ずいぶん久々の更新になってしまった。
というのは、長女が学校で…
と、書き始めては放置し、また書き始めては…を数回繰り返していました。
この約1ヶ月くらい。
長女の学校でのトラブルについて書く決心もついていないくせに、
惰性で書き始めたりするから。
もう長女に助け舟が必要なさそうになって、しばらく経つので、
私の心の中で解決済み案件になりました!というわけでもう書かないぞ!
さて、本日長女は「夏休みのしおり」という紙を持ち帰って来ました。
読むと、そこに「読書感想文」の文字が。。。
私が小学生の時、3年生だったと思いますが、
読書感想文を提出するのがどうしても嫌で、最後まで抵抗しきって書かなかったことがありました。
何故そんなに嫌だったのかと言うと、
本を読んでの感想というごく個人的なものを、
第三者に見せる理由がわからなかったんです。
ましてや勝手にコンクール的なのに出され、
私のことを知らない人に評価されるなんて意味不明過ぎて
「絶対やらない!!!」と頑なに拒否し続け、親も諦めました。
翌年は空気を読んで、仕方なく書きました。
大人が本から学んだと書いて欲しいと思っているであろうことを読み取って、それっぽく書いたと思います。
大人を満足させるために書く以外の動機がありませんでしたから。
拒否した時のことは、大人になった今でも「私、よくやったぞ。」と思っています。だめかしら(笑)
さて、そんな私なので、
娘に課された「読書感想文」の宿題を
サラッと形だけでやらせることはできなさそうです。
学校からのお便りには、
ご親切に数枚に渡る「読書感想文の書き方」のプリントが添付されていました。
目を通しましたが、どこにも書かせる理由も目的も書いていないのです。
そんなの当たり前なのかな?
娘の宿題なので本人がやりたければやらせていますが、
毎日課される書き取りや計算の反復に対しては
「わかってることを繰り返しやるのは勉強じゃなくてゲームだ。」とか言ってしまうウザい親なので、
あと2年もしたら宿題なんて見せてもくれなくなりそう。
話は戻って、
読書感想文の目的ってなんだろ。
話の内容を理解して、順序立てて人に伝わる言葉で表現すること。
自分の考えや気持ちを言葉ですくい上げ整理して書く。
(雑な日本語だなぁ↑)
これくらいしか考えられないや。
今の長女は、たぶん疑問なく課された宿題をこなしていくのだと思う。
でも、2〜3歳頃を思い出すと、
「なんで?なんで?」ばっかり言って、納得できないことを全力で拒否するような生き物だったはず。
我が子だけではなく、どの子もそんな感じだったはず。
ところが、少し大きくなると、
幼稚園でのルールや先生に言われたことに疑いもせず従うことが「善」だという感覚を持ち始める。
それは、社会性が身についたとも言えるのかもしれないけれど、
単純に「うちの子成長してる!」などとは思えないし、なんだかいい気分はしない。
学習性無力感という言葉が頭に浮かぶ。
私の教育観?には、娘が学校で教えられることと明らかにコンフリクトしている部分がある。
いつもどこまで伝えるか悩むし、心無い人に「子どもがかわいそう」とか言われないか怖くなったりもする。
でも、学校と全然違うこと言う母親の影響が、
良いか悪いか決めるのは将来の子ども本人。
私は、自分の信じることを偽りなく、押しつけることなく、謙虚に、誠実に話すよう努めよう。