幸福論

当たり前のように過ぎていく日常に「何か」を残したい。人生における気付きを独自の観点から提供していきます。

転居

2009年10月10日 18時24分10秒 | 日記
心機一転、ブログを転居します。
理由は簡単。
発信源のリニューアル。

http://trick-star-com.blogspot.com/

この2ヶ月の間で書き溜めたものもあります。
新しいブログを宜しくお願いします。

クレイジークライマー

2009年08月08日 18時33分42秒 | 日記
蝉のBGMがどこか懐かしく、背の高い木々の隙間から木漏れ日がジリジリと肌を射す。
そう、世間はもう既に夏休み色で染まっている。
こんな真夏の休日に僕らは登山しようと思った。
炎天下の中、海ではなく山。あえて、山。
海水浴ではなく汗の滴るハードワークである。

なぜか。
「目の前に山があるから」
これは登山家のお決まりのフレーズだ。
心持ちだけは一人前で、標高900m弱の登山がスタートした。

登山口に足を踏み入れると、目の前が一瞬にして自然に支配された。
行く先は天国か地獄か、傾斜45度の一本道がある。
右、左、右、左、右・・・
一歩一歩リズム良く大地を踏みしめ黙々と前へと進む。
何十年、何百年にも渡って人が山を登って、草木の険しい大地を何度も何度も踏みしめて、少しずつ少しずつ道らしくなって、この登山道になったんだと思うとほんの少し登山の良さが分かってきた。
人は前へ進まなければ生きてはいけない動物で、その道を耕していくことに情熱を注ぐ。
生まれながらにしてそういった性質を持っていて、もしかしたらそれを本能の呼ぶのかもしれない。

道中は汗が滝のように流れ、久しぶりのハードワークに学生時代の部活動がデジャヴした。
右を見ても左を見ても、山。
上を見上げれば、空。
下を向けば、吐き気を催す。
どこにも逃げ場はなく、僕らは悟る。
前に進まなければならない、と。
もはや後戻りするという選択肢はない。
たまに振り返り登ってきた道を見下ろすと、なんだか少し嬉しくなる。

8合目を過ぎたあたりから足取りが少し軽くなる。
ペースも上がり、山頂までの距離を縮めていく。
息を切らしながらも、山頂に馳せた思いはヒートアップする。

「・・・・・・・・・・・・着いた!」
全開の空がお出迎えしてくれた。
雲が少し近くに感じる。
俯瞰して見る世界は一味も二味も違う気がした。
僕らの住んでいる世界は狭いのだと改めて実感。
「ナチュラル崇拝」
僕らは天に向かって両手を合わせた。

朝作ったおにぎりが最高にうまい。
だけど「空気がうまい」という感覚は僕らには分からない。
まだまだ経験の浅い若きクライマーだから。

経験が浅くても
機が熟してなくても
目の前に山があって
それを見て登りたいと思うなら
登ればいい
若きクライマーの目指すてっぺんにはきっと
見たこともない青が広がっているはず

俯瞰して初めて見えるものがある。
「登山はまさに人の歩みを表しているかのようだ」
思考回路が哲学的になるあたり、僕らは山に魅せられてしまったのかもしれない。


諦めないということ

2009年08月01日 18時32分45秒 | 日記
たとえ会社を辞めたとしても一から勉強して求人探してどんなに小さい会社でも入社すればそこでの頑張り次第でどうにでもなる。だから結局は何事も「どう取り組むか」が重要となる。
一度も躓いていない奴よりも、その歩みは強いと思う。
苦労しているしその分悩んでいるから、何も考えず生きている奴よりも、人に対して親切になれると思う。
躓くこと、逃げることは決して悪いことではない。
どうしようもない時の選択肢としては十分にあり得る。
結局「自分で歩こうとする意志」さえ失わなければ、人生を歩んでいくことはできる。
それが諦めないということ。

旅の布石

2009年07月30日 18時31分58秒 | 日記
まだ物語は終わりではない。
一応自転車とのお別れは行ったが、これはもしかしたら新しい旅のスタートであるのかもしれない。
宮崎市佐土原町に置いてきた一台の自転車を迎えに行く旅のスタートが。
時が経って、「迎えに行こう」という気になる時がもしかしたら来るのかもしれない。
今日の一幕はその時のための布石なのかもしれない。
こうやっていくつもいくつも至る所に布石を打っておくことが次の放浪につながっていく。
色んな所へ出向いて、色んな人とコミュニケーションが取れて、色んなことを感じる。
そして、また何らかの旅の布石を打つ。
その繰り返しを僕はこれからもずっと続けていきたいと思う。


土地に慣れる

2009年07月30日 18時31分33秒 | 日記
放浪した土地に少なくとも2日は居れる物理的かつ精神的余裕がないとその土地を満喫することはできないと思っている。
余裕ができれば、街の細かいところにまで目が届く。
地元の人達と同じ目線での生活が可能となる。
そのレベルに達して初めて放浪っぽくなる気がする。
見ず知らずの土地で1ヶ月くらいのスパンで生活したい。
無駄に日本各地を転々としてみたい。
その土地に慣れるとは、居酒屋やスナックの常連になるようなもので、どこか心の落ち着ける場所を確保しておくのに似ている気がする。

余生

2009年07月30日 18時31分03秒 | 日記
毎日海辺で読書して、昼寝して、海の家でカレーライス頬張って、行きずりのおばあちゃんと会話して、目の前の海だけひたすら眺めて、波の音がどこか懐かしく、趣味の良い音楽に心地良くなり、風に身を任せ、居酒屋のおっちゃんに「次はどこ行くとね?」って聞かれて間髪入れず「世界です」って答えて、言うことだけは一人前でそれでも僕はいつもと同じように毎日を生きている。
どうせ生きるならやりたいと思っていることをやらなければ圧倒的に損である。
僕は20歳を過ぎたら余生みたいなものだと思っているから、どうせならやりたいと思っていることは我慢せずやってやりたい。
とは言ってもまだ若干23歳。
挑戦して失敗して、腐ってもまた挑戦して。
もう少し苦労をしなければいけない。
身分や立場、地位や名誉、肩書き、世間体に惑わされない大人になりたいなら、尚更である。


海辺で読書をする

2009年07月29日 18時30分08秒 | 日記
決して良い天気とは言えない天候であったが午後を少し過ぎたあたりから海辺で読書をした。
しかし読書を始めてみたはいいものの文字が全く頭に入らなかったから、少し目線を変え、面前に広がる景色を眺めてみることにした。ぼーっと眺めた。
海、波音、風、声、じいいちゃんと孫、空、椰子の木、砂浜、ビーチに群がる天使、趣味の良い洋楽、本。
その全てが心地良くて、毎日でもこうしていたいと素直に思えた。
そうしているうちに自然と活字を読む体勢が出来上がり念願の「海辺で読書」が実現した。
時間が経つにつれ尻上がりに天候も良くなり椰子の木の下の白いイスで僕は時折眠りについていたりした。
木漏れ日が心地良い。こうやって心を静かにできる場所や時間をとても愛しく思えた。
僕が心の底から微笑んでしまう瞬間には必ず趣味の良い音楽や心の落ち着く景色、そして素敵な本がある。
日が沈むにつれ心がより穏やかになっていくのが手に取るように分かり、夕焼け空の下、僕は今までで最高のリーディングタイムを堪能することができた。