は、下方修正。
イレギュラーなことが起こったり、モチベーションが上がらなかったり、遊びたかったり。
勉強ばかりしてたら頭が爆発して死んじゃうよ。
・・・てことで、手帳を真っ黒にしながら計画を練り直している最中です。

そう考えると経営計画とか経営方針とか考える経営者っておぞましい存在だよね。
僕なんて未だに自分のことや自分の将来のこと考えるだけで精一杯だよ。

何年先のビジョン見据えてんだよ。
どれだけの度量を携えてんだよ。

日本中の経営者たちの頭をカッチーンとどつきながら、そうツッコんでやりたいです。


熱闘甲子園2008

2008年08月10日 21時18分28秒 | スポーツ
少し前まで沖縄県勢が勝ち上がると決まって「沖縄旋風」というフレーズを用い、いかにも勝つことが珍しいかのような表現が使われてきた。
常にダークホース扱いだった。

しかし、もうそんな時代も終わりを告げたか。
ここ最近の沖縄県勢はコンスタントに実力のある高校を全国の舞台へ送り込んでくる。
春の選抜優勝の沖縄尚学はその象徴だ。
今年の夏も春優勝の沖縄尚学を県大会で破った浦添商業がその勝負強さを存分に発揮している。

中でもエースの伊破翔吾投手。
正確なコントロールと要所を締めるキレのあるストレート。
さらには、スライダーとカットボールも投げ分ける。
彼の持ち味である相手の流れを打ち消し、自チームを勢いづかせる気迫溢れる投球は圧巻。
彼は完全に勝負所を分かっているから、ここぞという時には必ず威力のあるストレートを両コーナーにズバッと投げ込む。
そして、雄叫びをあげる。
まさしく本格派右腕、頼れるエースだ。

土日は仕事が休みだから、しこしこ勉強しながら、休憩中は甲子園に釘付け。
気付いたら試合が終わるまで休憩してるくらい僕を魅き付ける何かが甲子園にはある。
高校球児の涙とか本当にもらい泣きしそうだもん。
画面の前でお兄さん涙我慢してるんだよ、って応援メッセージをFAXで送りたい。
たまらずバットを握り庭で素振りをしていると、ふいに僕は何を目指しているのか分からなくなるが、そこは高校球児のように最後まで一所懸命走り抜けたいという気持ちだけ汲み取ることにする。

決してプロ野球選手になりたいなどと見当違いな夢は抱かない。

ただ、高校球児のように熱くなれるものが今自分の中にあるかと問われると、一瞬尻込みしてしまうに違いない。
だからこそ高校球児の気持ちに負けないような気持ちを常に胸に潜ませていたいと思う。

気持ちだけは負けないように。


自分らしくあること、できうる限りの自分になること以外、人生の終末においてできることは何もない

2008年08月07日 22時13分43秒 | 日記
「説明ありがとう」

陵南の福田吉兆並に飢えていた言葉。
見返りなんて何も求めてないけど、言葉というカタチになって自分のしたことが返ってくるっていうのは単純に嬉しい。
その逆も然りで、説明が稚拙だったり不足だったりすると、いわゆるクレームを浴びることになる。
だからこそ、「ありがとう」の価値は辛いこと8割の社会では割高なんだろうと思う。

最近本格的にお客さんと対峙することが急激に増えた。
僕は基本的に接客が得意じゃないし初対面の人と話すのは苦手だし時に人と話すのがストレスになることもある。
つまりはコミュニケーション能力に欠けている。
しかも、自分が今置かれている状況はそんなに恵まれたものではない。

だけど、僕は我慢して悩んで、悔しくて勉強した分だけ、人の役に立てるアイデアが生まれると信じているからとことんそんな自分や現状にぶつかっていってやろうと思う。

もともと「目の前の人の役に立つアドバイスがしたい」という想いだけは誰にも負けないと思っていたから、早くお客さんと対峙することを欲していたが、いざ対峙するようになってみてお客さんとの1プレー1プレーにいつの間にかビビるようになっていた。
心の奥底で「客来るな」と叫んでいた。

それは自分の実力が足りなくてミスしたり格好悪い自分を見せたりするのが怖かったからだ。

だけどそんな風にいつまでも逃げてたら理想に近付くことは一生できないし、そこに成長の二文字はない。
だから、ぶつかってやろうと決意したのだ。
ぶつかったときの痛みしか自分の中には残らないし、その痛みがないと何も得られないから。

結局は自分の手で掴んだものだけが自分の正味の力だと思うから、明日からそういう気概を以てお客さんに太陽のような笑顔を振り撒こうと思う。


僕の生き様は、僕からのメッセージである

2008年08月04日 22時07分51秒 | 日記
仕事が終わり閉ざされた空間から外に出て、ふと夏の夕方の空を見上げると、空が驚く程広いことに気が付く。
こんなありふれたどこにでもある空を広いと思ってしまうなんて。
普段どれだけ牢屋の中なんだよ。

1年前の今日、旅に出た。
今から考えると、あの選択は間違ってなかったと思うし、あのタイミングだからこそ決断できたんだと思う。
まさに出るべくして出た旅だったのだ。

あの頃は何かを残したくて必死だった。
あの頃は何かを得たくて必死だった。

あの時の心境は今でも鮮明に覚えている。
果たして旅に出ることに意味があるのかは全く分からなかったけど、何を得れるのか全く分からなかったけど、チャリンコがこぎたくてたまらなかったのだ。
日常から抜け出したくてたまらなかったのだ。

1年前はもっともっと広い空の下で生きていたはず。
もっともっと広い空を見ていたはず。

なんてもはや過ぎ去ってしまった過去を愛おしく思ってしまう自分がいるのは確かだけど、今は今でやりたくてたまらないことが山程ある。

だから、やる。

そんな風に考えることができてる自分が自分の中にいるのを感じると、今現在も1年前と似たような空を見ながら生きていると思うのだ。
というか、がむしゃらだった1年前と同じ空を見ていると僕は確信しているし、そういう自分に安堵している。

今も昔も僕の生き様は、僕からのメッセージ。
そこらへんは1年経っても変わらないし、これから先も変えてはいけない大切な部分。

…なんて粋なこと言ってるけど、旅のネタが合コンでのネタにならないよう、最高のつかみにならないよう日々頑張ろうと思います。