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がんばりましゅ先生 ゼミナール通信

がんばりましゅ先生とゼミ生の熱い思いを発信するブログです。

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2012-09-28 08:20:20 | Weblog
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2010~2011ゼミ活動 ラジオコマーシャル制作

2011-01-22 17:00:01 | Weblog
そのこゼミナールでは、2010年度秋学期のゼミナール活動の一つとして、ラジオCM制作を行いました。このあとゼミのみなさんの作品を投稿する予定です。

ラジオCMはテレビコマーシャルと違い、映像や文字=目から入る情報が一切ありません。すべてを会話やナレーション、音楽や効果音など=耳から入る情報で伝える必要があります。当たり前のことですが、CMしようとする商品そのもののビジュアルを見せることはできませんし、その商品が使われている様子も提示することは不可能です。その商品がどんなもので、優れたところは何で、どんな場面で使われるのか、をセリフにせよ効果音にせよ「音」で表現していくことになります。テレビCMでは登場人物が笑えばすむかもしれませんが、ラジオCMではそうは行きません。「うれしそうな声」や「楽しげな音楽」、その他「嬉しさを表す何らかの音」が映像の代わり、実際には代わり以上の大きな役割を持つわけです。
すべて音で表すというこのラジオCMの特徴は、その難しさであると同時におもしろさ、深さでもあります。見せてすませることができないだけに、そこに「創造性」と「想像性」を自由に羽ばたかせるチャンスがあるからです。夏のぎらぎらした日差しと家の軒を見せるのではなく、風鈴の音だけで、それを聞いた人たちに夏の日差しと家の軒下の日かげを想像させる。。。。そんなある種の繊細さこそラジオCMの妙味なのです。


ゼミ生寄稿 わたしにとってのことば力とは 4年TSさん

2010-03-22 15:03:20 | Weblog
人間が充実した生活を行う上で、ことばとはただの情報伝達手段ではありません。その例をそのこゼミでは、商品名、インパクトキャンペーン、キャッチコピー、名言、トリビア、本やCDの帯などの題材を通して学ばせていただきました。その上で私にとってのことばの持つ力とはどういったものなのかを記述していこうと思います。 

~ことばと感情は密接なつながりを持つ~
私がことばと聞いてまず思い浮かべるものは大体が感情に関連しているものです。そんなわかりきっていることを言うなという人もいるかもしれないので説明しておきます。
例えば、私が誰かから文句を言われたとします。当然文句を言った側はある種の感情を表しながら私に文句のことばを述べますが、無感情で文句を言う人はまずいないでしょう。そのとき私はその人が困っているのか、怒っているのか、はたまた悲しんでいるのかの大体を感じることが出来ます。なぜならそのとき発せられたことばはある種のニュアンスをもって相手に伝わり、そのことばのニュアンスを無意識で人は感じることができるからです。
つまり、普段何気なくやっていることである感情からことばへの変換とその逆のことを私たちは日常的にしかも膨大な量の変換を行っていると言えます。またそのことは、ことばと感情は密接につながっているということへの裏づけにもつながるのではないでしょうか。

~ことばとは良くも悪くも人の心を動かすモノ~
上記の文で何が言いたかったかというと、ことばとは感情に影響を与えるもの、人の心に直接左右することが出来るものであるということです。それはすなわち人に素晴らしい感動を与えることが出来る最高の薬でもあると同時に、とても危険性をはらんだ最悪の凶器にもなりえるということです。私は、そのこゼミでキャッチコピーや名言、インパクトキャンペーンなど全体的にことばのもつ良いほうの可能性を引き出す研究をやってきました。それらの研究の結果、私はさらにことばの持つ力の大きさに興味を抱きました。しかし、物事にはほとんどの場合、表と裏があります。声がハキハキしていて元気であるというメリットがあれば、声がでかくてうるさいというデメリットに人によっては捉えられるかもしれません、それと同様のことがことばの持つ力にも言えるのではないでしょうか。良いことばの力を正のことばとすると、悪いことばの力を負のことばとします。
負のことばには、ことばの暴力と言われるいじめ、ネットでの悪質な書き込みなどがあり、現代ではことばの持つ素晴らしさよりも負の存在のほうが多く注目されています。そして、これらのことばも列記としたことばの持つ力であり、決して見てみぬフリは出来ないものである。そのこゼミでことばのもつ力を学んだ私としては、これらの負のことばについても今後しっかりと向き合って取り組んで行くことが大切であると考えます。
私は、時に人を死にまで追いやる負のことばの力と、人に生きる勇気を与える正のことばの力、真逆のようでまったく同じであることばの力の魅力と凶暴性をしっかりと認識して的確に使っていくことがそのこゼミ生として最低限やっていかなければならないことなのではないかと考えております。

最後に
そのこゼミでの活動は、どれも社会に出た後も使えるようなためになる教えでした。そのような良い教えをうけることができた幸運な立場であるからこそ私は今後、いじめなどの悪い影響をもつことばにも注目し、そのこゼミでのスキルを活かしつつ、私なりの解釈で物事を見ていくことが大切であると考えています。
またことばの力を学んだものとして、ことばの力の強大さをしっかりと自覚し、マイナスのことばの力を決して侮らないよう、そして自分のことばに責任を持つことを忘れないようにしていきたいと思います。








07ゼミナール生のみなさまへ。 贈ることば

2010-02-28 12:11:14 | Weblog
今さらですが、がんばりましゅゼミは「ことば力」を追求するゼミであります!そんなゼミを担当する先生は4年生の卒業にあたり、心にぐっとくる、そう、4年間このゼミを続けてきて本当によかった!と卒業生に無条件で思わせるようなお祝いとお別れのことばを送るのが当たり前。。。。そうでなければ、「今まで3年間えらそうな顔をして何を教えてきたんだ!」という恥ずかしいことになってしまいますね。で、このたび、その恥ずかしいことになりましたので、ここに謹んでご報告申し上げます。。。。。。

そう。。。。ことばと経済活動の関係を探るゼミを担当している割には、入学式とか卒業式とかそういう節目のときの挨拶がすご~~~~く苦手! 照れて妙にはぐらかしてしまったり、言いたいことがうまく言えなくて寒いギャグに走ったり、わけのわからない思い出話に逃げ込んだり。。。3年間この先生のゼミで勉強してきたことを確実に後悔させる自信だけは。。。あります。というわけで、4年生のみなさん、いよいよご卒業ですね。がんばりましゅゼミはみなさんのお役にはたいして立てなかったかもしれませんが、少なくとも!ことばを通して社会を見る目だけは絶対他の人には負けない力を付けた!と自負(いや妄想)しております!

とはいっても、卒業するゼミ生のみなさまに何かメッセージを、と思い以下小さいご挨拶を書かせていただきました。ヒマなときに読んでいただければ幸いです。

来る来ると言って騒いでいた21世紀に入ってすでに10年、天文学的な量の情報がいろいろな形で地球上を駆け巡っています。あまりに量が多すぎて、どれがホントなんだか、どれかウソなんだか。。。。たとえホントのことを言っていても、普通の言い方を普通に並べていたのではだれも振り向いてくれないかもしれません。

たとえば。。。。
「民主主義はベストの政治形態だ」などと言ってもあまりに普通すぎて、というか当たり前の言い方過ぎて、主張は正しく、熱意があったとしてもちょっと白々しくてインパクトがありませんね。それを Democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time. = 「民主主義は最悪の政治形態だ。これまで時として試されてきた他のすべての政治形態を除いては」と言ったらどうでしょうか。結局言いたいことは「民主主義が一応今までの中ではベストだ」ということではありますが、その民主主義でもいろいろと欠点があって完全ではないこと、民主主義の歴史的な成立過程や他の政治形態との比較、また何よりも聞き手に「確かにまあそう言えば。。。」とちょっと考えさせてしまう、という点で心に強く訴えるもの=「ことば力」があるように思います。

前国連事務総長、コフィ・アナン氏がテレビのドキュメンタリーで言っていたことばは非常に印象深いものでした。彼は(名指しは避けていましたが)ある一部の国の政府の開発途上国援助が約束通りに行われないことを物静かに嘆き、じっとインタビュアーを見つめながらこう言いました。
「約束は、守られたものが約束なのです」
どうでしょうか。彼ほどの実績のある人格者ならば、単に「先進国は約束を必ず守ってください」とか「約束は破ってはいけません」と言っても十分に気持はこちらに伝わってくるとは思いますが、修飾語を何もつけずにただこう言ってじっとこちらを見つめられたときには、何かはっとさせられるものがあり、それ以来わたしにとっては忘れられないことばとなりました。

最近聞いた中でぐっと来たのは、これ。
「倒れることは失敗ではありません。倒れて起き上がらないことが失敗なのです」

実はわたし、ちょっとかわいくないことを言いますが、「あきらめなければ夢はかなう」という言い回しがあまり好きではありません。困難に打ち勝って何かを成し遂げた人がよく言うセリフで、それはそれで事実であり、もちろんそういう人を尊敬はするのですが、それは夢がかなったほんの一握りの人だけがたまたま言えることで、その後ろには何千万という夢がかなわなかった、つまりはこのセリフを吐けなかった人が世の中にはいるんだ、と思っていました。だからこのセリフってある意味、夢がかなった人が、かなわなかった人(かなわないであろう人)に浴びせる何とも無神経な「あたしはがんばったんだから宣言」のような気がして、なんとなく納得できない気持ちでいたのです。
ですが、夢がかなう、とか成功する、とかそちらの方には言及せずに、失敗するところから立ち上がるところに目線を置いた言い方と、全体の比喩表現、そして一つめの「失敗」と二つめの「失敗」の非常に効果的な使い方に、「ああ、これなら共感できるし理解できるなあ」と思わず(一人で勝手にですが。。。)納得してしまったのでした。

常にこういう表現や物言いをし続けて目立つようにせよ、と言うつもりはありません。でも自分が熱く訴えたいことを訴えるにはやはりそれなりの人を振り向かせる「力」が必要で、わたしたちはそれを何らかの形で養っていく必要があるのではないでしょうか。人生の「ここぞ!」という場面で、魂を揺さぶるような説得力のある、そして同時に自分の熱い思いを熱いまま印象的に伝えることができる表現を使えれば、それはみなさんの大きな力となるはずです。(って自分はできないくせに言ってます。ごめんなさい。)

でも、くさいことを言いますがどうぞ決して忘れないでください。どんなに上手な表現や言い回しができたとしても、話し手に「こころ」がなかったら、それはことば力にはなりません。ことばを発する人に真摯な気持ちと熱意がなければ、それはうわべだけの単なる「ちょっとばかり凝った人の目を引くだけ」の表現に過ぎず、人々や社会を本当に動かすことはできません。「こころ」が伴わず発したことばは決して「ことば力」を持つことはないのです。どうぞみなさんは「こころ」ある「ことば力」で自らの志を実現して行ってください。

というわけで卒業するみなさんに以下のことばを贈ります。
「約束は、守られたものが約束なのです」
「倒れることは失敗ではありません。倒れて起き上がらないことが失敗なのです」

そして最後に、がんばりましゅ先生からみなさまへの「贈ることば」です。お手本になるような上手なものではなくてごめんなさい。でもわたしが、名言を作ってやろうとかじゃなくて、いつも思っている素直な気持ちです。

「勝ち負けでない生き方で勝てる人へ。。。」

ではみなさん、ご卒業(ちょっと早いですが)おめでとうございます。お元気で。たくさんの夢をありがとう!!

ゼミ生寄稿 わたしにとってのことば力とは 4年SSさん

2010-02-26 15:09:27 | Weblog
私にとっての言葉力とは、「人生を豊かにする力」です。

 私は3年間のゼミの中でいろいろなことを学んできました。一例を挙げれば、多摩地区限定のキットカットを企画することや、ポテトチップス・スポーツ系炭酸飲料などの商品のネーミングやキャッチコピーを作るなどがあります。企画力や発想・デザインなども重要視されますが、どれも最終的には「言葉」がメインとなり、どんなに案が良くても、どんなにデザインが良くても発表者によってほとんど評価が決まってしまうと思います。企画案の味をよりいっそうひきたて、印象付けることで案を受け入れてもらう姿勢となるからです。実体験として、ゼミが始まって間もない頃に私がトリビアの発表を行ったことがあります。その時私が発表した内容は「碁石の白と黒は大きさが違う」というものでした。高校の時に私が自己紹介で同じ内容のトリビアをパワーポイントで紹介したときは大歓声となり、とても盛り上がった雰囲気に包まれましたが、大学のゼミでは盛り上がるどころか静かな雰囲気のままであったことを今でも覚えています。パワーポイントの力を借りて心を動かすのではなく、自分の選んだ言葉で響きを与えることが「言葉力」であると私は考えます。

 ゼミで講義を受けるにつれ、「言葉の力」(言葉力)を意識するようになりました。テレビでは普段はあまり見ることの少ないCMや電車内の広告など、ジャンルを問わず気になったものは常にメモし、まるでライターにでもなったかのような気分でいました。よくみて見ると、大々的なCMや宣伝は行っていないのに印象に残る言葉があったり、考えてみると表では見えないおもしろいカラクリを発見することも多々ありました。例えば、「THE有頂天ホテル」(ざ・うちょうてんほてる)という映画がありますが、本来であればTHEの後ろが母音の「う」であるため、読みとしてはザではなく「ジ」であるべきです。しかし、英語の表記では"THE WOW-CHOUTENN HOTEL"となっているため、ザではなくジと読むことになったという話があります。この場合は、uchoutenと表記するよりwow-choutenと表記した方がにぎやかな映画であるという想像が難しくなく、全体的にも「ジ・ウチョウテン」より「ザ・ウチョウテン」の方が語感的にもなじみやすいといった要因が隠されています。言葉の力は映画のタイトルをも変えてしまう威力を持っているのです。

 また、普段の生活で使われている言葉でも疑問に思う点はありました。「人一倍」という
言葉があります。この意味ですが、現在の解釈で考えると「人一倍頑張る」=「人×1倍頑張る」つまり「普通の人並みに頑張る」と捉えてしまってもおかしくない表記です。しかし、昔の「倍」の意味は今で言う「2倍」であったといわれています。つまり、「人一倍」は「人×1」ではなく、「人×2」で考えていたものが名残として今も使われているという
ことになります。

このような例からも、言葉には普段は気付くことのない面白いタネが多く隠れています。普段から何気ない言葉や知識を意識することによって、そのようなタネを見つけることも少なからずあります。よく先生に「アンテナを張りなさい」と言われることが多くありました。自分が言葉の魅力を理解し、多くの言葉に触れていくことによって、自分自身もよりよく面白い内容の言葉やキャッチコピーを作ることができる、ということだったのではないかと今は思います。仮にそれが言葉のキャッチコピー作りなどの参考にならなくとも、人との会話で活用することも可能です。以下に例を挙げます。

1.「日本人の1000人に3人がハマっている」 (パクロス)
実際に聞いてみると説得力があるのかないのかよく分からないコピーです。しかし、計算をしてみると日本人の約40万人がハマっているということになります。1ヶ月315円の料金を徴収するということになると、315円×40万人=126,000,000円の収入が1ヶ月に入ることになります。よく考えてみると実はすごい!という内容ですが、このコピーの目的は収入の大きさを知ってもらうためではなく、「注目」や「気にかけてもらうこと」が本当の目的であると私は思います。つまり、「1000人に3人って少なくない?」、「40万人って言えばいいのに」そう思ってもらえればこのパクロスのCMは成功ではないでしょうか。例えば、「日本人の1億2000万人に40万人がハマっている」という言い方では、想像がつきにくく、受け流されてしまうのではないかと思います。なぜなら「1億」、「40万」という数字は普段馴染みがなく身近ではありません。食事や電車の切符購入などで1,000円を払うことはあっても、電車の切符を40万円分買うことは滅多にあるものではないからです。

2.「尻尾がない悟空、エロくない亀仙人」 (実写版ドラゴンボール)
この映画は、公開時から上記のような批判を受けていました。それを逆手にとって宣伝に使用したというコピーです。あらかじめ「こうである」と断言し、印象付けておけば実際に映画を見て、「亀仙人がエロくない!」とがっかりするということがないため期待はずれという感覚が多少和らぎます。しかし、内容によっては第一印象で「つまらない」と思われてしまうのがこのコピーの特徴であるため、コピーの内容がファンにとって興味の持てる内容であるか、言葉によって印象が大きく変わってきます。

3.「形は△ 味は○」 (セブンイレブン)
セブンイレブンのおにぎりを分かりやすく例えたコピーです。ただ「おいしいおにぎり」と謳うのではなく、前文にあまり良い印象のない「△」を使うことで、「○」の効果が引き立てられてうまく強調されています。「○」の印象をうまく利用し、食べたことがない人は「本当に味は○なのか」と思い、実際に食べたことがある人も「やっぱり美味しいおにぎりなんだな」という購入後の満足を得ることができます。ただ、「○」の表現には「◎」もあるため、「なぜ◎ではないのか」と思われてしまう欠点もあります。コピーの都合上、△と○を使っていますが、◎ではないため、特段に美味しいというわけではなく、捉えようによっては「少なくともまずくはない味」と思われてしまうことも考えられます。

 このように、言葉には1つに限定したものではなく、その人のその時の気持ちや考え方によっても少なからず意味は異なってきます。大切なのは、今の状況やその人の性格に応じた言葉を使うことではないかと思います。万人に受ける言葉の想像は非常に困難であり、全ての人に受け入れられる言葉は存在しません。しかし、その人・その場に応じて言葉を使い分ければ言葉はとても強い味方となる。周りの空気を読み言葉を使い分けることこそ、私の考える「言葉力」であり、「人生を豊かにする」ことができる能力ではないかと考えます。


ペットボトルラベルの可能性を探る

2010-02-05 20:36:01 | Weblog
日本コカ・コーラから販売されている

glacéau
vitaminwater®
(グラソー ビタミンウォーター)という清涼飲料水があります。アメリカでとても人気のあるNY生まれのオシャレな飲み物で、わたしもよく飲んでいたのですが、最近では日本でも手に入るようになりました。

glacéau vitaminwater®のおもしろい点は、特徴のある5種類のフレーバーがあってそれぞれにユニークな名前がついていること。色や味はもちろんのこと、含まれているビタミンやミネラルなどの成分や製品特性も少しずつ違っていて、種類ごとに「こんな時に飲む」飲用シーンが想定されており、ホームページ上の広告戦略にもその戦略が効果的に使われています。

glacéau vitaminwater® power-c  (ピンク、ラベルはピンクと白)
dragonfruit
(vitamin c + fructose)
頑張りたいとき、デート前

glacéau vitaminwater® energy kick (黄色、ラベルは黄色と白)
tropical citrus
(vitamin b6 + guarana + caffeine)
残業時、眠い時、頑張りたい時

glacéau vitaminwater® b-relaxed (薄いオレンジ色、 ラベルは黄緑と白)
jackfruit-guava
(vitamin c + theanine)
イライラしている時、癒されたい時

glacéau vitaminwater® restore (紫色、 ラベルは紫と白)
fruit punch
(vitamin b6 + potassium)
元気を失った時、旧友と会う時

glacéau vitaminwater® charge (黄緑、 ラベルは緑と白)
lemon-lime
(vitamin b6 + electrolytes)
ココロとカラダに充電が必要な時

この商品コンセプトも新鮮で注目に値するのですが、ことばと広告の関係を探るわたしたちのゼミ的に非常に興味深く魅力的なのは、それぞれのフレーバーのボトルラベルに、ちょっとスパイスの効いた、しゃれた会話体エッセイふうの商品コピーがついていること。商品をコマーシャルしている文には違いありませんが、glacéau vitaminwater®はおいしいよ!体にいいよ!と直接的に商品を売り込むタイプのものではなく、各フレーバーの製品特性にふさわしい場面設定で、ある人物が体験したり感じたりしたことを語って間接的に商品特性や飲用シーンを説明しているものです。ラジオコマーシャルの独白セリフと通じる部分がありますが、それがボトルのラベルに印刷されている、というところがユニーク。ボトルを手に取ってラベルを見た人にこのエッセイを読ませることによって商品をアピールするという手法は、通常のペットボトル飲料には見られないものですね。

以下にglacéau vitaminwater® energy kick とglacéau vitaminwater® chargeのラベルに各々印刷されているそのコピーを掲載します。この掲載にあたっては日本コカ・コーラ株式会社 グラソー事業部の方のご了解を得ております。心より感謝申し上げます。

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さいきん、部長がミョーに元気でさ。ヤル気がハンパないんだよね。僕ら部下には「夢にむかって頑張ろう!」なんて1日10回は言ってくるし、なかなか帰らないし。帰らないから、こっちも帰れない。どうしちゃったんだ、部長。「あとは任せた!」なんてムチャぶりして、いつも5時に帰ってた部長。いい加減だった部長。お寿司が好きだった部長。オネエチャンが大好きだった、部長・・・。

このドリンクが発売されてからだよ。ったくガラナとカフェインをおいしく配合しちゃったもんだから・・・。部長、ゼッタイ飲んでる。はぁ、夜は長い。僕も飲まなきゃ。ヤル気ない部長も考えもんだけど、ヤル気ある部長も考えもんだ・・・。ゴクゴク、ゴクッ!!
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充電期間。いい響きである。そして、人気絶頂のミュージシャンは、きまって充電期間に入るよね。「1年間いろんなことを吸収して、パワーアップして戻ってきます!」会社員なら、戻った時に席はない。憧れるなぁ。多忙を極める人生に、ポッカリあいた充電期間。ためしに宣言してみたらどうか?「土日いろんなことを吸収して、パワーアップして戻ってきます!」さほど変化はなさそうである。

ココロとカラダに充電が必要だと感じたら、このドリンクを。長い充電期間はとれなくても、ビタミンb6と電解質がとれます。ヤル気を失いかけたら、すぐにチャージ!日曜の夕方と月曜の朝なんかは、とくにね。
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実は以前から、ペットボトル飲料のラベルに、商品名や商品情報(品名、原材料名、賞味期限、保存方法、販売者など)を印刷するだけでなく、何か別のものを「広告」として印刷できないかと考えていました。もちろん、商品キャンペーンや懸賞の情報、ちょっとした雑学、が印刷されることは今までもありましたが、「思わず手に取ってしまう新しい何か」がラベルに印刷されていてもいいように思います。日本で売り出されたglacéau vitaminwater®を手に取ってラベルのコピーを見たとき「ああ、こういう手法もあったのか。。。」と思いました。

このことを授業で取り上げた際に出たアイデアを以下列挙します。

1  glacéau vitaminwater®のコピーのような、商品をPRしているのだが直接的なコマーシャルメッセージではないエッセイを見本としてまず掲載する。(これはすでに見本がある、とも言える)さらに、一般消費者にもこのような間接的に商品をアピールするエッセイを書いてもらうキャンペーン(懸賞募集)を行い、実際にラベルに印刷する=懸賞募集そのものが広告となり、商品に対する関心やロイヤルティーが高まる=エッセイに応募しようとする人はほぼglacéau vitaminwater®を買うことになる。

2  最近、携帯小説がブームを巻き起こしているが、ペットボトル飲料のラベルになんらかの連載もの(連載小説?)などを連載する。その連載ものにはまって、続きを読みたいがために飲料そのものを買う、という「おまけ効果」ももちろんあるがその連載がなんらかの形でブームを巻き起こし、マスコミに取り上げられればさらによい。広告費のかからないパブリシティー効果が期待でき、飲料の売り上げとの相乗効果が期待できる。

   でも立ち読みをどう防ぐ?=> 
☆立ち読みを容認し、上記のような効果だけを考える。
☆glacéau vitaminwater®のラベルは他のペットボトルの飲料のように半透明ではなく、はがすと裏が白くて「紙状」なのでラベルの裏に印刷するのはどうか。実際は透けて見えてしまうかもしれないのとコストの点が問題。
☆この問題とは別に、ラベルの裏が白いという他の飲料にはない特徴を何かに生かせないだろうか。

 
   ニュースや報道番組の見出し
ペットボトル飲料(glacéau vitaminwater®)のラベルに印刷された連載小説がブーム、新しいトレンドか?!

以下ペットボトルラベル一般について出たアイデア
   
3  アメリカでは行方不明になった子供たちの写真や情報を牛乳パックに印刷し、その
   行方を広く探すことが行われているが、そのような公共の活動に貢献できる種類の情報を掲載する。商品が社会に役立っているという積極的なメッセージを発せられるという利点があるが、話題が必ずしも明るいものとは限らないので、商品イメージとの結びつきを熟考する必要がある。

4  「見える化」の一環として、農産物のパックに「わたしが作りました」というようなメッセージとともに生産者の顔写真が印刷されていることがあるが、この効果は農産物に限ったことではないだろう。飲料を生産した工場で働く人たちの真面目に商品生産に取り組む写真や消費者へのメッセージなどを印刷してはどうか。「この○○ドリンクウォーターはわたしが作りました。そして。。。」のような。そのメッセージ自体が月並みなものではなく何か特徴あるユニークで面白いものに「進化」し、「生協の白石さん」的なブームを起こした場合にはおもしろいし、コマーシャル効果としても興味深い。
○○ドリンクウォーター福島工場の中村さんが今インターネット上でブーム!
ボトルラベルに書かれた彼のメッセージは。。。。のようにマスコミに取り上げられれば一番よい。

5  その飲料を実際に売りだすまでの開発秘話や苦労話を開き直って全部ラベルに書いてしまう。ボツになったアイデアや、重役たちを前にしたプレゼンテーションでの失敗談、開発途中でみんなを感激させた(ドン引きさせた、でもいいと思うが)社員Aのエピソードなど。笑いを誘う(多少ギャグ風の)ある種、品のいい暴露話的な味付けの文章で掲載する。NHKのプロジェクトXパロディー版。
   => これは失敗して悪評が立ったときのリスクが高い?

6  会員カードやポイントカードのような、リピーターとしての特典を得られる仕組みとボトルラベルとを組み合わせる手はないだろうか。ペットボトルをリサイクルする場合も通常ラベルは破って捨ててしまうが、それを捨てずに何枚か集めると何らかの特典が受けられる仕組みを作ればゴミ減量に結びつく?かもしれない。実際、ペットボトルのキャップを集めてワクチンを買う運動が行われているが、ラベルをある程度の数集めると、寄付や寄贈などのなんらかの社会貢献に結びつくような(エビアンのキャンペーンの例)今までにない独自のボトルラベルキャンペーンはどうだろうか。(ラベルがお金になるのかというような実現可能性のチェック必要)
    
    その際のキャッチコピー
   「現地へ行くことはできなくても、今ここで剥がすことはできるでしょう?」
   
   
さて、上記のようなトピックを来年度も続けて授業で扱っていきたいと思います。アイデ
アが浮かんだ人はすぐにゼミのウェブ会議室に投稿してください。お待ちしています!



2010年度 そのこゼミナール募集、面接手順

2009-10-24 11:06:14 | Weblog
履修希望願い提出後、面接を予定しています。そのこゼミナールに履修希望願いを出したら、至急担当教員メールアドレス宛(教務部前の掲示板に掲示してあります。)学生番号、氏名、ゼミ希望、と入れてメールを送ってください。面接スケジュールを返信します。

また何か質問や相談などがありましたら遠慮なくメールを送ってください。

それではみなさまにお会いするのを楽しみにしています。

以下にゼミの内容説明を掲載しておきます。



「ことば」で地球を揺り動かす快感に浸りたいあなた!待ってます!

社会に影響を与えることば力の世界を探検し、
辞書に残るネーミング (実例は以下**)
歴史に残るキャッチコピー
記憶に残るコマーシャルメッセージ
を創造してみませんか

そのこゼミは、人間の経済活動とことばの関係を考えるゼミです。ことばが経済活動にどんな影響を与え、またどんな役割を果たしているのかをいろいろな角度から考えていきます。具体的には------

ネーミング、キャッチコピー、会社名とコーポレートスローガン、その他の種々のコマーシャルメッセージを集めて、それらがどのように作られるのか、そこにはどんな工夫やアイデア、理論が隠されているのか、またどのようなメッセージがより効果的かを学び、いろいろなリサーチをします。なぜインスタント焼そばの名前がUFOなのか。なぜマクドナルドのキャッチコピーが通常では考えられないloveの進行形I’m lovin’ it.なのか、なぜスナック甘栗の名前が「甘栗むいちゃいました」なのか、などをコピーライター目線で観察していきます。

ゼミ活動では、仮想の新製品やアーティスト、マスコットキャラクターなどを想定し、コンセプト分析に基づいてそれらにネーミング、併せてキャッチコピーを作成し、文章によるプロモーション活動や文字コマーシャルなども作り、グループや個人でアイデアを交換したりプレゼンテーションしたりします。その成果を、キャッチコピーやラジオコマーシャル公募(コンテスト)にオリジナル作品を送って力試し。また、そんな活動のヒントを得るために、実際に街をフィールドワークして、いつもはなんとなく眺めているネーミング(例えば看板に書かれた店名)を違った角度から眺め、本や資料だけでなく、自分の五感をフル活用した「ネーミング勘」を養って行きたいと思っています。

そんなネーミングにはかならず「ことば」が使われます。そのこゼミでは人々
が「ぐっと」来て印象に残ることばにはどんな特徴があるのかも追及します。
以下に挙げるような、わたしたちの心や社会を動かすことばにはどんな要素が
あるのかを探り、それを自ら使って「人を動かす」ことば力=自分の考えを効
果的に表現する力を養っていきます。

・ お笑いに隠されたコトバ力の秘密~~おもしろさのからくり
・ 有名人、アーティスト、スポーツ選手、ドラマやアニメの名セリフ
・ 古くからあるジョークに隠されたテクニックの数々や流行語の特徴

例えば。。。。
「おまえはもう死んでいる。」不滅の北斗の拳 ケンシロウの決めゼリフ
「最高でも金、最低でも金」谷亮子選手のオリンピック前のセリフ

好き嫌いはあると思いますが、「おれが絶対勝つ!」「必ず金メダルを取れるようがんばります。」といういい方よりもはるかに強い印象がありますね。このようなことばの使い方に共通する「人をぐっと感激させる」要素とは何でしょう。いっしょに考えてみませんか?

**
Band-aidはご存知 Johnson & Johnson社製の救急絆創膏ですが、英語ではすでに、band-aid =間に合わせの、たいしたことのない(絆創膏を貼ってとりあえずカンタンに治療しておきましょう)という意味で使われており、一部の辞書に載っています。Googleはあまりにも有名。すでにgoogleはGoogleで検索する、サーチエンジンで検索するという動詞として使われ始めています。日本語でも「ググる」って言い始めてますよね。こんな辞書に載るようなネーミング、作ってみませんか。






律儀で規則正しい日本語発音のルール

2009-09-22 09:28:50 | Weblog

日本語の音声の大きな特徴の一つは、もし書いたとしたら、ひらがな一つ一つにあたる音に、原則として文節の中では同じ時間をかけて発音していく、ということです。

「おはようございます」はひらがな9文字でできていますが、もし「お」に0.1秒(実測値ではありません。)かけたとしたら「は」にも0.1秒かけ、「よ」にも0.1秒かけます。「う」は実質長い母音ですが、むやみに伸ばすわけではなくちゃんと0.1秒かけて伸ばし、同じように「ご」にも0.1秒かけ。。。「おはようございます」は0.1秒×9=0.9秒で、ふつうは言い終わるはずです。もちろん人間が口を動かすわけですから、おはようございま~す、と元気を出してみたり、おはよう。。(のところでちょっと息を吸って)ございます、になったりすることはあるとしても、通常の状態、特にまじめにニュース原稿を読むような場合ではまず守られるルールで、言いかえれば、それを守ることが日本語らしく話すコツになります。

もしひらがな一つにかける時間がまわりのひらがなより短かったり逆に長かったりすると、とたんにかなりの「違和感」が生じ、いわゆる「なまっている」という印象を生みだします。「アメリカ」はもとは英語であっても「ア」、「メ」、「リ」、「カ」の4文字にそれぞれ同じ時間をかけてアメリカと言ってこそ日本語らしい発音で、「ァメーリカ」と最初の「ァ」を短めに発音して「メ」に、「リ」や「カ」の倍の時間をかけたとたんに、わあ、なまってる(外国人っぽい、英語っぽい)ということになってしまうのはこのルールの明確な違反だからです。上に挙げた「おはようございます」も「よ」をまずちゃんと言って、そのあとしっかり「よ」と同じ1文字分長く伸ばさないと「おはよございます。」となり、なんとなく外国人風の発音になってしまいますし、「おはよううございます。」とやられてしまうと、お笑い芸人なら間違いなく2個目の「う」のところで前につんのめるか、「そんなところで時間とってどないすんねん!」とツッコミを入れるかのどちらかになるでしょう。(笑)

また、小さい「っ」も適当に済ますことは許されず、しっかりひらがな一つ分待って(間をあけて)リズムをキープしなければなりません。「あさって」のちいさい「っ」の存在を軽んじで、「あさて」と言ったとたんにそれは意味不明な日本語になりますし、「あさっって」とひらがな二つ分待つなんて、やれと言われてもなかなかやれないくらいの掟破りです。

「ァメーリカ」や「おはよございます」なら違和感があってもまだ通じますが、長音と短音、つまりはある音をひらがな一つ分の時間ちゃんと伸ばすか伸ばさないか、は日本語では意味の弁別に関わることが多く、伸ばす伸ばさないでまったく意味が違ってしまう例は非常にたくさんあります。

おばさん VS おばあさん
来て VS 聞いて
入浴 VS ニューヨーク
地図 VS チーズ
星 VS 奉仕
そば VS 相場  その他多数

このひらがな一つ分リズムキープルールは、母国語話者は無意識に守ることができ、そういうルールがあることすら意識しないのが普通ですが、外国の方にとって「普通」のことではない場合場あります。特に、上に述べたような意味の弁別に関わる長音と短音の区別を難しく思っている方は多いように思われますし、カタカナ語も、音がこのルールに従ってしばしば日本語風に直されてしまうので、もとは英語から来たものだとしても、英語を母国語とする人にとって発音しやすいもの、わかりやすいものだとは限りません。

以上、ちょっと律儀で規則正しい日本語音声の特徴についてお話しました。
女心はデリケート。おばさんと呼ばれるかおばあさんと呼ばれるかは女性にとってはスルーできない大きな問題ですし、入浴とニューヨークでは、一回行くときにかかる経費と時間の差はあなたの人生を左右するほどのものになります。電話で別れ話を切り出そうと「聞いて!(あなたとはもう。。。と続けようとして)」と言おうとして「来て!」と言ってしまったら別れようと思っているカレシが速攻あなたの家に来てしまいます。みなさん、お気をつけください。

つづく。。。

新語・流行語の生い立ちと一生 その1

2009-09-04 10:52:29 | Weblog
テレビドラマ Around 40 ~注文の多いオンナたち~ から生まれた「アラフォー」。40歳前後の女性を表すこの「新語」をご存じの方も多いと思います。最近は男女の区別なく用いられているようですが、ここから30歳前後(の女性)を「アラサー」50歳前後(の女性)を「アラフィフ」、そしてなんと60歳前後(の女性)を「アラ還」とまで呼ぶようになりました。ひとつメジャーな新語(アラフォー)ができると、それを核として仲間の新語が広がっていくのはよく見られる傾向で、甲子園で活躍した斎藤祐樹投手にハンカチ王子というニックネームがつくと、現在プロゴルファーの石川遼選手がハニカミ王子、競泳中に水着が脱げかけておしりが半分見えてしまった古賀淳也選手は半ケツ王子になってしまいました。さて、では70歳や80歳の方はなんとお呼びしたらよいのでしょうか。がんばりましゅのお友達のおかあさまは、それに答え、「そりゃアラババやろ!」とおっしゃったとか。。。。。すごいセンス!!!ざぶとん100枚!

さて、日本語、英語に限らず、社会の速い動きと連動してこの世には多くの新語・流行語が日々生み出されています。20年ほど前から始まった新語流行語大賞はよくメディアにも取り上げられますね。(多くの場合、時代の要求にこたえるような形で)新しく作られた語句が「新語」ですが、その「新語」がある程度世の中に広まれば「新語の流行語」になるでしょう。一方、その語句や言い回し自体は前からあるが、それが新しい意味、感覚、手法で使われる、もしくは複数結合した形で世に出るケースは、厳密に言えば新語ではない流行語ということになるでしょうが、結合の仕方や使用法が斬新であれば「新語」と認識される可能性もあり、新語と流行語の区別は、はっきりさせるのが難しいことがあります。

(1)の例 がめつい、スモッグ、ブログ、インターネット
(2)の例 想定内、究極の、自己責任、地球にやさしい

さらに新語・流行語は、①その場では流行するが(使用されるが)比較的短い時間で廃れてしまうもの、②ある程度の時間使用されるが時間が経つと古い感じがしてきて、聞けばわかるが積極的に自分から使おうとは思わないもの、または広く使われているが俗語感または少しふざけた感じは消えないもの=今後長く生き残るかどうかが不確定 ③ことばとしてある程度の市民権を得て語彙として定着し、広く社会で用いられるようになるもの。最後には辞書に掲載される。=今後も生き残る可能性が高い に分けられるでしょう。ただし3つの区別に何か厳密な定義付けがあるわけではなく目安という位置づけですし、ある新語・流行語が①②③どれに含まれるかの判断は個人による感じ方の違いもあります。たとえば、「ナウい」は年齢が高い人なら②と感じるかもしれませんが、若い年代の人には①に思えるか、まったく知らない語と判断されるかもしれません。

①の例  アッシーくん ゴーマニズム なんでだろう ファジイ 濡れ落ち葉
     そんなの関係ねえ!
②の例  5時から男 ちょいワルおやじ 負け犬 リベンジ アラフォー
③の例  がめつい、スモッグ、ブログ、クールビズ 援助交際 地球にやさしい
     バブル経済 猛暑日 自己責任

最近は自分のギャグだけでなくキャリアも①になることを恐れて、新語流行語大賞にノミネートされるのをいやがるお笑い芸人も多いとか。また③が熟成してくると、もはやそれが新語であるという意識が薄れてきて多くの人がごく当たり前に使うようになります。もし新語・流行語にオリンピックのメダルのようなものがあるとすれば、自分が作った新語・流行語が③の領域に達すれば金メダル、大きな名誉ということになるのではないでしょうか。実はがんばりましゅのひそかな夢は死ぬまでに③を一つ作って国語辞典に載せることなのですが、その夢はかないそうにありません。。。。

どちらかと言うと英語は(1)の造語力が日本語より強いように思います。わたしが最近魅かれたのはglocal という新語。global つまり地球規模であると同時にlocal 個々の地域、地方を尊重する形で物事を進めたり考えたりすること。将来どの程度生き残るかはわかりませんが、これからの社会では政治的にも経済的にも大切な考え方なのではないかと思い、けっこう気に入っています。

ことばのあいまい性と認識のはざま ~~ その可能性を探る その5

2009-09-02 10:35:02 | Weblog
今回は前回の記事に続き、文や語のあいまい性を使ったキャッチコピーを取り上げます。
手帳の高橋に似た形式にシャープのキャッチコピーがあります。

「目のつけどころがシャープでしょ」
シャープ

「シャープ」にはこのキャッチコピーでコマーシャルをしている会社の名称「シャープ」と英語のsharpからきた「シャープ」=鋭い、という二つの意味があります。どちらの意味に取るかによって文の意味が変わってくるのですが、これはどちらの意味に取らせるというより、見た人が、以下に述べるどちらの意味に取ってもキャッチコピーとして成立してしまうところにその特徴があります。シャープという社名を上手に用いたコピーですね。

① 目のつけどころがさすがにシャープという会社だけあっていいでしょう?
② 目のつけどころが(シャープという会社だけあってさすがに)鋭いでしょう?

次は文字通りの意味と慣用句としての意味を用いた例です。

「モノを言う新聞です。」
産経新聞

「ものを言う」には以下の二つの意味があると考えられます。
1 何か、特にある程度、内容や主張のあることをしっかり発言する。
2 手段や技量として効果が高いこと  例、金がものを言う

産経新聞は新聞社として、記事が上記1であることは言うまでもなく大切で、しっかりとした内容と主張のある記事を書いていますよ、というメッセージを発信しています。それと同時に、産経新聞の記事を読んでいれば、それが何か有効な手段として役に立つ、「産経新聞は読んでいるとあなたの仕事などでものを言いますよ」という意味にも解釈できます。
併せて、普通は使わない「モノ」というカタカナを使うことにより、その部分に消費者の目を引きつけています。

次の例は、暗黙の了解でわかっていることはいちいち言わない、という日本語の特徴から来るあいまい性を使っています。

「選択を間違えた。問題の答えじゃなくて先生のことだよ。」
家庭教師のトライ

このキャッチコピーの最初の部分、「選択を間違えた」は何の選択をまちがったか、の部分が省略されているのであいまいです。
「(問題の選択肢の)選択を間違えた」
「(家庭教師の先生の)選択を間違えた」
日本語では、特に話し手と聞き手がわかっている部分を省略する傾向が強いので、「選択を間違えた」のような「何の」が表出しない文はよく使われますね。このキャッチコピーを読み始めた人はおそらく「何の選択なのかな。。。」とちょっと戸惑うか、もし家庭教師のトライのキャッチコピーだと知りながらそれを読んだとしたら(おそらくその可能性が高いですが)「テストの選択肢のことかなあ」などと思うでしょう。そんな戸惑いや予想が生じることは承知の上で、ここではそのあいまい性をそのままにせず、説明を後ろに付けてある種の「落とし」を作っています。「家庭教師に関することだから、「選択を間違えた」と言ったらテストの選択肢のことを思うでしょう、でも違います!先生の選択なんです!」というようなメッセージです。キャッチコピーの最初を読み始めた時点で「先生の選択を間違えた」と解釈する人はごく少数のはずですから、ああ、そういうことか、という予想外の展開が用意される仕掛けです。


清掃局の以下のキャッチコピーも、上記のようなわかっている部分は省略する、という日本語の特徴と、私たちの常識から推測される意味をひっくり返すという同じ種類のテクニックが用いられています
「別れる時には、お金がいります」
これを見た多くの人は、この文を「付き合った女性と別れる時に手切れ金を払うことがある=男との女の修羅場」のようなものを連想し、文意を解釈すると考えられます。内容がきわどいので、こんな内容のものがポスターになっていたらちょっと目を引きます。
ところが、実際は「(長年)使用してきた大きなもの=粗大ゴミを捨てる=別れる時には処分料としてのお金が必要」という意味で、え!?と思って見始めた人が、な~~んだ、と思う「落とし」が仕掛けられています。文のあいまい性を利用して「え?!。。な~~んだ」という展開を作っていますね。

次は文全体や語の省略というよりも、「夢」という語の多義性から文の意味がいくつかに取れる、という例です。

「男はいつだって、目を見開いたまま夢を見ている」
サントリー

以前このブログでも取り上げましたが、「夢」には以下の二つの意味があります。
①寝ている間に脳の働きによって見る映像
②将来実現したいと思っている願望、希望

もし上記のキャッチコピーを①と解釈すると、かなり恐ろしいことになります。寝ているのに目は開いていて。。。しかも夢を見ているということになりますから夜中に「男」を見たら「何かの発作か?」とちょっとぞっとするかも。。。キャッチコピー的には可能性の低い解釈ですね。ならば、男は目を見開いて起きているときもいつも夢を見ているような、ちょっと現実から離れたロマンチスト状態だ、という比喩的解釈はどうでしょうか。もう一つの解釈は、②の意味を重視して、男はいつも目を開けて(=必死にがんばって)夢を実現しようとしている、というもの。みなさんにもいろいろな解釈があるかもしれません。このキャッチコピーは「男とお酒」という昔から何かと語られるテーマのもと、見た人がそのあいまい性をどう取ってもかまわない、言い換えれば読んだ人に解釈をある程度任せてしまっている形ではないかと考えられます。ただ、読んだ人がどう解釈したとしても「目を見開いたまま夢を見る」という奇妙さは失われないまま、キャッチコピーの印象的な効果として残るのではないでしょうか。


「満員でも、新聞をバーンとお広げください。」
コンティネンタル航空

このキャッチコピーは、何が満員なのかということが表出していないため、その部分があいまいで、上述の「選択を間違えた」と共通したところがあります。キーポイントは電車の満員と飛行機の満員の違いと両者のなじみ深さ。ご存じのように「満員」の電車は多くの人が立っているすし詰め状態でひどい時には身動きすらできません。それに対し飛行機は「満員」でも全員がある程度のスペースにちゃんとすわっています。さらに、ほとんどの人にとって満員の電車は、自分が経験しているかどうかは別としてなじみ深いものですが、満員の飛行機、というか飛行機に日常的に乗る人はそう多くはありませんね。それゆえ、「満員」と聞いたときに私たちが連想するのはおそらくは前者の状態でしょう。「満員」は満員電車のような満員だと多くの人がごく自然に思い込みます。この「思い込み」が大切なトリックになります。飛行機で使われる「満席」ではなく「満員」をわざと使っていることもトリックを補強しています。

「満員でも、新聞をバーンとお広げください。」
え!?そ。。そんな。。。満員電車の中で新聞をバーンと広げるなんてそんな迷惑な。。。。ところが気がつけばそれは飛行機の満員。な~~んだ、飛行機なら満員でも新聞を広げるぐらいはできる。。。。かも?いや、やっぱりそれでも迷惑だろう。。。。ん? 広げられるぐらいコンティネンタル航空のシートは広いのか。。。。という展開を仕組んだコピーですね。

さてみなさん、以下のキャッチコピー、どういうあいまい性の仕掛けが施されていると思いますか? これは2年生3年生ゼミナール生へのプチ宿題となります。あいまい性と仕掛けの説明を手持ちのルーズリーフなどに書いて(ワープロ打ちでもOK)2年生は10月1日木曜日5時間目の秋学期第1回のゼミで提出してください。2年生のみなさん!秋学期のゼミは毎週木曜日の5時間目、繰り返します5時間目!なので間違えないで来てください。3年生は9月30日水曜日5時間目の第1回ゼミで提出してください。

「ある日突然うまくはなれない」
缶コーヒー Fire