それなりタイムス

高橋家の日常を、ファミリーがそれぞれの視点で綴った家族新聞。

サマーフェスティバルの打ち上げ会

2012年08月19日 23時08分50秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦
古川プロデューサーの手落ち(横沢バンドメンバーの参加申し込みの電話の際、酔っぱらっていたらしく認識していなかった)で一時ばたばたしましたが、なんと20名を超す顔ぶれでの打ち上げ会となりました。これも古川さんの人脈のなせる技。

私は次男が明日20日がテストなので短時間しか参加していないのですが、とりあえず、全員がスピーチしてくれた内容は聞くことができたのでそれについてメモしておきます。

カメラマンの範さん、ファインダー越しに出演者を撮りながら

「何でここに俺がいないんだー、うらやましい!」と思ったとのこと。
ぜひ、伝国座の12月、3月公演と、1月の福祉演劇での主役で思いを実現させてください。


大阪のおばちゃん、西川さん、今回は裏方でした。

「どうせなら観てもらう側がいいな」
10月のチェーホフ、「創立記念祭」がんばろうね。

高橋よっちゃん、駐車場係。
本当に本当にありがとうございました!

ブリシャのボーカル、ローズ(河合)さん、

「私の親戚が来てくれたんだけど「子別れ」観て泣いた、って言ってましたよ」

超うれしい!


古川史子さん

「伝国座は全然違うよ」(いい意味で)

やっぱ、超うれしい!





あと、ここからは横沢バンドの話題をざっくりと。(お名前わからないんで)

お孫さんと一緒に参加してくれたドラム担当のおじさん、でも若い。福島からの避難者。

「浪江やきそばさんが会場にいたのでうるっときました。私はそこから20キロの原町なんです。避難先で横沢さんというサックス奏者の存在を知り教室に入りました。福島でドラムやってたので今回ドラム担当しました。」

浪江やきそば、バンドメンバーで食べてくださってありがとうございました!



教室のお一人。

「今年の1月から習い始めました。正直、3曲は厳しかったけど、1曲目と3曲目の半分は演奏に参加できました。」


実は、演奏を聴いた限りではこんな生徒さんが吹いてるとは思えませんでした。
でもこの生徒さんたちは、今回のイベントがあったことで貴重な発表の機会を得ることができ、しかもいろんな年代、ジャンルの人と交流でき、落語も楽しめて本当にいい一日だった、と感想をお話してくださったのです。




これは、来年もアリだな、と直感しました。


古川さんも古川夫人もそういう顔をしていました。

途中では

「うまくいくかな」
「つめこみすぎでは?」と疑心暗鬼でしたが、いざ本番を終えてみると

「本当にやってよかった!」と実感できるイベントだったのです。



うれしかったのは横沢バンドのみんなが第2部も参加してくれて

「落語もいいもんだねー」と思ってくれたこと、そして会場を埋めてくれたこと。

それは置農の部員たち、伝国座の仲間たちにも言えること。



二日間、本当に忙しかったけど、大変だったけど


ハッピー!な気分になれたサマーフェスティバルでした。


(明日は早番だぜー。五時起きで書類作成の仕事待ってるぜー)

サマーフェスティバルの本番

2012年08月19日 22時09分56秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦


くららの第1会場の受付風景です。

こういうところが古川プロデューサーのすごいところです。
駐車場係をはじめ、受付スタッフなどもちゃんと配置できる人脈、すばらしいと思います。



その古川さん、第1部はとても観客が少ないだろうと言っていましたが、これは開演の数分前、まずまずの入りです。

古川さんと金太郎師匠によるオープニング、司会進行役のマチャアキさんへのバトンタッチがあって、いよいよブリシャの登場。



なかなかパワフルなステージです。
ここまで会場の上手側を埋めていた伝国座のメンバーが客席を離れ、一時側に空席が目立ちましたが徐々に新しい観客も入り格好がついてきました。


大変残念なことに、私のiPhoneで撮影したのはここまで。おそらく今思うと音響の心配もあっていっぱいいっぱいだったんでしょうね。

横沢バンド、と言っても、プロのサックス奏者の横沢さんのサックス教室の生徒さん、6人と山形大学工学部のジャズ研メンバーによるバックスという構成なのですが、そうとは思えない、迫力のあるすばらしい演奏でした。

3番手はマチャアキさん率いるヒップホップグループのパフォーマンス。子どもたちも大人も元気いっぱいのダンスを披露してくれました。
リーダーのマチャアキのダンスもキレキレで年齢を感じさせず、ご自身が作詞作曲されたという東日本大震災後の思いを歌にした「ふるさと」の独唱もなかなかでした。

4番手の置農の発表は私自身の伝国座の発表の前ということで充分には観ることができませんでしたが、なじみの演歌(CD)に合わせて踊るというシンプルなステージではありますが、置農のすごいところはこの演歌ショーはレパートリーの一部であってほかに食育ミュージカルなど1年間に4演目を同時進行させている高校生たちだということ。多少の粗こそありますが、彼らの全体的パフォーマンスの高さをおおいに評価したいと思います。

さて、第1部のトリは伝国座です。

今回はステージが広いこともあり30人体制でのミニミュージカル「忘れないで生きよう」です。

観客として観てくれていた私の実の妹の評によれば

伝国座はレベルがあがったね

ということなので、良かったんでしょう。

3期生といってこの春から加わった新しいメンバーも多かった中、よくがんばったと思います。
劇団四季の元の指導者である梶賀先生が教えてくれているのですから、当然と言えば当然かもしれませんが。

私としては伝国座の魅力は「基礎」をしっかり学んでいるという点です。形になるまで時間はかかりますが、それなりにしっかりしたものになるんだなーと感じました。
同時に、10分あまりというコンパクトさでありながらトントントンと歌や踊りでストーリーを運ぶ見事さ、出から掃けまできちんと決まった動作で表現される厳密さが観客にとっては心地良いのではないでしょうか。



そして第2部。

ジュニア落語の全国チャンピオン、川遊亭ケンボウの落語、見事でした。

そしたらここで会場がざわざわ。なんと、置農の部員たちが観にきてくれたので会場を拡張しなければならなくなったのです。
伝国座の仲間も10人程度、やってきてくれました。ありがとう!



プロの金太郎師匠の一席ももちろんおもしろかったです。



さて、問題の「子別れ」。キャスト陣、トチらないか心配。


冒頭の語りを落語風にやってくれた春川さんのつかみは大成功!

そして私演ずる主人公の熊五郎と勇介くん演ずる番頭さんの絡み、ここは後で金太郎師匠が「あそこは一番のだれ場だが良かったぞ」と言ってくれたから良かったんでしょう。でも「だれ場」って何だ?

んで、熊五郎と息子の金坊との絡み。
金坊の台詞で落語では定番の笑いがとれて一安心。いいお客さんたちだなー。
でも正直、一カ所だけど頭が真っ白になって次の台詞が浮かばなくなって小声で次男に
「何だっけ?」と言っちゃう場面があったんだけどすぐに思い出して、でも「おっ母さんは・・」というところを「おとっつあんは・・・」と発してしまい、思わす「間違った!」とも発してやり直し。でもお客さんは無反応。あまりにも自然に「間違った!」と言ったのを台詞と思ってくれたのかな。

ここではリアルな親子のやりとりがあるのですが、

後で私の妹が
「二人とも本当に泣いていたんじゃないの?」
と評していましたから良かったんでしょう。



問題の金坊とおっ母さんとの絡みもなんとかうまく行きました。

最後の鰻屋も、古川さん番頭が登場するだけで大受け。いいお客さんだなー、その2。



人情話としての盛り上がりといきなりの落ち。これもまずまずうまくいったかな。



いったん「子別れ」を終了し、予定以上に早く進んでしまったということで金太郎師匠が再び登場。観客も大喜び。

おまけの一席が加わり、それで予定の午後4時にばっちり終了、大成功!

キャスト全員でお客さんの見送りをしましたが、みなさん、本当にいいお顔でお帰りになりました。

一部、心ない客(妹)がいて

「息子がもう親を超えてるね」などどほざいていたが。


やりきったー!感で後片付け。

あとはお楽しみの「打ち上げ会」です。


置賜芸能芸術文化祭(サマーフェスティバル)当日リハ。

2012年08月19日 21時11分08秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦
このイベントの発案者は古川プロデューサー。

彼の情熱と人脈は本当にすごいと思う。古川孝という人がいなければ実現しないイベントだったことは間違いない。
置賜三市五町のあちこちから活躍している文化活動団体を結集させ、一日のうちでそれらの発表を行おうという大胆企画で、公的な助成金まで取り付けた。

第1部、第1会場ではポップスバンド「ブリリアントシャイン」(以下ブリシャ)、サックス奏者横沢さんのバンド、加藤マチャアキグループのダンスパフォーマンス、置賜農業高校演劇部(以下置農)の演歌ショー、そして伝国座という5つの演目。
第2部、第2会場では、ジュニア落語の全国チャンピオン、川遊亭ケンボウの落語、小国町出身のプロの落語家山遊亭金太郎師匠の落語、そして川西町演劇研究会による落語芝居という3つの演目。これを正午から午後4時までの4時間で発表するというもの。

古川プロデューサーはすべての出演グループと人脈がありこの企画をまとめあげた。

実は第2部の企画と同様のイベントは一昨年、昨年とやっており、今年は三年目なのだが、第1部を設定して置賜全体から出演グループを集結させることに意義を吹かして公的な支援を取り付けようと画策、見事その思惑を実現させた。

落語芝居に関して言うと、1年目は「柴浜」でこの時は私は関わっていなかったので間接的情報だが、あまり出来は良くなかったらしい。
2年目の昨年、古川さんと春以来関わりが始まった私に白羽の矢があたり、「文七元結」(ぶんしちもっとい)の主役をやらされた。まあまあの出来だった。
そして3年目の今回は「子別れ・下」でまた私が主役で次男が息子役。つまり、実の親子での共演ということになった。

普通ならこれだけでも大変な取り組みだが、今回は第1部があり、伝国座でも親子で出演、さらに音響も担当することになって昨年とはがらりと仕事量が変化した。


午前9時からスタートの正午までの3時間が一つの勝負だった。

これまでの打ち合わせではブリシャと横沢バンドだけがリハをすれば良かったのに、数日前から伝国座のリハも割こむことになり予定が大幅に狂った。
楽器のセッティング、音合わせがあるグループと広いステージスペースを使う伝国座、置農、マチャアキグループとは全くの別ものであり、セッティングのし直しは大変なので本番の順番を考え横沢バンドとブリシャをリハ後半にして置農、伝国座を前半にしようとしたのだが・・・。

早々と楽器のセッティングをしたいブリシャ、横沢グループからクレームが。
「当初の打ち合わせとは話が違う、これでは間に合わない!」と。

古川プロデューサーからは電話でリハ順番については打ち合わせ済み、と聞いていたが齟齬があったようだ。

置農の音響スタッフに操作などを移し、落語芝居のリハに入ることができると踏んでいた私にとってはとんだ誤算で現場にいない訳にはいかなくなった。

伝国座の10時からのリハの前の時間を全部置農に使用してもらっていい、と指示をしていたもののこれを大幅に短縮することをお願いし、横沢グループ、ブリシャをやってその後、伝国座という順番に急遽変更。



それにしても置農のスタッフにミキサーに張り付いてもらえてのは助かった。今回は、私自身があちこちを行ったり来たりすることが大前提だった訳なのである程度も持ち場として自覚してもらえるスタッフが配置されたことは本当によかった。高校生だけではなく、顧問の先生にも側にいてもらえたし・・・。本当に感謝です。

おかげさまでなんとか音合わせも終わり、伝国座のリハには私もなんとか参加でき、あとは落語芝居のリハだけです。

なんと、第1会場では、当初リハはしないと聞いていたマチャアキグループもやることになったらしく事前の打ち合わせとは大きくいろんなことが変化しましたが、置農のスタッフがいてくれるので私は落語芝居のリハに。

第1部スタートの45分前の午前11時15分、ようやく落語芝居の最終リハ開始。しかも鰻屋の番頭さん役の古川さんは不在で代役という形で。



そんなこんなで、当日の午前のリハーサルタイムは大忙しでした。ちなみに



これは、B級グルメで有名な浪江やきそばの移動販売車ですが、6月の太鼓イベント「米沢響」で知り合った店主の高橋さんに私が出店を依頼したもの。
会場にやってきたお客さんにぜひ復興支援を含めて食べていただきたいということで出店していただきました。

落語芝居のリハ終了から第1部スタートまでの10分を使って、浪江やきそばをかき込み、つかの間の食事をとりいよいよ本番へ。








サマーフェスティバルの前日仕込

2012年08月18日 19時48分05秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦
 8月19日日曜日は「置賜芸能芸術文化祭」、別称サマーフェスティバルの開催日。

父と次男は「伝国座」のミニミュージカルと落語芝居「子別れ」の2演目に出演します。
おまけに、父は第一会場の音響担当も担うため、かなりタイトな一日になります。

この日を乗り切るためには18日土曜日の前日仕込がかなり重要です。

実は、父と次男が親子役、落語の主役的役割を担う「子別れ」ですがかなり稽古不足で親子の絡みもそうですが、息子、金坊とおっ母さんの絡みもかなり不安要素があって、この前日の稽古は超重要だったのです。

次男はこの日、午後4時から、高校のクラスの打ち上げ会があるからそれに間に合えば良いと前日まで言っていたので、3時すぎまでは稽古ができると踏んでいたら、当日の朝になって

「確認したら午後4時じゃなくて午前11時30分からだった・・・」

などととんでもないことをぬかす。

という訳で、金坊とおとっつあん、金坊とおっ母さんの絡みは部分稽古で午前中に集中的にやらなければならない。
本来は通し稽古をやらなければならないのに、前日にも関わらず通しの完成度を高める稽古ができない。

その貴重な時間だが、おっ母さん役の木村さんは小国町からやってくる事情、お父さんの具合が良くないという事情もあってか朝一からの稽古に間に合わない。

ますはおとっつあんとの絡みを先にやり、木村さん到着を待ち、おっ母さんとの絡みに。

そうこうしているうちに、11時半はどんどん迫り、やがてすぎてしまっているがおっ母さんとの絡みがなかなかうまくいかず簡単には切り上げられず。

11時45分頃、ようやく車に乗り込み私と次男は一路米沢へ。これから「スタミナ太郎」まで自転車で向かって参加したところで食べ放題の時間がどんだけあるのか、という感じだ。


夕方聞いたら、その時間は10分程度だったという。わざわざ帰ってくることもなかったのでは、とつい思ってしまう。


私はというと午後1時に音響装置と照明装置を持って置賜農業高校演劇部(以下、置農)がやってくるということなので、次男を降ろすとすぐにまた、会場の「蔵楽」(くらら、以下くらら)に戻る。

今回の音響は、置農のアンプ、スピーカーと私のミキサー、マイク、シールド、スタンド、マルチケーブルを組み合わせてシステムを作るので、約束の時刻に現場にいなければ先方に申し訳ない。そう考えて急いで会場に入り仕込に入る。その時すでにロビーには置脳の機材はおかれていて、あたかもこの後、作業に多くの部員がやってくるのかと思われた。

落語芝居のメンバーは第2会場である和室の舞台設定、私はホールの音響の仕込を一人で。そのうち置農の部員たちがどやどやとやってくるだろうからそこで一気に差魚うは進む、と踏んでいたのだがいつまでたっても彼らはやってこない。

もしかして、打ち合わせの時の内容の記憶違いだったのかな。
沖郷中学校で午前中食育ミュージカルをやって、学校への帰路の途中くららに機材をおろし、その後、また作業にやってくる、と私は思っていたが、作業は当日午前ということだったのかな?

しょうがないので、置農の音響資材を運び入れ組み立てケーブルをつなぎ、私の機材とドッキングさせてとりあえず音出しにこぎつける。
その後、たった一人で観客席のセッティング。古川プロデューサーの読みでは第1会場の観客はとても少ないだろう、ということだったので隙間を広めに、少人数でも会場を埋める感じになるよう、ゆったりめの配置。



改めて、いるメンバーで「子別れ」やっておこう、ということで第2会場で稽古。
木村さん、まだ安定しない。大丈夫か。不安要素を抱えながらも午後6時すぎ、いったん前日仕込を終了。

果たして、明日はお客さんが来てくれるのか、「子別れ」はうまくいくのか・・・。音響でトラブルは起きないか・・・。
いろいろ心配ごとを抱えながら「本当にあった怖い話」を観ながら(余裕かまして)入眠。