前回の記事の続きです。
その前に。。
中山先生の国会での質疑、すばらしかったですね。
この日は教育問題に関する質疑の日でしたが、
中山先生の前に枝野が40分も経済問題をブチブチ攻めてました。
安倍総理もお怒りでした。
民主党議員の質疑を全部チェックしているわけではありませんが、
私の知る限りではまともな質疑をした人は殆どいませんね。
野党の中でも一番品が無いのも民主です。
**********
さてさて、続きです。
前回の記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/snowgoose_2005/e/c2654fed2415db1d1b04e2220a71bb13
おばあさんの家に案内されると、
中から白いチマチョゴリを着た上品なおばあさんが出てきました。
「ようこそいらっしゃいませ。ゆっくりしていってください」 と
日本語で挨拶されました。
Kさんの父親は政府の役人で
日本人と一緒に働いていたそうです。
収入もかなりあったと思われます。
特に子供(男子)は日本の大学で教育を受けさせていました。
その後、母は女学校を卒業すると
父親の仕事の関係で満州へと移り、Kさんとも疎遠になってしまったそうです。
終戦後、Kさん一家はどうなったのでしょうか。。。
風の便りで朝鮮戦争後、南鮮へ逃げて行ったようです。
もしKさんが生きていれば母と同じ85歳
親日罪という法律のある韓国で、
かつて父親が政府の役人であった事、
そして自分も日本人の女学校に通っていた事。。。
日本人と関わっていた事。。。。
それはKさんにとっては絶対に知られたくない「封印された過去」になったのでしょうね。
「Kさんが生きていれば会いたいねぇ。。。」
「でも、迷惑だろうね。。。」 と寂しそうに母がつぶやいていました。
戦後、益々エスカレートする反日教育のせいで、
どんどんとおかしな方向に進んでいった南北朝鮮
しかし、日本が朝鮮を統治していた時代は、
母の話からも判るように、本当に朝鮮人にとって悪い事だったとは思えません。
只。。。。
Kさんとは女学校時代の楽しかった思い出話はもう出来ないということです。