ソノっちのボリビアChin-Champu日記♪

ボリビア何を学ぶわけでもなくぼんやり生きているソノっちが近況を伝えます。

Semana Santa

2011-04-24 | ボリビアの文化



(4月17日の日記)

あー、セマナサンタ・・・。忙しかった。
毎日ミサ、ミサ、ミサ・・・。
特にキリスト教信者でもない、似非仏教徒の自分にはとっても辛い1週間だった。
なんてことを、言い訳にほったらかしにしたブログ。


はい、というわけで、4月17日からセマナサンタ(聖週間)がスタートしたわけです。
キリスト教徒にとってはとっても大事な1週間らしいです。

その初日をレポートーーー。


日曜日は毎週ミサがあるのだけれど、今日はちょっと特別な感じ。




まず施設のグラウンドにみんな集まります。

他の施設とかからも人が来たり、普通の地元民も来たりで、ごった返し。



こんな風に仮装?変装?した人たちも。




人がいっぱいなので、神父も拡声器使用。




そして、ミサスタート。


よく理由はわからないんだけど、みんなヤシ木の葉っぱ持ってます。そして振ってた。
英語でPalm Sundayって言うよね?このことだったのねーー。



みーーんな振ってる。




かわいい。


でもこの日はちょー猛暑。



こんな風にうなだれる姿も見受けられました。
そして自分も終始うなだれていたうちの一人。


その後みんな一緒になって、教会まで歩いてきます。

マジで暑かった。


ミサの途中にはこんなプチ劇も。



最後の晩餐?よくわかんないけど。
てか、さっきの仮装だか変装はこのためだったのね。



ヘスース。
そっくり。


そんな感じでミサは進み、トータル2時間ほどのミサは終了。

1時間のミサでも堪える、このへなちょこボディーには辛かった。

つくづくキリスト教徒にはなれんと感じたセマナサンタ初日だった。




いぇい。





あすたるえご。

2011-04-12 | ボリビア日記


昨日、ボランティアのプロジェクトから、一人の女の子が旅立った。

でもそれは彼女の意志ではなく、それ以外の選択肢がなかったから。



ソノっちの唯一の友達だった、Madeleine。
ボランティア達の中で、一番ソノっちのことを、思って考えてくれてた人だった。



彼女はドイツ人なんだけど、お母さんがアメリカ人で、さらにおじさんがフランス人。
というわけで、3ヶ国語がペラペラ。

しかも、高校を飛び級し、16歳で卒業。
その後2年間世界を旅して周り、
ボリビアでのボランティアにたどり着いたという、チョー秀才&タフガール。

(ちなみに、旅の途中日本にもよってます。
「日本はちょー近未来!信じられないわ!しかも京都サイコー!!」と絶賛してました。)



去年自分がこのプロジェクトで働き始めたとき、すごく不安で、友達なんていなくて、さびしかった。
(今でも友達はいないけど、もう慣れた。)

そんな時に、彼女Madeleineと知り合った。
 
ボリビアに来る前に2年間も勉強したにも関わらず、
自分は全くスペイン語がしゃべれなくて、理解も出来なかった。(今でもそうだけど)

でも、来る前に全くスペイン語を知らなかったMadeleineが
自分の言いたいことを、自分よりはるかに上手なスペイン語で説明してくれて、
わからないことを英語に訳してくれて、助けてくれた。
(ちなみに、ソノっちもう英語は全て忘れたので、How are you?くらいしか思い出せないです。)


それに去年ずっと自分は精神的に辛くて、ボランティアもボリビアも何もかもが嫌で、
カナダへの移住を検討してた。笑

そんな時も、いつも相談相手になってくれて、励ましてくれた。


今自分がここにいるのは彼女のおかげだと思う。
彼女がいなければ、多分ボリビアを去っていたと思う。
今の自分のスタンスを作ったのは彼女だ。



だけど、彼女に異変が起きたのは、今年の二月だった。
原因はよくわからないのだけれど、何か辛いことがあったらしい。


それ以来、うまく働けなくなり、休みがちになってた。

それでも彼女なりに、新しい施設でやり直そうとしたり、すごく努力してた。
絶対に涙はみせずに、いつも笑顔を見せてた。
精神的な辛さを経験した自分には、Madeleineの痛みがすごくわかって、自分も辛かった。


そして、その日は訪れた。
プロジェクトから、帰国命令を出された。


彼女から、そのことを聞いたのは出発3日前だった。
彼女なりに、気を使わせないための配慮だったんだと思う。


そして、こちら帰国前日のミサの後↓



子供からも大人気で、この子のことを悪く言う人は本当に一人もいなかった。


いつでも笑顔だった彼女が、この日だけは涙を見せたことを
自分はずっと忘れないと思う。
その涙になんの言葉もかけられなかった自分の弱さも。





ありがとうMadeleine!!!!
Ich liebe Dich!!!

(上の写真でそっぽを向いている彼女・・・。
仲が良いと思っていたのは、自分の勘違い?)


マミーよ・・・。

2011-04-07 | ボリビアでのあれこれ

2回連続、母ネタで失礼します。

今日マミーから小包が届いた。
ここボリビアではどうしても手に入らないものとか、
施設の子供たちとか、お世話になってる人たちへのプレゼントなども兼ねて、
色々送ってもらった。

ぐらしあす、まま。


お世話になってる女性陣へのお土産に、と思って、扇子を頼んだ。
でもマミーはメールで「この時期どこにも扇子なんて売ってないよ。」と。

確かにな、と思った。

でも
「探してみるね!」
と言っていたので、ちょっと期待していた。

しかし、その後なんの連絡もなく、見つからなかったのだな、と思っていた。


そして今日郵便局に荷物を取りに行き、開けてみると・・・

入っていたのこちら↓



(地震に関する新聞と共に。)


アップにすると↓



・・・「華麗シリーズ羽扇

これをどこに使えと。
もう一度"La Medalla"をやれと言うのか。(内輪ネタ)


自分がお願いしたのは日本らしい扇子だったのに。
日本ヘンタイだと思われちゃうじゃないか。
(自分がいる時点ですでに思われてる。)


さすが、我が母。

かなわぬ。


それでも、頑張って探したんだよね。
ありがとう、マミー。



おまけ



郵便局にいた猫。
ちょーかわいかった。

どこにでも動物がいられる自由な国。
東京だったら、郵便局に猫は難しいかもね。


突然ですが、母へ。

2011-04-03 | ボリビア日記

日本の母よ、日本で元気にくらしておりますか?
とても元気だと確信しております。


息子は地球の裏側へと旅立つ前に、あなたにスカイプを教えました。
しかし、一度もオンラインになったことはありませんね。
もう頭にスカイプの"ス"の文字もないのでしょう。

いいんです。

スカイプ練習する暇があったら、あなたは働くのでしょう。
息子のためを思い働いているのだろうと、信じています。


スカイプなんてなくたって、もっと頻繁に国際電話だとか、かけてきてくれるものと思っていました。
しかし、今までの合計コール数、二回ですね。

いいんです。

息子からのメールには、即座に返信するものだと思っていました。
しかし、3日経てど、4日経てど、返信しませんね。

いいんです。

電話やメールをしている労力があったら、愛猫たまとチビに捧げてください。


もっと海外で一人生きる息子を心配するものだと思っていました。
しかし、そんな様子はひとかけらもありませんね。

いいんです。

息子が心配せぬようにという配慮なのだと願っています。



そんなマミーの愛には心の底から感謝しています。



・・・うん、突然だけど、これまでの愛に感謝している。
マミーだけじゃなくてね。



我が道を突き進むマミーへの愛。

いつも癒してくれる、たまとチビへの愛。

一緒に時を過ごしてきた友達への愛。

たくさんのことを一緒に乗り越えてきた仲間への愛。

人生の大先輩エミコへの愛。(愛を込めた呼び捨てです。)

生意気なガキンチョもいるけど、それでも愛おしい施設の子供たちへの愛。


どれも形は違うし、その在り方も違う。
与えるものもあれば、与えられるものもある。
どれも大切で、自分にはなくてはならないものだと言い切れる。

そして、幸運だった自分は、その様々な愛に出会うことが出来た。いろんな愛に恵まれた。


だけど、ここボリビアに来てから、信じていた人みんなに一度に裏切られて、
ボリビアが大嫌いになり、人間というものが心の底から嫌いになった。
やっぱり自分はひとりで生きていくんだ、と思った。

それでもやっぱりここにもあった。

色んな愛に出会ってきたけど、ここで自分はもうひとつの形の違う愛に出会うことが出来た。
感謝している。


始まってしまったからには、もう終わるしかないものだけれど。

何事にも終わりはつきもの。
それがどういう形で訪れるか、いつ訪れるか、そもそもそれを終わりととらえるのか、は人それぞれ。
自分は「始まり=終わり」だと思ってる。決してネガティブな意味ではなく。


だけど、その"終わり"が来る時まで。ね?


突然だけど、息子からの近況報告でした。