修行時代の頃。
道場内には、蓮華の池がありました。
ちょうど蓮華が立ち枯れていたので、寮監だった私は掃除しようとそれを
バサッと刈ってしまいました。
そうしたところ、当時の院長先生に「馬鹿もの―」と叱りつけられた事がありました。
なんと、その枯れていく姿こそ、本当の仏の姿ではないかと諭された事がありました。
毎日、檀信徒様のお宅にお伺いしておりますが、お年寄りの方は皆
「ここが痛くてね」 「膝がねー」といつも嘆いておられます。
また、39歳で子供を2人も残して病気で旅立たれた娘のお母さん。
ちょっと目を離したすきに崖から落ちて、わずか3歳のお孫さんを亡くされたおばあちゃん。
娘を授かった私としては、聞くに堪えないほどの辛いご経験だったと思います。
本当にいろんな方のお気持ちに触れさせていただいております。
母が言いました。「老い」とは残酷なものなんだよ。
老いていくと、本当にいろんな事が降りかかってくるものなんだと教えられました。
まだ、若い私には分かりにくい現実だろうと思います。
口では、生老病死を説きますが、身に迫ったお話など到底できないものです。
先ほどの蓮華のお話もそうですが、生まれ死んでゆくその命の中に「苦」という現実が常に迫っているのだという
ことを自覚しなければなりません。
そして、生老病死というのは、順番に起こるという事ではないということも思います。
「同事」ということが仏教にはありますが、すべてその一瞬に同事に存在しているのだと思います。
ふと、檀家参りをしている中で、院長先生に叱られた事を思い出し、無常という事を考えさせられました。