今年も花ぐらいは見ておかないと、来年まで自分がどう生き永らえるかも分からないのにと思うようになったこの年頃。
日曜日夕方帰京すると、その足で夜桜見物へ。一人で行くのも寂しい話なので、在京の自称「絶世の美女」嬢にご同伴を願い出て、その一刻も千金に値するという春の宵、温かな風に誘われつつ九段下へ。
東京に桜の名所は数多あれど、やはり、宮城内堀お堀端千鳥ヶ淵の桜に勝るものはない、と個人的には思っている。此岸と宮城の土手である彼岸の桜がともに真白に光っているというのは東京以外では見ることのできない光景なのだ。既に心無き風に吹かれて散った桜の花弁が、内堀の水面に敷き詰めたように広がって浮いているのもまた風情がある。
九段坂を上り始めて、大山巌元帥の銅像の前あたりからは激しい人だかりに。あまりの人の多さに一度辟易し、道を渡って靖国神社へ。昔は、といっても僕が学生のころだからそんなに遠い前の話でもないのだが、こんなだったろうか?夜の靖国の境内は貸し茣蓙屋まで出る宴会の場となっていた。
ナショナリストとしては英霊の眠る境内でこんなことを不届きな、と怒ったりはせず、まあこれが善くも悪しくも英霊の犠牲の上に成り立った平和というものであり、願わくば此の平和が来年の花の季節まで続いていることを願うばかり。
少し時間が経つと千鳥ヶ淵の人も少し流れるようになっており、天蓋に綿をうずめたように広がる東都の桜の通り抜けを満喫した。いやほんとうに満喫した。
誕生日の近い絶世嬢はやはり春は桜と感嘆していたが、これほどの桜を見て心が動く敷島の大和心は余所の国の人には分かるまい、などとまたええ加減なことを考えていた。
日曜日夕方帰京すると、その足で夜桜見物へ。一人で行くのも寂しい話なので、在京の自称「絶世の美女」嬢にご同伴を願い出て、その一刻も千金に値するという春の宵、温かな風に誘われつつ九段下へ。
東京に桜の名所は数多あれど、やはり、宮城内堀お堀端千鳥ヶ淵の桜に勝るものはない、と個人的には思っている。此岸と宮城の土手である彼岸の桜がともに真白に光っているというのは東京以外では見ることのできない光景なのだ。既に心無き風に吹かれて散った桜の花弁が、内堀の水面に敷き詰めたように広がって浮いているのもまた風情がある。
九段坂を上り始めて、大山巌元帥の銅像の前あたりからは激しい人だかりに。あまりの人の多さに一度辟易し、道を渡って靖国神社へ。昔は、といっても僕が学生のころだからそんなに遠い前の話でもないのだが、こんなだったろうか?夜の靖国の境内は貸し茣蓙屋まで出る宴会の場となっていた。
ナショナリストとしては英霊の眠る境内でこんなことを不届きな、と怒ったりはせず、まあこれが善くも悪しくも英霊の犠牲の上に成り立った平和というものであり、願わくば此の平和が来年の花の季節まで続いていることを願うばかり。
少し時間が経つと千鳥ヶ淵の人も少し流れるようになっており、天蓋に綿をうずめたように広がる東都の桜の通り抜けを満喫した。いやほんとうに満喫した。
誕生日の近い絶世嬢はやはり春は桜と感嘆していたが、これほどの桜を見て心が動く敷島の大和心は余所の国の人には分かるまい、などとまたええ加減なことを考えていた。
10時家を出る。
神楽坂で手続き。
会社。帰る。
今日の出費。
朝飯 787
薬 837
昼飯 680
本2冊 1491
夕食 480
麦酒と飲料 341
計 4616
本2冊が余計。
神楽坂で手続き。
会社。帰る。
今日の出費。
朝飯 787
薬 837
昼飯 680
本2冊 1491
夕食 480
麦酒と飲料 341
計 4616
本2冊が余計。
実際のところ、国籍条項なんてのはこの論議の本質ではないのであるが、本質はまたどこか別のところで議論することとして、日記で記しておくべきことは以下のことだ。
この法律、自民党の古賀元幹事長が何としても今国会で成立させたいと思っている。党内の強い反対を承知でそうしようとしている。その理由は、おそらく、お膝元の福岡で6月に迫った福岡2区補欠選挙だろう。愛人との変態プレイを暴露されてしまった(それ自体はまあほんとうはどうでもいいのだが)ため前回の選挙で落選した党の重鎮山崎拓元幹事長が、敗北の相手であった古賀前代議士が実はペパーダイン大学を卒業していなかったというオチのために生まれた補欠選挙に再出馬する。
この選挙は負けられない選挙だし、相手民主党の失策で生まれた選挙だから楽勝かと思いきやそうでもないらしい。勝利を確実にしたい自民党としては、何としても協力が必要だ。公明党の票と、おそらく、総連の金である。
この両団体は、人権擁護法案を全面的に推進している。法案の条文には、人権擁護委員の有資格者として、地方公共団体が人格高潔と認める個人あるいは認める団体が推薦する人物とうい規定がある。そもそも一国の法律に「人格が高潔」なんて文言が入っていることが異常なのだが、信教はもちろん国籍の規定もないから、運用によっては、学会の人間による他宗狩りや赤狩り、総連の人間による非チュチェ・チョッパリ狩りなどもできるわけである。
ことほどさようにやばい法案でありながら、マスコミは、産経新聞を除いてほとんどこのことを報じてこなかった。皆さんが気づかなかったとすれば、ホリエモン狂騒の影に隠れてしまったせいである。古賀さんとしては、今国会で成立させなければ次の選挙までに間に合わないため、旨味がなくなる。狂騒は渡りに船だったはずである。
ところが、先日の一件以来自民党との連携が強いことが察せられてしまったNHKが(もちろんこの表現は朝日の取材を正当化するものではない、念のため)、安部さんの反対論を紹介してしまった、ということは、古賀さんがやっていた報道の締め付けが何らかの理由で緩んだことを意味する。
この巻き返しがどうなるか、今のところ詳しいところはわからない。個人的にはこれに反対だからこのまま法案が提出されないことを願うばかりだが、言論の自由みたいなものは砂が波にさらわれるようにじわりじわりと削られていくものである。注意されたい。
この法律、自民党の古賀元幹事長が何としても今国会で成立させたいと思っている。党内の強い反対を承知でそうしようとしている。その理由は、おそらく、お膝元の福岡で6月に迫った福岡2区補欠選挙だろう。愛人との変態プレイを暴露されてしまった(それ自体はまあほんとうはどうでもいいのだが)ため前回の選挙で落選した党の重鎮山崎拓元幹事長が、敗北の相手であった古賀前代議士が実はペパーダイン大学を卒業していなかったというオチのために生まれた補欠選挙に再出馬する。
この選挙は負けられない選挙だし、相手民主党の失策で生まれた選挙だから楽勝かと思いきやそうでもないらしい。勝利を確実にしたい自民党としては、何としても協力が必要だ。公明党の票と、おそらく、総連の金である。
この両団体は、人権擁護法案を全面的に推進している。法案の条文には、人権擁護委員の有資格者として、地方公共団体が人格高潔と認める個人あるいは認める団体が推薦する人物とうい規定がある。そもそも一国の法律に「人格が高潔」なんて文言が入っていることが異常なのだが、信教はもちろん国籍の規定もないから、運用によっては、学会の人間による他宗狩りや赤狩り、総連の人間による非チュチェ・チョッパリ狩りなどもできるわけである。
ことほどさようにやばい法案でありながら、マスコミは、産経新聞を除いてほとんどこのことを報じてこなかった。皆さんが気づかなかったとすれば、ホリエモン狂騒の影に隠れてしまったせいである。古賀さんとしては、今国会で成立させなければ次の選挙までに間に合わないため、旨味がなくなる。狂騒は渡りに船だったはずである。
ところが、先日の一件以来自民党との連携が強いことが察せられてしまったNHKが(もちろんこの表現は朝日の取材を正当化するものではない、念のため)、安部さんの反対論を紹介してしまった、ということは、古賀さんがやっていた報道の締め付けが何らかの理由で緩んだことを意味する。
この巻き返しがどうなるか、今のところ詳しいところはわからない。個人的にはこれに反対だからこのまま法案が提出されないことを願うばかりだが、言論の自由みたいなものは砂が波にさらわれるようにじわりじわりと削られていくものである。注意されたい。
本来なら一昨日書いておくべきことだったのだが、NHKのニュースで、自民党の安部前幹事長が人権擁護法案の提出に反対する、というスピーチを紹介していた。これはちょっと注目しておくべきだ。
人権擁護法案については、詳細はこちらを。人権擁護はけっこうなことだが、人権擁護委員なる与力みたいな人間を全国で何と2万人、「人格高潔の士」の中から選出するとのことである。
それだけ聞くと結構そうだが、実はこの人たちほんとの与力同心で、どうやら人権を侵害しているらしいと彼らが睨んだ人間から資料の提出や調停をする権限を持たされることになりそうなのだ。警察でも検察でもないのに。もちろん、ここでいう人権侵害とは何か、という定義はない。
普遍的な面構えのロジックほど怪しいものはない、というのは我々が歴史から学ぶべきことの一つだろう。自民党では、古賀元幹事長が法務部会で討議を打ち切ろうとしたところ、怒号が飛び交うほどの激論となったらしい。右側の人たちがこれを「治安維持法の復活」と罵り、在日や宗教系の人たちに横暴を許しかねない、と、国籍条項を求めたり報道規制の撤廃を求めたりしている。
人権擁護法案については、詳細はこちらを。人権擁護はけっこうなことだが、人権擁護委員なる与力みたいな人間を全国で何と2万人、「人格高潔の士」の中から選出するとのことである。
それだけ聞くと結構そうだが、実はこの人たちほんとの与力同心で、どうやら人権を侵害しているらしいと彼らが睨んだ人間から資料の提出や調停をする権限を持たされることになりそうなのだ。警察でも検察でもないのに。もちろん、ここでいう人権侵害とは何か、という定義はない。
普遍的な面構えのロジックほど怪しいものはない、というのは我々が歴史から学ぶべきことの一つだろう。自民党では、古賀元幹事長が法務部会で討議を打ち切ろうとしたところ、怒号が飛び交うほどの激論となったらしい。右側の人たちがこれを「治安維持法の復活」と罵り、在日や宗教系の人たちに横暴を許しかねない、と、国籍条項を求めたり報道規制の撤廃を求めたりしている。