蝉のBGMがどこか懐かしく、背の高い木々の隙間から木漏れ日がジリジリと肌を射す。
そう、世間はもう既に夏休み色で染まっている。
こんな真夏の休日に僕らは登山しようと思った。
炎天下の中、海ではなく山。あえて、山。
海水浴ではなく汗の滴るハードワークである。
なぜか。
「目の前に山があるから」
これは登山家のお決まりのフレーズだ。
心持ちだけは一人前で、標高900m弱の登山がスタートした。
登山口に足を踏み入れると、目の前が一瞬にして自然に支配された。
行く先は天国か地獄か、傾斜45度の一本道がある。
右、左、右、左、右・・・
一歩一歩リズム良く大地を踏みしめ黙々と前へと進む。
何十年、何百年にも渡って人が山を登って、草木の険しい大地を何度も何度も踏みしめて、少しずつ少しずつ道らしくなって、この登山道になったんだと思うとほんの少し登山の良さが分かってきた。
人は前へ進まなければ生きてはいけない動物で、その道を耕していくことに情熱を注ぐ。
生まれながらにしてそういった性質を持っていて、もしかしたらそれを本能の呼ぶのかもしれない。
道中は汗が滝のように流れ、久しぶりのハードワークに学生時代の部活動がデジャヴした。
右を見ても左を見ても、山。
上を見上げれば、空。
下を向けば、吐き気を催す。
どこにも逃げ場はなく、僕らは悟る。
前に進まなければならない、と。
もはや後戻りするという選択肢はない。
たまに振り返り登ってきた道を見下ろすと、なんだか少し嬉しくなる。
8合目を過ぎたあたりから足取りが少し軽くなる。
ペースも上がり、山頂までの距離を縮めていく。
息を切らしながらも、山頂に馳せた思いはヒートアップする。
「・・・・・・・・・・・・着いた!」
全開の空がお出迎えしてくれた。
雲が少し近くに感じる。
俯瞰して見る世界は一味も二味も違う気がした。
僕らの住んでいる世界は狭いのだと改めて実感。
「ナチュラル崇拝」
僕らは天に向かって両手を合わせた。
朝作ったおにぎりが最高にうまい。
だけど「空気がうまい」という感覚は僕らには分からない。
まだまだ経験の浅い若きクライマーだから。
経験が浅くても
機が熟してなくても
目の前に山があって
それを見て登りたいと思うなら
登ればいい
若きクライマーの目指すてっぺんにはきっと
見たこともない青が広がっているはず
俯瞰して初めて見えるものがある。
「登山はまさに人の歩みを表しているかのようだ」
思考回路が哲学的になるあたり、僕らは山に魅せられてしまったのかもしれない。