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☆smilelife-Diary☆

春だ!日差しが痛いぞ!

ビッグニュース

2009年06月17日 | 舞台関連
昨日とっても嬉しいニュースが舞い込んできました

本文はMIKIちゃんの文章を転記させて頂いてます。

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本日6月15日、
主人でもある演出家の田山翔一が
来る6月22日明治記念館芙蓉の間において、

東久邇宮文化褒賞(ひがしくにのみやぶんかほうしょう)を
戴くことになりました。


◆東久邇宮記念賞とは◆
昭和天皇の女婿であられ戦後初の内閣総理大臣でもあり、
皇室を離脱した東久邇宮盛厚殿下。

「発明に上下貴賤の区別はない。小発明も尊い、ノーベル賞を百とるより、
国民一人一人が、小発明家になることが大切だ。一億総発明運動をおこしたい。
小発明軽視は、国をあやうくする」という東久邇宮盛厚殿下の理念を受け継ぎ
豊沢豊雄会長が1960年に創設。

知的財産や発明の振興に努めた有名無名の人たちを表彰し、
「大衆のノーベル賞」とも言われ、現在も夫人の東久邇宮桂子様が
名誉顧問をされていらっしゃいます。

東久邇宮文化褒賞(とは、三大宮様(さんだいみやさま)賞、高松宮賞・秩父宮賞などと並んで、日本三大褒章のひとつと言われている褒賞です。

(褒章(ほうしょう、Medal)とは、社会や公共、文化などに功績のあった者や団体
を表彰するため、授与される記章のこと。)

これまで受賞された関東自動車【株】の、林田社長は、
「私は勲三等の勲章を賜ったが、そのときよりも感激は強く、
またマスコミも書きたててくれた。長く家宝として、
子孫のために生きた教育に役立てようと思っている」と語られており、
また、二大デパートをつくられた岡田吉郎社長も、
世界一のリール会社を創立した大和精工の松井社長も、
上野の芸術大学の斎藤仁事務局長も、三十周年記念式で、何千人、何百
人の人々の前で、受賞された感激をいまも語りつがれているようです。  

現代までに受賞された人々をあげると、
アンテナの発明者、八木秀次博士。ロケットの研究者、糸井英夫氏。
ノーベル賞のエザキダイオードの共同発明者、助手の黒
瀬ユリ子氏。世界一のチューインガム発明者、森 秋広社長。
世界一マブチモーターの、馬渕健一社長。
ヤシカ、カメラの牛山社長。磁力バンドの、田中正一社長。
小物発明者、笹沼喜美代氏。奥野実憲氏。永森忠孝氏。等多数。

ユーモア発明の柳屋金五楼氏。遠藤周作氏。
江戸屋猫八氏。円歌師匠。桂米丸氏。等タレント多数。

財界では渋沢秀雄氏。生産性本部会長、郷司浩平氏。
トヨタ自動車社長、豊田喜一郎氏。              

週刊朝日編集長扇谷正蔵氏。日刊工業新聞社長、白井十四雄氏

政界では、総理大臣三木武夫氏。中曽根幹事長。

東京都知事、青島幸男氏。

元総理大臣竹下登氏等々、有名無名の方々が受賞されていらっしゃいます。

そんな素晴らしい東久邇宮文化褒賞を田山が戴くことになり、
これまでの彼の活動や作品が知的財産として大切に尊重されることは、私にとっても喜びでございます。


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私としては、『やっとか』との思いもあったり、『ん~・・・』との思いもあったり

そんなタイミングを見計らってか、田山先生本人から久しぶりの電話が
最後まで拒否されていた心を動かしたのは何だったのか。
どういう思いでこれからの活動の展開を成し得ていくのか。

はたまた、一緒に祝賀会を楽しもうとのお誘いまで

田山翔一(たやま しょう)は私の従兄弟のお兄ちゃんだ。
と言っても、血のつながりは無いが、私が生まれた時からの関係なので
それはそれは、長いお付き合い。

テレビやラジオ、海外でのコンベンション、パリコレまでプロデュースを
していた時期もあるのだが、『庶民の中の舞台感動から人間力を復興させたい』
との思いから、霞を食べるような生活で全国各地で音楽を通した舞台芸術を繰り広げている。

有難くも、舞台スタッフとして現場で鍛えられ常に田山先生の側で
舞台を通してのメッセージを送り続ける姿・一人の人間における生命の変革等を
見させ続けてもらっている。

舞台では演出家とスタッフだけれど、舞台を離れると本当に身内なので
何でも話しながら他愛無い話から、くだらない私の相談から色々語る「おにいちゃん」です。

自分個人で受ける趣旨ならば、何が何でも拒否したであろう彼は、
記念賞の趣旨にようやく納得し、誰も気づかなければ歴史の中に埋もれてしまう、
大衆の歴史的人権運動等を舞台化し演出してきた。

その名も無き庶民の歴史の一人の女性・一人の農民達に光が当たる。
その歴史を知ってもらうきっかけとなってくれるのならば・・・
その舞台を通じて、観客の一人でもその日から生きる勇気のエールを送れるのであれば・・・

そんな思いが苦手すぎる受賞をお受けする事になったらしい。

受賞した後、どんな風に変わっていくのか分からないけれど、

大衆の中にこそ人生のドラマがあり、国を変えるといっても
政治を変えるといっても、結局は一人の人間的な価値観の革命によってのみ
変革がなされていくのである。

その人間力や生命力のエールを送り続ける田山翔一のスタッフとして
どこまでも学んで生きたいと思う。