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遊於華胥国

カショノクニニアソブ

「さかしらにわずかな不幸を見せびらかすな!」
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Memorial 2015~人類補完計画とは(1)~

2005-11-17 01:46:32 | 新世紀エヴァンゲリオン
こちらでエヴァ最大の謎、

「人類補完計画とは何であったか」

を片付けてしまってから、劇場版の各演出に対するコメントを付していこうと思います。


さて、「人類補完計画」の実行の手段としてのサードインパクトですが、何がややこしいかというと、まず主要なアクターとして、ゼーレとゲンドウという互いに意図するところの異なる2つの存在があること。さらにそれに加えて、レイとミサトがそれぞれ両者の意図を妨げる行動に出ていること、があげられます。

したがって本稿では、まずゼーレ、そしてゲンドウが目指した、両者にとってのあるべき人類補完計画の姿を確認すると同時に、レイとミサトの行動がそれぞれにどのように影響し、結果いかなる現象が起こったのか、を整理していこうと思います。


0.前提としての聖書

その前に。
自分はこのMemorial 2015シリーズを、出来るだけ本編中で提供される情報のみで解いていこうという趣旨で進めていたのですが、劇場版になるとさすがにNeon Genesisと銘打っているだけあって、創世記(Genesis)の知識が必要なようですので、そちらをごく大雑把にまとめます。


神は最初の人間、アダムとエヴァを死を知らぬ「完全」なものとして創造した際、彼らにただ一つだけ条件を与える。それはエデンの園の真中にある「善悪の知識の木」の実だけは食べてはならないというもの。それを食べるとヒトは死ぬようになる、と神は云う。

しかし、それを食べても決して死ぬようなことはないという蛇(悪魔)の言葉にそそのかされ、アダムとエヴァはその実を食べる。

善悪を知るようになったヒトはしかし、園にある「命の木」になる実を手にする事で、再び永遠性を取り戻し、神に等しき存在になることが出来る。それを防ぐために神は二人を園から追い出し、「命の木」の前にケルブ(天使)を置き、ヒトがそれから食べることのないようにする。

ヒトが神に逆らった罪(原罪)を贖うには、アダムの失った「完全」性を持つヒトが犠牲になる必要がある。しかし、ヒトはすべて始祖たるアダムから原罪の結果としての「不完全」性を受け継いでいるので、自らの手で贖罪を行うことは出来ない。

それでもヒトに罪を贖う機会を与えたかった神は「完全」な人間として、自分の子(イエス・キリスト)を地上に送る。イエスは人類を代表して死に、イエスに信仰を抱くものの罪が、「約束の時」に贖われ永遠性を獲得する道を開いた。


というのが「原罪」をめぐる聖書の一大スペクタクルです。もちろん、全く異なった解釈をとられる方も多いでしょうし、不敬なほどに大雑把ですが、大筋としてはこんなところだと思います。


さて、この話をエヴァにあてはめますと、おそらく「知恵の実」は「科学」、「生命の実」は「S2機関」、そしてヒトを「命の木」すなわち「生命の樹」から遠ざける「天使」の役割を「使徒」が果たしているものと思われます。あるいはヒトの生れた「エデンの園」は「黒き月」に象徴されるでしょうか。


以上を前提として話を進めます。


1.人類補完計画、ゼーレ案

とりあえず、人類補完計画に関するゼーレの主だったコメントを列挙します。


「エヴァシリーズがまだそろっていない」のに
「ロンギヌスの槍を使用した」責任を碇に問うゼーレ(23話)

「エヴァシリーズ」の「完成を急がせろ」
「約束の日は、その日となる」(23話)

ゼーレ「だが、我らの希望は具象化されている」
   「それは偽りの継承者である我らが人類、
    その始祖たるリリス」
   「そして正当な継承者たる失われた白き月よりの使徒、
    その始祖たるアダム」
   「そのサルベージされた魂は君のなかにしかない」
   「だが再生された肉体はすでに碇の中にある」(24話)

ゼーレ「ヒトは愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す」
   「自ら贖罪を行わねば、ヒトは変わらぬ」
   「アダムや使徒の力は借りぬ」
   「我々の手で未来へと変わるしかない」
   「初号機による遂行を願うぞ」(24話)

ゼーレ「約束のときが来た。
    ロンギヌスの槍を失った今、リリスによる補完は出来ぬ。
    唯一、リリスの分身たる、エヴァ初号機による遂行を願うぞ」
碇  「ゼーレのシナリオとは違いますが?」(中略)
ゼーレ「これは通過儀礼なのだ。閉塞した人類が再生するための」
   「滅びの宿命は新生の喜びでもある」
   「神もヒトも全ての生命が死をもってやがて一つになるために」(25話)

ゼーレ「ついに我らの願いが始まる」
   「ロンギヌスの槍もオリジナルがその手に還った」
   「いささか数が足りぬがやむをえまい」
   「エヴァシリーズを本来の姿に。我々人類に福音をもたらす、真の姿に」
   「等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に」
   「それは、魂の安らぎでもある」
   「では、儀式を始めよう」(26話)

ゼーレ「エヴァ初号機に聖痕が刻まれた」
   「今こそ中心の木の復活を」
   「我らが僕、エヴァシリーズは皆、この時のために」(26話)

キール「始まりと終わりは同じところにある。
    よい、すべてはこれでよい」(26話)

ゼーレは、

碇ユイという「知恵の実」とS2機関という「生命の実」を手に入れ
「神」に等しき存在となった「リリスの分身」たる「エヴァ初号機」を中心に
エヴァシリーズによるアンチATフィールドの共鳴、増幅により
「黒き月」である「リリスの卵」を呼び出し、
ヒトのATフィールドを解放させることにより
「滅び」による「贖罪」を果たした上で
ヒトの魂を「リリスの卵」に集め
「生命の樹」の力をもって種としての新生を目指した。

というところでしょうか。

「儀式」的な意味合いが強くなっているので、理屈だけでは割り切れず分りにくいですが。

「アダムや使徒による贖罪」も可能であった、という点が注目でしょうか。

「魂」を欠いた「アダム」、「白き月」、そして儀式のメンバー(あるいはアンチATフィールドの増幅器)としてのエヴァシリーズと「ロンギヌスの槍」を用いての「贖罪」も可能であったのかもしれず、そのためにゼーレは「アダム計画」を遂行し「アダム」の復活を目指したのかもしれませんが、おそらくセカンドインパクトの際に「白き月」が「失われた」すなわち、新たな生命体の誕生や消滅を起こす「ガフの部屋」としての機能を失ってしまったために断念したものと思われます。

また「使徒」による「贖罪」というのは、ヒトが「エヴァ」を造り永遠性を手に入れようとした際に、それを防ぐために現れた「天使」である「使徒」により滅ぼされること、かもしれませんが、その際には、ヒトは当然「生命の樹」の前に辿り着くことは出来ないので、滅びっぱなしで「新生」は出来ない、ということになるかもしれません。

ただし「使徒」にあたえられた「人類の別の可能性」という本作独自の立場や、「アダムより生れしものはアダムに還らねばならないのか」という最後の「使徒」の台詞を考えると、「使徒」の侵攻には、もう一つの目的があるように感じますが、それについてはもう少し考えてみます。

「だから人間って特別な生き物なのかな。
 だから使徒は攻めてくるのかな」(11話)


ただし、ゼーレはもともとは「リリスの分身」である「エヴァ初号機」ではなく、「魂」なき「リリス」と「ロンギヌスの槍」を用いての「補完」を意図していたようです。

ここからは推測に過ぎませんが、おそらくは、「生命体の源」という「神」に近い立場にありながら「魂」なき「リリス」に、集合体としてのヒトの「魂」の詰まった「リリスの卵」を還元することで新たな存在となる、というシナリオなのかもしれません。儀式的に必要と思われる「槍」については、「始祖」たる「リリス」に対してはオリジナルが必要だが、「分身」である「初号機」ならばコピーでも十分である、という判断でしょうか。

いずれにせよ、結果的には、まずオリジナルの「槍」が失われた事で「リリス」による「補完」を諦めたにもかかわらず、土壇場でオリジナルの「槍」が戻ってきてしまったり、零号機の自爆等で本来は12体必要なはずのエヴァが少し足りなかったり、ミサト(とあるいはユイ)の意思で「エヴァ初号機」にシンジが乗っており、さらに要らない「リリス」には「魂」が戻っており、あまつさえシンジに「希望なのよ…」と語りかけたり、と想定外の珍事に見舞われるゼーレ。

ゼーレという宗教結社は、幾ら大きな権力や財力を持とうが、実際のところは現実に絶望したジジイの寄合ですから、様々な想定外の事象に対して受身になっていますが、それでも一旦はすべてのヒトの魂を一箇所に集めるところまではいき「これでよい」と成功を確信します。しかし最終的には、実際に命を賭けた行動に出たミサトの冥土の土産であるシンジと、自らの意思を見極めたレイにより、計画は破綻を迎えることになります。


ゼーレの議長であるキールの体はほぼ全てが機械であることが明かされます。「知恵の実」の結晶である自らの「身体」を捨てて生きたいというキール自身の「補完計画」に対する思い入れを示すものでしょうか。

次回はゲンドウの意図する補完計画についてです。
ふう、頭が疲れる。

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